愚官による愚民政策

――東海村事故を考える(4)――

 

 おととい、東海村の臨界事故で大量の放射能を浴びて亡くなった大内久さんの葬儀が営まれた。まことにお気の毒というほかはない。その死が不可避のやむを得ざる事故によるものではないからである。

 大内さんの死亡から葬儀までの間にテレビ画面に出てくる政治家や政府や自治体などの責任者も、誰もが「この死を無駄にすることなく」「今後はこのようなことのないように」「法規を強化して」「監督を強化し」「検査を厳重におこなう」と言うばかり。

 誰ひとり、日本の原子力政策を見直すとか、間違っていたとか、原発を廃止するといった反省や基本に立ち返るものがいなかった。同じようなことは以前にも本頁に書いたので繰り返すつもりはないが、原子力という世にも恐ろしいものを扱いながら、単に効率が良いというだけでセメントを混ぜるようなやり方を認めていた連中に、原子力政策の責任をにない、原子力を取り扱ってゆく能力や資格があるのか。再び三度び疑問に思わざるを得ない。

 驚いたことにしばらく前、事故発生当時の発表は被曝量が間違っていたという発表があった。科学技術庁で計算をやり直した結果、放射能の量は当初計算の75倍だった。したがって、地元住民は今までの69人以外にも被曝した人がいるかもしれないという。しかも、細かい数字は省くが、現場から80m付近にいた人は将来ガンになる可能性が大きいというほどの被曝をしたらしい。

 実際は直ちに避難する必要があったにもかかわらず、問題がはっきりしないうちから、官僚たちは「安全だ、心配はない」と言いつづけた。パニックを抑えようとして、却って大きな危険を招いたのである。

 そのうえテレビ報道によれば、被爆者自身が自分の被曝量を知らされていなかったという。本人のところへ送ってきた書類は被曝量の欄が黒く塗りつぶされていた。にもかかわらずマスコミに配布された資料は黒くなっていなかった。したがってマスコミは誰それの被曝量は何シーベルかが分かっていたというのだ。

 一体どういうことなのか。役人の頭が狂ったか。マスコミ配布用と本人配布用を取り違えたか。どちらでもないというのなら、官僚はマスコミを抱きこんで愚民政策を進めようとしたのであろう。

 いつぞや地震予知の問題が議論されたとき、早くから本当のことをいうと、パニックが起こるから事前の発表はしない方がいいというのが官僚たちの主張であった。では何のための予知なのか。こっそり自分たちだけが逃げ出すための予知なのか。それとも、国民は知らぬが仏のままで本物のホトケにしてやろうというのか。官僚たちのまことに有難い心遣いである。

 これは国民をバカにした「愚官による愚官のための愚民政策」である。愚官は当然に国家や国民のことを考えない。その本質は前例追従の現状維持である。1人や2人の犠牲者が出たくらいで現状維持はゆるがせにできない。阪神大震災では6,300人もの犠牲者が出てわずかによろめいたが、今ではすっかりもと通りに収まった。

 ヘリコプター消火などは、もう誰も言わなくなった。それどころか、この間はわざわざ大分まで自衛隊のチヌーク大型機を3機も飛ばして、ヘリコプターでは建物火災が消えないという実験をやったという話を聞いた。

 東海村でもパニックが起こったりすると誰かが責任を取らされて身の保全が危うくなる。現状維持のためには、被曝量などはどうでもいいから、ここはとにかく心配するなと言っておけというのが、彼らが咄嗟に考えたやり口であった。

 現状維持という点からは、法規や政策も無闇に変えてはならない。変えるとすれば安全という錦の御旗をかかげ、監督や管理や検査や規制を強化する方向に変えるだけである。これで役人の権限は補強される。それこそが彼らの本能であり、今回もまた彼らの思うつぼにはめられた。

 おとといの大内さんの葬儀で、政治家や官僚の言ったことはそうした本能に発するもので、原子力政策を見直しますとか原発をやめますなどは口が裂けても言ってはならないことだった。

 大前研一までがいつぞやのテレビで、自分もどこそこの大学で原子力工学を専攻したが、日本の原子力技術は世界一流である。決して心配することはないと壮語していた。身びいきもいいが、これは見そこなったというほかはない。

 彼の言う通りならば、何故あんな馬鹿げた事故が起こるのか。そればかりではなく、それまでもしばしば原子炉事故が起こっていたし、遠い日本からわざわざフランスまで何日もかかって船を回し、核燃料の再処理をして貰わねばならないのはどういうわけか。どう考えても、日本の技術が一流とは思えない。

 繰り返すけれども、このさい日本は原子力政策を直ちに見直し、要すれば原発廃止の方針を打ち出したうえで、それにかかる高額の費用を別のエネルギー源の研究開発に当てるべきである。そこから世界の模範となるような新しい方策と新しい技術を生み出すことができれば、初めて世界一流と言っていいかもしれない。

 官僚諸君も現状維持と保身出世ばかりを考えず、国民のための仕事を真面目にやってもらいたい。

(小言航兵衛、99.12.28)

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