<カナダ死亡事故>

め ま い

 カナダのヘリコプター救急法人オレンジが去る5月31日、オンタリオ州で起こした事故は、離陸後1分たつか経たないうちに墜落している。そのため、当初は1980年の製造から33年を経たシコルスキーS-76ヘリコプターに経年疲労か何かの故障があったのではないかという疑問から、オレンジは残り5機のS-76を自主的に飛行停止とした。

 しかしカナダ運輸安全委員会(TSB)の事故調査の結果、そうした機材上の不具合は見られないという見解から、数日後に飛行が再開された。

 それならば、操縦上の失敗があったのかもしれないと思われるが、事故機を操縦していた2人のパイロットは機長が飛行経験20年、副操縦士が17年というベテランであった。したがって操縦ミスも殆ど考えられない。

 とすれば、事故原因はどこにあるのか。カナダTSBは、原因解明までには1年ほどかかると表明している。

 そんな折から、カナダのパイロットたちの間で原因は「ヴァーティゴ」ではないかという見方が出てきた。機材上の不具合やパイロット・エラーと並んで、第3の推定原因ということになる。

 これをカナダの新聞は「ブラックホール効果」と報じている。聞いたことのない呼称で、専門用語として適切かどうかはともかく、漆黒の闇の中で天と地との境い目が溶け合って区別がつかなくなり、ブラックホールに落ちこんだというのだ。

 深夜0時過ぎ、カナダへき地のムースニー飛行場にどのくらいの照明があったかは知らないが、格納庫からヘリコプターを出して出発準備をととのえる範囲は明るい灯火がついていたであろう。ところが、そこから飛び上がった途端、前方は真っ暗闇だったにちがいない。

 というのも、飛行場の周辺は深い雑木林が広がり、凹凸の特徴がない平らな地形で、灯火もほとんどなかったと思われる。しかも当時の天候は高曇りの小雨で薄い靄(もや)がかかっていたが、飛行するには何の障害もない気象条件だった。とはいえ、月や星は見えず、天地の区別もつかなかったであろう。そこでヘリコプターは離陸するや墨壺の中に飛びこんだような状態に陥ったのではないか。

 そのため2人のパイロットは、たちまち目標を失って幻覚にとらわれ、上下左右の感覚を失い、1分も飛ばないうちに雑木林に突っ込んだという推定である。事故現場は、ヘリコプターがローターで立ち木をなぎ倒しながら走り抜けたような細長い形状になっている。

 このとき、もしも事故機が衝突防止装置を装備していれば、ヘリコプターが降下を始め、高度が下がると警報音が鳴るので、パイロットがそれに気づけば回復措置をとることができたかもしれない。ただし、この事故機に衝突防止装置がついていたかどうか、今のところ確認されていない。


オレンジ機の墜落現場

 このような現象によって死亡事故となった例は、ジョン F.ケネディ・ジュニアの操縦する軽飛行機の事故が知られている。1999年、ロングアイランドの沖をJFKジュニアの操縦で飛んでいた同機は、暗闇の中で水平線を見失い、空と海との区別がつかなくなって操縦不能におちいり、真っ暗な靄(もや)の中で海面に突っこんだ。

 こうした幻覚を「ヴァーティゴ」(Vertigo)といい、 日本語では「空間識失調」という。航空機のパイロットが飛行中、一時的に平衝感覚を失なうことで、人間の普通の生理的な現象でもあり、健康体であると否とにかかわらず、またパイロットがベテランであろうとなかろうと発生する。

 それも暗闇の中ばかりでなく、ヘリコプターが雪面に着陸しようとして雪煙に巻きこまれたり、砂漠で土煙に巻かれたりすると、機体の姿勢(傾き)や進行方向(昇降)の状態を把握できなくなり、地面が上なのか下なのか、機体が上昇しているのか下降しているのかわからなくなる。それも夜間の進入や離脱の際に起こりやすく、特殊訓練によって学んでいても避けることは難しい。

 なお、雪煙に巻きこまれたり、白一色の雲の中に飛びこんで視界を失うことを「ホワイトアウト」という。また土煙に巻かれることを「ブラウンアウト」というが、暗闇の中に飛びこむことを「ブラックアウト」というかどうか。

 通常は、ブラックアウトといえば停電のことであり、また戦闘機のパイロットに重力荷重Gがかかりすぎて、脳が貧血状態になることでもある。

 そこで、カナダの新聞社は意味が重なるのを嫌ってか、ブラックアウトをしりぞけ、「ブラックホール効果」という新語をひねり出したのかもしれない。

 余談ながら、ヒチコックは高所恐怖症を扱った『めまい』という映画をつくっている。その原題名がVertigoであった。

(西川 渉、2013.7.1)

【関連頁】

   続カナダでも死亡事故(2013.6.28)
   カナダでも死亡事故(2013.6.8)

 

 

 


オレンジのAW139中型ヘリコプター。救急と救助に使っている。

表紙へ戻る