<V-22オスプレイ>

再確認の飛行試験完了

 

 ベル・ヘリコプター社とボーイング社が、米海兵隊の監督の下で進めてきたティルトローター機、V-22オスプレイの再確認試験が終了した。

 再確認の結果は、同機が軍用機として「適切かつ有効」――すなわち合格となった。この海兵隊の最終評価が公表されたのは7月13日のことである。

 これにより、あとは今年9月に出る予定の国防省の量産決定を待つばかりとなった。いよいよ正規の軍用機として量産されるわけである。

 ここに至るまで、オスプレイは開発着手から20年以上が経過した。まず1983年、米海軍がベルおよびボーイングとの間で開発契約を結んだ。その結果、原型機が初飛行したのは1989年3月19日。高度は地上10m足らずで、飛行時間は15分だった。

 ところが初飛行の直後、当時の国防長官だったディック・チェイニーがオスプレイ計画中止の方針を打ち出した。オスプレイ自体も1991年6月、デラウェアで事故を起こし、パイロット2人がけがをした。その1年後、92年7月にはポトマック川に突っ込んで、乗っていた7人が全員死亡して苦難の歩みがはじまった。

 しかし1992年8月、大統領候補となったビル・クリントンがオスプレイの開発を支持する方針を発表、チェイニーとブッシュも反対論を引っ込めた。

 ところが、いよいよ実用段階に入ったと思われた2000年4月、またしてもオスプレイはアリゾナで墜落、乗っていた19人が死亡する。そして12月にはノースカロライナで4度目の事故を起こし、4人が死亡した。以後1年半オスプレイの飛行は中断される。

 飛行が再開されたのは2002年5月。ただし通常の飛行ではなく、安全性の再確認と実用性の再評価のための試験飛行であった。この再評価試験は、今年6月まで3年間にわたって続くことになる。この間、オスプレイは750時間の飛行をした。昼も夜も、暑い日も寒い日も、山中でも海上でも、あらゆる条件の下で繰り返し試験飛行を重ねてきたのである。

 その結果、たとえば空中給油1回で3,300kmを飛べることが実証された。巡航速度は255ノットで、240ノットという要求性能を大きく上回った。もとより安全性、信頼性、実用性、生存性などの基本要件は充分に確かめられた。

 こうしてオスプレイの耐空性が認められたことで、米海兵隊は初めて、この7月、報道陣を同機に乗せることとなった。軍やメーカーの専門家以外の一般民間人がティルトローターに乗るのはこれが初めてである。

 その試乗体験のもようを「ダラス・モーニング・ニュース」の記者が次のように書いている。明日はオスプレイに乗ると語ったとき、家族や友人の中には「まさか」といって心配そうな顔をした人もいたらしい。今なお多くの人が、ティルトローターは余りに複雑かつ大胆な設計で、安全に飛ぶのは困難と見ているのである。

 招待を受けた記者団は、オスプレイのこれまでの再評価試験の説明を聞いたのち、安全に関するブリーフィングを受け、この体験搭乗によって万一何かあっても、政府に対して一切の責任を問わず、賠償を請求しないという誓約書に署名を求められた。

 そして頭を締めつけるような固いヘルメットをかぶり、耳当てとゴーグルをつけて、滑走路の向こうで待つ2機のオスプレイに向かった。2機はマストを垂直に立て、ローターがやかましい音を立てて回っていた。

 ダラス紙の記者と一緒に乗ったのは、CNNのテレビ・クルーと新聞や雑誌の記者4人。そして海軍とメーカーからの世話役。ほかにパイロット2人と乗員2人。「民間人としてオスプレイに乗るのは、諸君が初めて」といわれた。

 オスプレイはゆっくりと滑走路へ出て行った。ローターの回転が急に速くなり、音が大きくなって地面を離れた。そして素早く前進飛行へ移ったと思ったら、早くも左右のローターが前方へ傾き、いっそう速度が増した。

 高度150m。前方にノースカロライナの海岸線が見える。水平飛行に移って、海岸沿いに飛ぶ。

 不意に速度を落として降下、草原に脚を着けると、すぐにローター音をとどろかせて離昇した。上空高い位置でゆっくりと旋回し、ホバリングに入る。次いで左右への横進飛行。

 それから予告なしに機首を上げるや、エンジン音が高まって急上昇。速度が増し、高度が上がり、わずかに耳が痛くなった。横にいた記者の1人が気分が悪くなったらしい。蒼い顔をしているのに乗員が気づき、紙袋を手渡した。記者は、その中に胃の中のものを吐き出した。

 やがてオスプレイは基地に向かった。滑走路が近づくと、わずかにナセルを上げ、すこしずつ降下してゆく。ローターがやや前方へ傾いた状態で着陸、そのまま飛行機のように滑走し、格納庫の方へ戻ってゆく。

 格納庫に戻ってサンドイッチとホットドッグの昼食が出たが、先ほどの記者は食べようとしない。声をかけると「僕はオスプレイの中で吐いた最初の民間人」と冗談を言った。

 ティルトローターの開発続行を最も強く支えてきたのは、米海兵隊である。同機の柔軟な機動性こそは、海兵隊の作戦行動にきわめて適したものという信念があったからだ。

 海兵隊はV-22オスプレイについて、9月には国防省から量産の承認を得たいと考えている。製造はベル社のフォトワースとアマリロ工場、ボーイング社のフィラデルフィア工場で、両社半分ずつの作業量で行われる。

 調達機数は海兵隊だけで360機だが、空軍も特殊任務のために50機の導入を考えている。また海軍は48機を購入する。量産計画が軌道に乗れば、月産4機ずつ製造することになる。

 1機当たりの価格は、当初7,100万ドル(約78億円)。2010年までには5,800万ドル(約63億円)まで下げる目標。

 そして全ての計画が予定通りに進むならば、最初のオスプレイ部隊は2007年に編成される。

【関連頁】

 オスプレイ工場を見る (2005.5.16)

 ティルトローター機の展望(2004.5.25) 

(西川 渉、2005.7.19)

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