護民官からごみ缶へ

 

 新潟県警の本部長や警察庁の局長が、重大事件の発生を知りながら温泉に入って、雪見酒を呑み、深夜まで麻雀をしていたという。しかも、よく聞いてみると、まさに不祥事再発防止のための特別監察の当事者たちで、面倒臭い監察なんぞは早々に切り上げ、黒塗りの公用車で、まさかパトカーがサイレンを鳴らしながら先導したわけではなかろうが、雪深い鄙びた温泉宿へ走り、翌朝はゆっくり起きて白鳥を見物、そのまま我が家に帰ってしまったという醜聞は、もはやテレビや新聞が論じ尽くしているので、これ以上ここで小言をいうつもりはない。

 

 けれども、少しばかりつけ加えるならば、2人の高級官僚か低級官僚かは知らぬが、何とまあ不運なことか。9年間も監禁されていた女性が何も今日、この大事な日に出てこなくてもよさそうなもの。せっかく温泉につかって、ゆっくり骨休みをしようと思ったのに、電話はかかって来るわ、ファクスは来るわで、せわしないことおびただしい。記者会見などは適当にやっておけ、といったのが運のつきであった。

 よく、交通事故で情事がばれるという話を聞く。何にもなければ何事もなかったはずが、たまたま乗ったタクシーがちょっとした接触事故を起こして、ごたごたやっているうちに横にいる若い女性は誰かということになって、事が露見したりする。

 この情事のような馬鹿げた次第は、全国ほとんどの特別監察でおこなわれていたようで、監察のあとで一緒に酒宴を開いたとか、監察官はその県の前の本部長だったとか、監察する者とされる本部長が同期生だったとか、もう出鱈目である。

 真に不祥事をなくすための監察なのか、表面を取り繕うための監察なのか、あるいは監察の名を借りた慰安旅行なのかもしれない。自分の前任地などは、今さら見にゆかずとも、奈辺に不具合があるかくらいは分かっているはずで、それを明らかにすればわが身に累が及ぶ恐れもあって、むしろ隠蔽のために自ら監察に出かけて行ったのではないかと思われてもやむを得ないだろう。

 ミイラ取りがミイラになるというのは、遠いエジプトの話かと思ったら、官僚ピラミッドの至るところでおこなわれていたのである。

 

 そのピラミッドを突き崩すには、単に上級公務員試験に受かっただけで自動的に順番に県警本部長になるような人事はおかしい。警察ならば百戦錬磨の勇者(つわもの)が指揮を執るべきだと、私は数日前の本頁に書いた。無論そんな作文なんぞピラミッドのてっぺんから見えるわけはないし、見えたところで言うことを聞くはずもないが、新潟県警の本部長についても悪事露見の本人がクビになった後には、またぞろ同じような人物が後任に任ぜられた。

 これでは、改革の意志はどこにも見えない。新任本部長にはむろん何の遺恨もないが、着任と同時に新潟県警の警察官を集めて訓辞を垂れたらしい。「今後かかる不始末の起こらぬよう、再発防止に全力をあげて取り組みたい」などと通り一遍のセリフをお経のように唱えたようだが、聞いている方はクビを切られた前任本部長の法事にでも連なっているような気がしたのではなかろうか。いうまでもなく訓辞を受けるべきは、本部長自身である。このような人事や慣習が続く限り、これからも同じような不祥事は絶えないであろう。

 現にこれまでも、国民は神奈川県警の不祥事が神奈川県だけの例外であるかのように思わせられていた。しかし実際は新潟県でもどこの県でも、知らなかったのは県民だけで、ごく当たり前のことだったのである。何も神奈川県民だけが恥ずかしがることはなかったので、日本中どこでも恥さらしが横行していたのだ。

 

 聞くところによると、警察官の総数は全国22万人だそうである。そのうち上級職試験の合格者は500人だそうで、その連中が好き放題、勝手放題にやっているわけだから、あとの219,500人がやる気をなくすのは当然である。喜んでいるのは泥棒ばかりであろう。

 念のために、試験合格者の非難ばかりでひがみっぽい奴だと思われるかもしれないので白状しておくと、恥ずかしながら筆者自身も今から40年ほど前、当時の上級職試験(行政職)に合格した。あんなちゃちな試験に受かってどこが偉いのか、私は未だに分からないし、現に偉くないことは最近の警察官僚諸君が証明してくれた。

 何しろ、温泉に入って酒を呑んで麻雀をやるのが楽しみらしいから、むろん他人の趣味は何であろうと非難するいわれはないが、要するにその程度のことである。たいていの人がおれも同じだと思うであろう。役人として出世したからといって、決して特別な人種ではないし、むしろ「下から読んでもオチミチオ」みたいなヘンな奴の方が多い。その意味では特殊な人類である。

 昔から、警察官といえば「護民官」と言われてきた。しかし今や、その誇りもなくなって出世と保身を考えるだけの「護身官」すなわち「ごみ缶」になり下がり、ゴミ溜めのような連中でも、つまらぬ試験に受かっただけでカラ威張りをするようになった。支那の科挙制度は本国でなくなり、辺境の日本にのみ残ったのである。

 新潟県警や神奈川県警の問題は氷山の一角が露呈したにすぎない。当事者はたまたま運が悪かっただけで、監禁女性の発見が1日遅ければ何事もなく、今頃はまた別の県警本部で特別監察という名の宴会麻雀をしていたことであろう。

 水面下には、まだまだ大きな氷の塊が隠れている。

(小言航兵衛、2000.3.1)

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