狎れ合いの朝酒

――警察の不祥事(5)――

 昨8日の国会で、イギリス議会の真似をした党首討論がおこなわれたとき、小淵首相が思わず「運が悪かった」と失言したのはおかしかった。本頁でも「何とまあ不運なことか。9年間も監禁されていた女性が何も今日」に限って見つからなくてもよさそうなものと書いた覚えがあるが、誰もが同じ思いで、首相までそうだったことが判明した。

 それを追求すべき鳩山氏は何か言ったようだが、「鳩山さんにもご理解いただけるでしょう」といわれて黙ってしまったのは、矢張り同じ思いだったからにちがいない。せめて「私には到底理解できない。もっとよくご説明願います」くらいのことを言って切りこむべきだったと思うが、どうせ狎れ合いの物真似サル芝居をやってるだけだから、何かを期待しても無駄であろう。

 第一、鳩山も小淵も力量のないもの同士のやり取りだから、話の広がりがなく、深みがなく、止揚もしないから、聞いていてちっとも面白くない。日光猿軍団の方がよっぽどましで、国会をサル芝居などといったら本物の猿に叱られるかもしれない。

 

 狎れ合いといえば、先日テレビにちらと映ったところでは、どこかの女性議員が刑事局長か誰かをつかまえて「予告をしておいたのに、なぜ調べてないのか」と質したのに対し、「怠慢でした」と答えた場面があった。ところが、その答えで議場は凍りつき、議事は中断して、発言の取り消しが求められたという。

 たしかに議員の要求に応じて調べてなかったのは良くない。まさに怠慢であろう。けれども、何故議場が凍りつき議事が中断するのかよく分からない。ここは議員の要求にすら、故意か忘れたかは知らぬが、応じられぬくらいだから、警察が国民の訴えに応じない実態がまたしても暴露されたわけで、もう一度警察を槍玉に挙げ、叱責する絶好のチャンスだったはず。

 その肝心な機会をとらえようともせず、発言の取り消しを求めて何事かを相談するとはどういうことなのか。察するところ、質問と回答があらかじめ決まっていて、そのシナリオ通りに議事が進めば、与党も野党も安心なのであろう。ところが、もっともらしいセリフが用意してなかったものだから、議会が紛糾する。 

 

 上の2件のサル芝居を並べてみると、糾弾さるべきは小淵発言であり、バカ正直で褒められるべきは局長発言だったような気がする。けれども現実の結果は逆だった。そこが今のわが国の奇妙な、普通の国民には理解できない政官界の実態を示しているように思える。

 蛇足をつけ加えると3月8日の朝刊が「翌朝もビール」という見出しで問題の警察官僚2人が翌日の朝からビールを呑んでいたことが露見したという。昔から唄われてきた「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで……」というやつで、それで出世の道をつぶしたのである。ここは「名誉をつぶした」と書こうと思ったが、もともとそんなものはなかったはずで、取りやめることにした。

 最後にもうひとつ蛇足を重ねたい。これで今回の警察問題と航空とが結びつくはずだが、きのうの朝、地下鉄日比谷線で脱線事故が起こった。ところが少なくとも夜遅いニュースまでは、運転手や車掌が事故の瞬間どうしていたのか、どの時点で脱線に気づいたのか、それに対してブレーキをかけるなど、どんな行動を取ったのか全く不明であった。

 そんな疑問は誰もが感じたはずだが、それができなかったのは、運転手や車掌が警察に閉じこめられ、取り調べを受けていたからだそうである。航空機の事故もそうだが、パイロットや運転手は事故を起こすとすぐに警察に連行され、周囲との連絡を絶たれ、犯罪者のような扱いを受ける。それも大抵は夜遅くまで釈放して貰えず、次々と調書を取られるから皆へとへとになってしまう。

 それでなくても自分が事故を起こしたという大きな精神的負担がのしかかっているから、肉体的な負担が重なると、だんだん犯人みたいな気分にもなって、やってもいないことにイエスと答えて一種の白状をしてしまう。しかし、航空機のパイロットや電車の運転手が、何らかの意図を持って事故を起こすことは、自分の命がかかっているから、自殺を除いては先ずない。しかるに警察は、こうした事故を犯罪と同様にとらえ、刑事罰を目的として調査に当たる。

 それに対して航空機の場合、事故調査委員会の調査は犯罪や責任を問うわけではない。事故の再発防止が目的である。だからアメリカのNTSB(運輸安全委員会)では、どんな証言をしても刑事責任は問われないことになっている。日本の場合はその点があいまいで、しかも事故調査委員会より前に警察が素早くパイロットを拘束し、ログブックなどの飛行記録文書を押収してしまうから、なかなか本当のことが分からず、そのうちに過失致死などの罪が適用されたりする。

 ここで言いたいのは、警察というものは他人(ひと)がちょっと間違うと急に居丈高になって罪人に仕立て上げようとする。それでいて身内のことは、この半月ほどの実例で見たように、警察庁長官はもとより、国家公安委員長という最高責任者みずから国会でウソをついてでも隠そうとする。それに対して鳩山だったか、国会の場で「ウソつきは泥棒の始まりではなくて、警察の始まり」という発言をしていたが、これは余り面白くないし、迫力もなくていただけない。

 それよりも警察は本当にしなければならないことは、なかなかしてくれない。たとえばオウム狂団に殺された坂本弁護士一家のように、いくら訴えてもいっこうに取り上げようとしない。そうかと思うと犯罪ではないところから犯罪をデッチ上げようとする。警察のような公的機関は恣意的に行動してはいけないのだが、やっぱり日本の警察はおかしい。狂っているのはオウムだけではなかったのである。

(小言航兵衛、2000.3.9)

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