<スイス・エアレスキューREGA>

アルプス山岳地で危険な救助と救急

 スイスという国はさまざまな面で独自の特性を発揮する。ヨーロッパの真ん中にあって欧州連合(EU)に加盟せず、「永世中立」を標榜して他国に攻撃を仕かけるようなことはないだろうが、攻撃されたときはそれをはね返すだけの軍備を持つ。そのために国民の誰もが軍事訓練を受け、自宅に銃を置き、家屋の壁は腰下の部分が頑丈にできていて敵の銃弾を防ぐばかりか、ところどころに銃眼があって射ち返すこともできる。町の商店街やホテルの地下に原爆避難壕があることもよく知られている。

 救急飛行に関しても他には見られない特徴が多い。国土面積は日本の九州とほぼ同じだが、標高4,000m級のアルプス山岳が連なる地形から、13ヵ所に配備された救急ヘリコプター拠点は、山の上でも深い谷底でも、全国どこでも15分以内に医師を乗せたヘリコプターが飛んで行ける「時間距離」を基準とする。したがって「医療過疎」といった嘆きは、この国では聞かれない。


拠点13ヵ所の配備基準は時間距離

 しかも、このような航空医療体制をととのえているのは国や自治体ではない。REGAと呼ばれる非営利団体である。REGAにいわせれば、公費の支援を受けると、行政府から指示や干渉まで受けることになって仕事がやりにくい。さらには行政区域内にしばられて、州境を越えた自由な救急活動ができなくなるというのだ。

 では、REGAの運営経費はどこから出ているのか。国民の寄付と医療保険である。スイスの人口はおよそ800万人だが、その3割を超える250万人がREGAの「パトロン」として年間30スイス・フラン(約3,800円)を寄付している(表1)。ほかに大口寄付もあるから、2013年は合計8,500万フランになり、REGAの経費の6割強を支える。残りの4割弱は医療保険その他の収入で、全てを合わせると日本円で175億円くらい。ここから経費を差し引いて、300万フラン(約3.8億円)の剰余金――企業でいえば利益を出した。

表1 REGAパトロンの寄付金額

パトロン

寄付金額(年間)

備   考

個 人

30フラン

――

夫 婦

60フラン

――

家 族

70フラン

夫婦と18歳以下の子供たち

小家族

40フラン

片親と18歳以下の子供たち

〔注〕パトロンはヘリコプターやジェットによる救急経費が無償。

骨折よりも飛行料金が心配

 REGAの陣容は、従業員総数がおよそ360人。内訳は表2のような概数になる。

 この人びとが国内13ヵ所の救急ヘリコプターを動かす。さらにチューリッヒ・クローテン空港には3機のジェット救急機が待機しており、巨大な格納庫で予備機を含む多数の機材が整備点検を受けている。

 同じところにREGAの組織を統合する本部があり、ここの運航管理センターが一手にヘリコプターやジェットの飛行指示を出す。同時に出動要請も全てここで受け付ける。電話番号は「1414」。そこへ1年中、昼も夜も休むことなく電話がかかってくる。そのための係員は昼間3〜5人、夜間(午後11時〜午前7時)は1〜2人が待機して、国内全域はもとより世界中からの救急要請を受ける。彼らの話す言語は独、仏、伊、英のほか、人によってはスペイン語やポルトガル語にも対応する。

 電話は、多い日で1日400件、年間では10万件以上。電話の内容は、スイス国内から交通事故の救急要請が3割、病院からの施設間搬送が1割、スキー事故が3割、個人的な急病や大けが3割といったところ。また国外からのジェットによる帰還搬送はパトロンの個人的な要請が6割、旅行保険会社から4割となっている。なお、スキー事故が3割を占めるのは、REGAの発端が山岳救助――登山家やスキーヤーの救出を目的として始まったためである。

表2 REGAの人的陣容

職  種

人 数

備   考

パイロット

43人

ヘリコプター

パイロット

23人

ジェット

整備士

29人

チューリッヒ本部

医師

30人

ほかに外部の病院からも応援

ナース

19人

ジェット搭乗要員

パラメディック

41人

ヘリコプター搭乗要員

運航管理

47人

チューリッヒ本部

事務職

136人

――

合  計

368人

――

    〔注〕2014年5月現在

 余談になるが、いつぞや東京のある企業の勉強会に呼ばれてREGAの話をしたとき、聴いていた社員の中から「私もREGAに助けて貰いました」という声があがったのにはちょっとびっくりした。その女子社員によると、スイスでスキー中に転倒して足を折ったところ、すぐにヘリコプターが飛んできて病院へ運ばれた。飛行中の機内でストレッチャーに寝かされている間、心配だったのは骨折よりも「ヘリコプターの代金がどのくらいかかるか」ということだったとか。結果的には、ヘリコプターの費用も治療費も入院費も、ほとんど旅行傷害保険ですんだそうである。

REGAの誕生

 こうした航空救助はアルプス山岳地の遭難者の救助に始まった。1940年代までの山岳救助は、スイス・アルパイン・クラブなどのボランティアから成る救助隊が地上から現場に駆けつけることによっておこなわれていた。

 ヘリコプターが初めて使われたのは1952年12月、ヒラー360小型ピストン機で、けがをした遭難者を籠に入れて機体の下に吊し、山の麓まで搬送した。

 そして1953年「スイス・エアレスキュー」が組織され、航空救助が本格化する。初めは固定翼機を使ったが、1960年代になるとヒラーやベル47G2といった小型ヘリコプターを使うようになった。

 1971年にはアルーエトVタービン機が登場する。購入費は全て寄付金だった。しかし日常の運航費は寄付だけでは間に合わず、スイス連邦や州政府が公費を出そうとした。しかしスイス・エアレスキューはこれを断わり、全国民に呼びかけて寄付を募りはじめた。その反応は予想外に大きく、この寄付金制度は上述のとおり今も続いている。

 こうしてスイス・エアレスキューの活動規模は徐々に拡大し、もはや有志だけの任意団体では収まらなくなって、1979年非営利の財団法人REGAに生まれ変わる。82年からはスイス赤十字の傘下に入って明確な位置づけがなされた。

 なお、REGAの“RE”はドイツ語のRettung(救助)、“GA”はフランス語のGarde(守護)から最初の2文字を組み合わせたものといわれる。ドイツ語とフランス語を話す人の多いスイスとしては分かりやすい説明だが、別の説もある。この次REGAの人に会ったら、もう一度よく聞いてみたい。

救急ジェットは日本へも飛来

 REGAの現用機は、双発ジェットのボンバルディアCL604チャレンジャーが3機、ヘリコプターのAW109SPダビンチが11機、EC145が6機。

 チャレンジャーはキャビン内部に医療機器をそなえて「アンビュランス・ジェット」と呼ばれ、長航続の飛行性能を発揮して地球上どこへでも、緊急事態におちいった自国民の救護や搬送に向かう。東日本大震災で来日したスイス救援隊の1人が急病になったときも、医師やナースの乗ったチャレンジャーがシベリア経由で地球を半周し、三沢基地まで迎えにきた。

 ダビンチはアグスタウェストランドAW109SPを基本とし、REGAの要求に応じてエンジン出力を上げ、機体重量を軽くして、アルプスの高山でも本来の能力を発揮できるように改良したもの。2009年から、それまでのA109K2に代わって導入された。最大離陸重量は3,175kg。巡航速度260q/hの飛行性能を持つ。

 EC145は、BK117ー2と同じもので、高空性能はダビンチに譲り、比較的標高の低い地域で使われている。エンジンはターボメカ・アリエル1E2(771shp)が2基。巡航速度はおよそ240q/h、運用高度限界は5,400m。機内が広く、航続性能も良い。

 こうしたREGAヘリコプターの救急出動は、チューリッヒの運航管理センターの指示によって、5分ほどで離陸する。搭乗するのはパイロットのほかにドクターとパラメディック。出動件数は年間1万件を超える。

 なお、REGAは国内34ヵ所に無線中継局を置き、高山を越えて全国どこでも電波が届く無線通信網を張りめぐらしている。これで本部と拠点基地と航空機との間でいつでも連絡をとることができる。また本部ではモニターを見ながらヘリコプターの動態管理が可能。ヘリコプターからも発着時刻や場所などの記録を自動的に送信し、何か不具合が生じたときはパイロットが緊急ボタンを押すだけで位置通報ができる仕組みになっている。

山岳遭難にもいち早く出動

 ところで昨年6月、日本の皇太子殿下がスイスを訪問され、首都ベルンにあるREGAのヘリコプター救急拠点を視察された。郊外の小さな飛行場の一角にあって、通常はパイロットとドクターとパラメディックの3人が待機している。

 ここは、私も何年か前に訪ねたことがある。当時の使用機はアグスタA109K2だった。ドクターは近くの大学病院から派遣されてきた人で、REGAの従業員ではない。勤務体制は3人とも24時間連続または48時間連続というから、まことに過酷。事務室の2階に寝室があり、寝泊まりをしている。出動要請のないときは昼間でも寝ていて構わない。

 皇太子殿下が、ここでどのような説明をお聞きになったかは分からないが、報道写真を見ると、山の遭難者や患者の吊り上げに使う寝袋を広げて、ホイストで吊り上げる仕草を、おそらくはドクターが演じている。

 この寝袋は「ペイシャント・バッグ」と呼び、患者を寝かせたときの底が固くなっていて、水平に吊り上げることができる。ヘリコプターが着陸できないような崖の下に遭難者が倒れているとき、先ずドクターがホイストで降りてゆき、応急処置をして寝袋に入れる。そして自分も一緒に引き上げてもらう。

 この場合、崖が高いときはそれに合わせてホイストの長さを変える。標準ワイヤは50メートルだが、それに最大170メートルの登山用ザイルをつなぐと、合わせて220メートルになる。これは東京都庁か池袋サンシャインビルの屋上から地上にいる人を吊り上げるようなもので、声は聞こえないし、人の姿もよく見えない。想像するだけでも難しさが分かるであろう。

 スイスの山の遭難事故は、その9割にREGAのヘリコプターが出動し、捜索や救助にあたる。このためアルパイン・クラブとREGAは緊密な連携をとっており、昼夜を問わずいつでも出動し、ほとんどの場合は軍や警察のヘリコプターよりも早く現場に到着する。つまりREGAは救急出動だけでなく、山の遭難救助にも重要な役割を果たしているのだ。


ベルン基地で吊り上げ救助の説明

毎年1週間の訓練期間

 こうした困難な出動任務にそなえて、REGAのヘリコプター乗員たちは日頃から徹底した訓練を重ねている。13ヵ所の各基地では年に1回1週間の訓練期間を設け、本部から指導教官を迎えて訓練をおこなう。たとえばホイストによる遭難者の吊り上げ、自分自身のホイスト降下、それも最長225mまでの降下である。

 またケーブルカーが故障してゴンドラの中に閉じこめられた観光客の救出、途中で止まったスキーリフトからの救出、霧の中の出動訓練など。むろんドクターも例外ではなく、ホイストによる降下訓練を受ける。なお、霧の中の出動は、それを抜けた高山に遭難現場があることを想定したものである。また地上の山岳救助隊、警察、消防、救急隊との合同訓練もおこない、関係者の誰もがけが人の応急処置からヘリコプターの扱い方まで学ぶ。

 すべては安全かつ有効に任務を遂行するためだが、それでも、この半世紀ほどの間に3件の事故が起こった。うち2件が死亡事故のようだが、詳しいことは分からない。というのは私自身、英語しか使えないからで、スイスで広く使われているドイツ語やフランス語でウェブサイトを検索すればもっと詳しいことが分かるかもしれない。

 ともかく、3件の事故のうち2件は1990年代、1件は2008年であった……と書いているところへ、偶然にも、この2月26日にAW109ダビンチがハード・ランディングというニュースが入ってきた。乗っていた3人が重軽傷を負ったらしい(表3)。原因は「機材の不調か」などと書いてあるが、本当のことは未だ調査中で、よく分からない。

表3 REGAの事故

日  付

機 種

場  所

事故の概況

1993年2月16日

AW109K2

ブオナス付近

湖水に墜落。パイロット死亡

1998年7月15日

AW109K2

ロドリノ付近

ケーブルに接触して墜落。パイロット死亡

2008年6月23日

AW109K2

サムダン

病院への着陸時

2015年2月26日

AW109SP

ウーリ州エルストフェルト

ハードランディング。3人重軽傷

「安全の文化」の醸成

 とはいえ、困難かつ危険な飛行をしているだけに、REGAの安全施策はわれわれにも大いに参考になろう。たとえばREGAには2人の安全担当者(セイフティ・オフィサー)が任命されている。1人はパイロット、もう1人はパラメディックで、彼らは当然のことながら、外部の訓練機関で専門的な安全管理訓練を履修している。そして本来の任務をこなしながら、一方で安全管理の役割を果たす。

 そのひとつは現場査察。13ヵ所のヘリコプター拠点を1年に1回ずつ見てまわり、24時間滞在して、みんなの仕事ぶりを見ながら必要に応じて助言する。

 もうひとつは安全報告制度。航空機の飛行中、整備点検中、その他の地上作業中、誰かが何かの不具合を見つけたときはREGA内部のイントラネットによってセイフティ・オフィサーに報告する。その報告は他の人には見られない仕組みになっており、また罰則のために使われることもない。

 報告されたデータは「エア・セイフティ・レポート」(ASR)と呼ばれ、セイフティ・オフィサーが急ぐ必要があると思ったならば、報告者の名前を消して、直ちにREGA内部の全員に伝え、注意を喚起する。さらにASRは4ヵ月ごとにまとめて公表される。

 またセイフティ・オフィサーは年に2回、各部門の代表者から成る委員会を開き、ASRの中の主要な問題について改善点を討議する。これまでの実績ではASRの約6割が何らかの処置の対象となった。たとえば、乗員の注意喚起のための通報、作業要領の変更、機体の改修、訓練内容の変更など。そうした結果は年に2回、REGAの各拠点に文書として配布し、REGAの人員はもとより外部の関係者へも周知をはかる。

 REGAは、不具合報告制度こそは飛行の安全を確保するための最も重要な基本条件と考えている。この制度によって、誰もが危険や安全に関心をもつようになり、日常業務の中で何を見ても、たとえそれが自分の担当する分野以外の問題であっても、安全上良いか悪いかを考える。むしろ岡目八目によって、他者の分野こそ問題がよく見えるかもしれない。それを誰からもとがめられることなくセイフティ・オフィサーに報告し、その結果が専門家によって改善され、危険の排除につながる。

 REGAの人びとは、こうした安全報告制度によって、安全意識が自然に高まり、ふだんの行動も安全に注意するようになる。いわゆる「安全の文化」の醸成である。

「障害物撤去」のプロジェクト

 もうひとつ、REGAはかねてから「障害物撤去」のプロジェクトを進めている。救急機が飛ぶ低空域には、空中ケーブル、送電線、索道、アンテナなどが至るところに存在する。これらは航空法の定めによって、規定以上の高さにしてはならず、それを超える場合は危険標識をつけるなどの安全策を講じなければならない。しかし法律に適合しない障害物も少なくない。特に使われなくなった索道などが昔のまま山の中に放置されていたりする。

 こうした障害物の「撤去運動」を、REGAは2001年スイス空軍と共に開始、民間航空局やヘリコプター会社の賛同も得て展開した。メディアや直接の手紙などで所有者に撤去を申し入れ、最初の数年間で300ヵ所ほどの障害物を取り除いた。

 日本でも昔、ヘリコプターの農薬散布が盛んにおこなわれた頃、毎年決まったようにヘリコプターが電線に触れ、死亡事故を起こした。当時われわれは「電線はヘリコプターの天敵」と考えていたが、農薬散布が下火になってからも報道取材中のヘリコプターが索道にぶつかるなどの事故が絶えず、たとえば2004年3月長野県で報道用のヘリコプターが送電線に触れて乗っていた4人が死亡した。

 また2010年8月には海上保安庁のベル412が瀬戸内海の島から島へ張り渡してあった送電線に接触、搭乗者5人が全員死亡という事故が起こった。そして、つい最近、本文執筆中にも三重県で物資輸送中の大型ヘリコプターが送電線に触れて墜落、乗っていた2人が亡くなった。今年3月6日のことである。

 アメリカでも1996年から2000年までの5年間に「ワイヤーストライク」事故が50件発生という記録が残っている。そのうち15件(30%)は死亡事故、9件は重傷事故、10件が軽傷だった。そこで彼らは機首の上下に、ご存知ワイアヤーカッターを取りつけた。

 私のかつての勤め先でも、アメリカから買い入れた中古機にワイアヤーカッターがついていた。そのヘリコプターを、そのまま使っていたところ、電力会社の作業現場で「これで電線を切るつもりか」と怒られたらしい。半分は冗談だったのだろうが、電力会社のご機嫌を損じないようにするためか、日本では余り見かけない。

 たしかに、こんなもので効果があるのか、気休めではないかとも思うが、米陸軍によれば「生存率9割の効果がある」としている。メーカーも2万台以上を売ったらしい。


ヘリコプターの機首上下に取りつけたワイヤーカッター
これをヘリコプターの飛行速度と同じ速さで電線にぶつけると
確かに、包丁でソバでも切るように電線が切れる。
そんなデモンストレーション実験を見たことがあるが、
うまく電線がカッターの隙間に入ってくれるかどうか。

法規の改正が必要

 ワイヤーストライクを避けるために、最近はレーザーレーダーを使ったり、電線の発する電磁波を探知して警報を発する装置も出てきた。しかし、これだけで万全というわけにはゆかず、最後はどうしてもパイロットの目に頼らざるを得ない。といっても、細い電線は背景に溶けこみ、風防が光ったりするので、どうしても見えにくい。

 それでも見えるようにするには電線や索道に危険標識をつけるほかはない。航空法第51条の2には昼間障害標識の規定があり、それを受けて航空法施行規則第132条に「直径0.5メートル以上の球形で、赤又は黄赤の一色である標示物と白の一色である標示物を交互に45メートルの等間隔に設置すること」と定められている。読みにくい日本語だが、要するに空中高い位置に張られた電線には、赤と白の大きなボールを交互に取りつけることというのであろう。

 しかし、実際に取りつけてあるところはほとんど見かけない。つけなくても法律違反でないとすれば、どこかに取りつけ免除の但し書きがあるのかもしれない。まことに不可解である。そのような免除の規定は今すぐ取り消して、送電線や索道には必ず危険標識をつけなければならないとする法規に改めるべきではないだろうか。

 ヘリコプターは低空で仕事をすることが多い。だからといって諦めてはならない問題である。日本でも法規の改正に加えて、スイス同様、何らかの手をうつ必要がある。最良の方策は電線を地下に埋設することだが、日本では送電効率が悪いとか埋設費がかかり過ぎるなど、電力会社の一方的な言い分によって、埋設率は先進国の中で世界最低である。また埋設の目的を、景観を良くするためと考える人も多いが、たとえば地震や台風で電柱が倒れたりすることを考えても、最大の目的は安全のためにほかならない。

 現状のままでは今後なお、同じような危険が続き、事故が繰り返されるであろう。


ワイヤーカッターをつけて雪上に接地するREGA機

(西川 渉、『ヘリコプター・ジャパン』誌2015年3月号掲載)

【追記】
 REGAは去る4月10日、カナダのボンバーディア・チャレンジャー650双発ジェット・ビジネス機を3機発注した。金額は1億3000万米国ドル。この中には、救急医療のための機内改造費も含まれる。2018年に引渡され、現用3機のチャレンジャー604に取って替わる。なお、REGAが初めてチャレンジャーを購入したのは1982年だった。2002年からは今のチャレンジャー604を購入して、現在は3機。次世代のチャレンジャー650は、REGAの長距離患者搬送をさらに強化発展させることとなろう。航続距離は7,400km。GEエンジン2基を装備する。

【関連頁(世界のヘリコプター救急)】
   <ロンドンHEMS>大都会のヘリコプター救急(2015.2.18)
   <ADACOPTER>ドイツ・ヘリコプター救急発展の足跡(2014.12.8)

 


ベルン基地から出動するA109K2。行く手の山には薄い霧。
何年か前に筆者訪問時に撮ったもので、今はA109SPダビンチに変わっている。

    

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