女性の進出と報道サイト

 

  

 一昨28日夕刻ドイツから戻ってきました。1週間足らずの短かい旅でしたが、フランクフルトでルフトハンザ航空の取材をしました。

 これには世界中から100人前後のジャーナリストが招かれたもようで、最終日には全員そろってユルゲン・ウェーバー会長の昨年1年間の業績発表を聴きました。その前後、私はアジア地域7か国の記者団にまじって行動しました。取材の結果はこれから整理するところですが、ここでは旅行中に感じた3点をメモしておきます。

 一つは、アジアからやってきた記者たちの半数が女性だったこと。これにはちょっと驚かされました。

 記者は1か国から1人ずつ招かれていて、メディアとしては決して航空専門紙誌というわけではありません。たとえば中国の「人民日報」(英語ではピープルズ・デイリー)、韓国の「韓国日報」、タイの「ザ・ネーション」、フィリピンの「ビジネス・ワールド」、インドの「ザ・タイムズ・オブ・インディア」、シンガポールの「ストレート・タイムズ」といった各国の代表的な新聞で、なぜか日本からは私が加わったわけです。

 この人びとは、日本式にいえば経済部、政治部、国際部、社会部などの記者たちです。航空専門の記者は1人もいません。話をしていてもそれが却って面白く感じられました。

 このうち中国、フィリピン、シンガポールの記者が女性でした。それに、アジア記者団7人をまとめてアテンドするためルフトハンザのシンガポール支店から派遣されてきた広報担当も女性。つまりアジア・グループ8人のうち半数が女性というわけです。

 私は、女性問題については「偏見」を持っていて、特にアジアの伝統では、婦人は家の中で静かに落ち着き、家庭を守り、育児をすることが重要な役割ではないかと思っております。なにしろ男は一歩敷居をまたぐと7人の敵がいます。その敵に立ち向かって立派に槍働きをするには、女房が後顧の憂いなく家を守ってくれなければなりません。

 しかるに山内一豊の妻がみずから槍をもって飛び出してきたのでは、一豊たるべき男はどうしていいか分からなくなる。子どもも置き去りになって家庭が崩れ、天下の乱れるもとになり、ついには国を滅ぼすのではないかと思うほどです。ところが、ここにやってきた女性たちは朝からよくしゃべり(英語で)、笑い、訪問先では絶え間なく質問を発し、忙しくメモを取り、男よりもよほど活発に行動しておりました。

 フィリピンの女性記者は「あたしがいない間にエストラーダが逮捕されちゃった。早く帰らなきゃ」などと陽気な冗談をとばすほどです。


(アジア諸国の女性記者たちと)

 考えてみれば、このような取材をしたり、文章を書いたりするのは、なにも力仕事をするわけではないので、むしろ女性に適した仕事かもしれません。アジアも変わったというか、実はかなり前から世界中がそうなっていて、単にこちらの認識不足だったというべきでしょう。

 折から日本では、新しい内閣が発足し、閣僚の中にも5人の女性が入りました。省庁再編によって大臣の人数が減った中で、女大臣が増えたわけですから、政治的にも女性の進出はめざましいものがあるといっていいでしょう。まことに恐ろしい時代になったものです。

 とりわけ田中真紀子の外務大臣はヒットではないかと思います。否定的な意見もありますが、いずれは総理大臣という呼び声も聞こえてきます。本頁でもかつて「田中真紀子首相待望論」を4度にわたって書いたことがありますが、それがいよいよ現実味を帯びてきました

 ただし真紀子女史には男まさりの強い個性を打ち出す一方、女性らしさを失わず、日本的なたおやかな一面も見せてもらいたいと思います。そうすれば外交交渉の相手もコロッといくのではないか。北方4島は戻り、北朝鮮はミサイルをひっこめ、中国は教科書問題などの内政干渉をやめるだろうと期待しております。

 もうひとつ、今回の旅行中に感じた第2点は、自民党総裁選の結果や組閣の詳細が、なかなか分からないということ。国の外ですから当然ではありますが、肝心なときに日本を不在にしてしまいました。それでも、なんとか日本のニュースを知りたいと思い、毎日ホテルに戻るとテレビのスィッチを入れ、沢山のドイツ語放送の中から英BBCと米CNNを選んで見ておりました。

 その結果、時間帯によっては日本の政局がトップで報じられることもあり、その中でどうやら小泉総裁が選ばれ、首相になったらしい。翌日には田中真紀子が外相というようなことも分かりましたが、たとえば総裁選で亀井候補が下りたのかどうか、票数はどうだったのか、決戦投票はあったのか、田中以外の閣僚は誰なのか、そういう細部が分からない。

 新聞も、フランクフルト滞在中は「ヘラルド・トリビューン」と「フィナンシャル・タイムズ」を読んでいましたが、多少の論評はあっても投票の結果や閣僚名簿みたいな事実関係は、どこにも書いてありません。むろん外国紙としては当然のことですが。

 日本にいれば何でもなく、日常的なテレビや新聞から自然に入ってくるニュースです。けれども、それが分からないとなれば、ますます知りたくなる。結局、ドイツを離れる日の昼過ぎ、ルフトハンザ航空のプレス・センターでインターネットを見ることができて、これで気持ちがおさまりました。

 つまり日本の新聞をインターネットで読んだわけです。ただしドイツ語表示の画面から日本の新聞にたどりつくまで15分ほどかかり、一時はあきらめようかとも思いました。というのは、先ず自分のホームページ「航空の現代」を呼び出そうとしても、キーボードの記号表示が異なるために「~aviation」の上波(~)が出てこない。

 この記号はまことに厄介で、いつぞやも友人から変なサイト名をつけるからアクセスできないと叱られましたが、これはプロバイダの決まりに従っただけ。私が設定したわけではないのですが、たしかに困ったものです。

 それでも、しつこく操作していると何かの拍子に偶然同じ記号のついたサイトを見つけました。そこから上波をコピーして、こちらのURLを作成し、いよいよ「航空の現代」を呼び出すのに成功したというわけです。

 ところが次は、画面の文字化け。ドイツのパソコンですから当然と思いつつも、念のためにブラウザのフォントの指定と思われるあたりをつついてゆくと、思いがけず立派な日本文字が出てきました。

 さては世界中のジャーナリストを集めた業績発表ですから、プレス・センターの30台ほどのコンピューターにもわざわざ日本語フォントを入れてくれたのか。それとも最近のウィンドウズ・ソフトには初めから日本語が組みこんであるのか。私は後者ではないかと思いますが、ビル・ゲイツもそこまでは気がきかないという意見もあって、よく分かりません。

 ともあれ日本語が出てきたので、すぐ朝日新聞サイトにアクセスしたところ、今日ただいまのニュースしか出てこない。わずか2日前の投票結果や閣僚名簿も消されてしまっている。そこで「佐賀新聞」が過去のニュースも見せてくれることを思い出し、数日前にさかのぼって総裁選や閣僚人事の結果を詳しく読むことができたというわけです。

 以上により、ここで言いたいことは、前にも本頁で書きましたが、佐賀新聞のような奇特な例外を除いて、日本の新聞サイトは今日のニュースしか見せてくれないということです。つまり、日本のジャーナリズムというのはきわめて刹那的でしかない。現在の事象が過去のいくつもの出来事や条件が重なり合って現出していることを考えず、歴史も何にもない根なし草のような扱いをしている。

 このようなやり方は、サイトの組み立てとして不充分であるのはもとより、せっかくのインターネットのハイパー特性をも生かしていないことになる。ところが先進国の報道サイトを見ると、たいていは新しいニュース記事の前後に関連項目がいくつも並んでいて、それをクリックしてゆくとどんどん過去にさかのぼっていける。

 一と月前のことでも1年前のことでも、関連記事が次々とあらわれて、今日の事件に至る過去の経緯や背景がよく分かるようになっている。私の好きな一例は、たとえばBBCのサイトですが、実に良くできています。なんと今日でも総裁選の投票風景を報じるテレビ・ニュースの動画面を見ることができます。

 最近気がついたのはTBSのニュース頁で、ここは過去1週間分の簡単な記事と、音声つきのテレビ画面を見ることができる。今回の閣僚たちが入閣後初めて記者会見をしたときのもようも1人8分ずつくらい、長々と見ることができます。そのとき日本にいなかった私としては、まことに有難い仕組みでした。

 かくて、口先では念仏のように報道の使命を唱えながら、やっていることは拝金主義と覇権主義のもと、大衆扇動的な紙面と薄っぺらなウェブサイトしかつくることができない――それが日本の大新聞の現状ではないかと思う次第です。

 などと愚痴をこぼしていてもしようがない。そこで感想の第3は、次の外国旅行からはノートパソコンを携行し、いつでもどこでも日本のニュースがインターネットで見られるような態勢をととのえる必要があるかもしれない、などと考えるに至りました。旅の荷物がますます重くなりそうです。

 (西川渉、2001.4.30)

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