2000年問題の検証が必要

 

 一体ぜんたい「2000年問題」とは何だったのか。世界中が大騒ぎをして、対策を講じたから何にも起こらなかったのか。それとも元来そんな問題はなかったのか。

 もし問題を放置しておけば、電気や水は停まり、電話は通じなくなり、電車は動かなくなり、飛行機は墜落し、銀行預金は消えてなくなり、病院では患者さんの生命維持装置が作動しなくなり、原子力発電所から放射能が漏れ、核弾頭をつけたミサイルが発射されて、人類はついに滅亡するような騒ぎであった。

 米大統領を初めとして、日本の首相までがテレビ・コマーシャルの時間を買って国民を脅し、煽り立てた。その結果、年末には七輪や練炭がよく売れたというから、買った人はこれからどうするつもりだろう。私も急に不安感がつのり風呂桶いっぱいに水を溜めたものである。

 政府の方も、アメリカ国防総省は臨戦態勢さながらの陣容を組み、日本では首相官邸に危機管理本部が設置された。しかるに何事もなかったのは、そういう対策が功を奏したからなのか、それとも元もと問題がなかったのか。

 そう考えると、何にもなかった、ああよかった、おめでとうございますだけではどうも落ち着かない。読売新聞は元日の夕刻「2000年問題安全宣言――生活への影響なし、政府発表」という大きな見出しの号外を出したが、宣言だけで納得することはできない。もっと分かりやすい、胃の腑に落ちるような説明をしてもらいたいものである。

 ここまでは1月1日夜に書いたものだが、今日3日までの新聞では原発関連の故障が報じられている程度で、世界的に大きなトラブルは起こっていないらしい。余談ながら、ここでも再び日本の原子力に関する技術レベルの低劣なことが露呈したことになる。先般来何度も書いたように、わが国のエネルギー政策は根本的に見直すべきであることがいよいよはっきりした。

 それはともかく、一方で2000年問題が本当に存在していたのかという疑問はまだ拭いきれない。幽霊の正体は枯れ尾花ではなかったのかなどという疑問を発すると、対策に苦労をしてきた人びとに叱られるだろうから、新聞もテレビも疑問を呈しているところは、どこにもない。

 誰もが異口同音によかった、よかったというばかり――かと思いきや、流石にアメリカでは日本と違って、反対意見も堂々と表明されていた。1月2日付けの『ロサンゼルス・タイムス』である。そこには「Y2Kに対する過剰反応」と題して要旨次のような署名記事が見られる。

 

 コンピューターの誤作動問題には、これまで何年もかけ、何十億ドルも費やして対策作業がおこなわれてきた。しかし、いよいよその日になって米国は技術的安全を確保するために過剰反応をしたのではないかという疑問がわいてくる。

 米国の企業と政府は、問題解消のために推定1,500億ドルから2.250億ドル(約24兆円)を費やした。それに対してロシアや中国は比較的わずかな費用をかけたにすぎない。ロシアの場合はおそらく米国の100分の1であろう。英国政府は米国政府の84億ドルに対して10分の1以下の6億9,500万ドルしかかけていない。

 それでも彼らは立派に年越しができた。米国は心理的な恐怖感にかられて、大した根拠もないのに多大の費用をかけすぎたのではないか。学者や専門家は、これまで繰り返しY2K対策が不十分だと言い続けてきた。しかし今になって、学者の中にも「たしかに金をかけ過ぎたかもしれない。無駄な部分があったことは疑いない」という人も出てきた。

 アメリカでは、対策のために費用や時間をかけていない海外から問題が起こるといわれてきた。しかし何のことはない、そういう国でも形ばかりの待機をしていたコンピューター・オペレーターたちはあくびをしながら年を越したのである。

 2000年問題を大げさに宣伝してきたのは、コンピューターのコンサルタント会社であった。そこには利益誘導の魂胆があったのではないか。さらに企業の中のコンピューター部門の連中が自らの存在感を誇示し、多額の予算ぶん取りのために喧伝してきた例も少なくない。

 彼らは日常頻発するコンピューターの故障などはそっちのけで、無闇に忙しがっては、Y2Kと称する問題にかかりきっていたのだ。もっとも経営陣の方もコンピューター部門に対して、何か問題が起こったらお前たちをクビにするぞという圧力をかけたことは確かである。

 そうした騒ぎの中で、2000年問題のおそれがあるというだけでコンピューターを買い換える企業が増えた。そこで利益を上げたのはコンピューター・メーカーである。さらに訴訟大国アメリカのこと、ひょっとして自分のところのコンピューターが原因で社会的な混乱を引き起こした場合、それに対する賠償請求が怖い。そのときの対策について相談を受けた弁護士も大いに儲けたらしい。

 以上がロサンゼルス・タイムスの長い記事の一部である。余り忠実に訳して著作権問題が生じるといけないので、私なりに理解できた部分だけを超訳し、要約にとどめた。話を面白くするための誤訳がまじっているかもしれない。

 ただし数字は正確である。アメリカの対策費が24兆円だったとすれば、これはもうすさまじい出費だ。危ないといわれたアメリカの景気が崩れなかったのも、なるほど2000年問題に支えられていたためだったのだ。

 とはいえ、ロサンゼルス・タイムスも、この問題が騒ぎ過ぎだと言っているだけではない。この2〜3日の平穏無事は問題の1割ほどが経過したに過ぎない。これから本格的なトラブルが起こるかもしれないと書いている。日本でも1月4日の仕事始めからあとが怖いと書いた新聞が多い。

 それでも私には、狐につままれたか、オオカミ少年に騙さたのではないかという疑念が残る。ただし本当に対策の結果が奏功したのであれば、今回は朝野をあげての危機管理の訓練になったことは確かであろう。日本だって、原子力関連の分野を除いては、やればできるのだということが明確になっただけでも意義があったかもしれない。

 ところで今回の2000年問題に対し、日本政府はどのくらいの税金を使ったのだろうか。数字が明らかになっていれば知りたいものである。そして、その金額が民間企業にかかった費用と共に、妥当であったかどうかを検証し、明確にしておく必要があるのではないか。

 さらに対策の指示や作業の経過についても整理し、結果をまとめて、次の本物の危機に際して有効な対策を講じるための指針をつくっておくべきであろう。

(小言航兵衛、2000.1.3)

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