<エアバス>

A380の狂喜

 

 A380について、ニューヨーク・タイムズ(1月25日付)が「ドゴールならば、これでは小さすぎると言うだろう」という、からかい記事をのせている。「この奇天烈な披露宴は、いったい何ということだ。まだこの飛行機は飛んだわけじゃないんだぞ」と。 

「太りすぎた巨体の回りに、生気のない目をした人びとが5千人も集まって、賭博と歓楽の町アトランティック・シティでも見たことがないような奇妙なショーを見上げている。ストロボ・ライトが目まぐるしく走り回り、ミュージックがやかましくがなり立て、霧吹き器が煙のような霧をところ構わず噴出し、噴水の色水が空中で踊り狂う」

「死刑台のような舞台の上で、田舎くさいコーラスが始まる。スクリーンに羽ばたく鳥の影が映し出され、鳥肌だつような声が響きわたる。村祭りのサーカス小屋に入ったような感じだ」

 ドライアイスの霧の中へ天井から紙吹雪が舞い降りてくるところなんぞは、まさしく昔の「サタデーナイト・フィーバー」とでもいえようか。

 そんな空騒ぎの中で、ようやく化け物のようなカーテンが上がり、初めて組み立てられたA380が姿を見せる。けたたましい歌と踊りが終わって、儀式がはじまった。

 機体の回りに経済的、政治的な渦が巻き起こる。その渦を最初に掻き立てたのはフランスのシラク大統領。A380は「ヨーロッパ統合の象徴」であると、日本国憲法のようなせりふを語った。

 エアバス社の社長も「われわれはエアバスという名前の下で、ヨーロッパの歴史に最も美しい1頁を書き加えた」と、自己賛辞をぶち上げる。

 ここまでの開発費は160億ドル。すでに予算を上回り、重量も設計値を超えてしまった。けれども誰も、そんなことなど気にしちゃいない。

 つまり、フランスやヨーロッパの愛国心むき出しで、市場分析などはそっちのけ。「やった、やった。ボーイングよりでかいものを作ったぞ」という、子供じみた叫び声なのだ。

「同じようなせりふを40年前にも聞いたことがあるのを思い出した」と記者は書いている。それはコンコルド計画が発表されたときである。あのときも経済的な可能性は大した問題ではなかった。子供が新しいおもちゃを欲しがるような、夢だけで計画が動き出したのだ。

 その結果、もちろん実物はできた。けれども経済的には失敗し、技術的にも後が続かなかった。

 A380によって航空の世界が変わるという。だがコンコルドのときも同じ言葉が聞かれた。

 果たしてA380はメーカーの採算が合うほど売れるのだろうか。それともボーイングがいうような「偉大なる失敗」に終わるのか。 

 ボーイングの歯ぎしりを代弁するようなアメリカの新聞記事である。

【関連頁】

   A380の希望(2005.1.21)

   A380の前途(2005.1.20)

   A380の披露(2005.1.19)

(西川 渉、2005.1.29)

 

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