<カナダ・ヘリコプター救急>

トップの不祥事から死亡事故

 

 今から20年ほど前、カナダへ出かけた折りに運輸安全委員会(CTSB)の担当官と話をする機会があった。そのとき有視界飛行中のヘリコプターが天候の急変に遭遇すると危険な結果を招くという話題になり、いろいろやりとりをしたあげく、あとでCTSBの詳しい調査報告書を送るということで話が終わった。

 帰国してしばらくすると、たしかに“A Safety Study on VFR Flight into Adverse Weather”と題するA4版50頁ほどの文書が送られてきた。内容はまさしく、カナダで話し合った問題について調査検証した報告書で、日付は1990年11月。

 ここで取り上げるにはやや古いような気がして、その後の追加調査があるのではないかと探したが見あたらない。そのかわり、同じものをカナダ運輸省のウェブサイトで見つけた。当時はまだ報告書をウェブ上に掲載して情報を共有するなどというやり方はなかったが、今になって掲載されているところをみると、現在なお意味のある文書として扱われているのであろう。25年という時間の経過からすれば一種の古典的な調査研究といえるかもしれないと思い、ここにご紹介する次第。

天候急変に伴う事故

 調査の対象は、1976年から85年までの10年間にカナダ国内で発生したジェネラル・アビエーション――軍用機と旅客機を除く飛行機やヘリコプターの事故。そのうち気象の悪化に起因するのは、下表に示す通り352件。総数5,994件の6%であった。ところが死亡事故を見ると、総数761件のうち177件で23%。つまり、悪天候による事故は死亡事故になりやすいということで、事実この表が示すように気象事故の半分が死者を出している。同じように死者の割合も大きい。

カナダの般用機事故

事故件数

死亡事故件数

死亡事故比

死 者

全ての事故

5,994

761

13%

1,618 

気象関連事故  

352

177

50%

418

気象事故比

6%

23%

――

26%

 このように気象関連の事故が多いのは、カナダという国が北米大陸の北半分を占め、一部は北極圏に含まれるので気象条件が厳しい。そのうえ国土が広いにもかかわらず、人口は3,500万人ほどで、過疎地が多い。そのため航空機は必然的に長距離飛行が多くなる。飛行距離が長ければ、その間に天候が変わる可能性も大きい。上の表はそのように解釈することができよう。

 その裏付けとして、この表には示されていないが、送られてきた報告書の中に、気象関連の事故は山岳地や僻地で起こることが多く、全体の4割を占める。いっぽう気象に関連しない事故は山中の事故が2割強しかないと書いてある。

 それに夜間の事故も多い。カナダのジェネラル・アビエーションは、およそ1割が夜間飛行である。それと同じ割合で夜間の事故も全体の1割を占める。ところが気象関連の事故は夜間が3割――つまり同じ天候悪化でも、夜間の場合は昼間以上に危険な結果になるのだ。

 といって、気象事故を起こしたパイロットが特に未熟というわけではない。年齢、飛行経験、資格などは他の事故機のパイロットとほとんど変わらず、5分の1は3,000時間以上の飛行経験者であった。

25年前の安全勧告

 これらの数字は、しかし、30年以上前のもので、近年は相当に改善されているに違いない。その改善の結果、上の数字がどのように変わったか、はっきりしないのは残念だが、その改善のために何をなすべきか。本書による25年前の勧告は次のとおりであった。

 第1は、離陸前に気象予報をしっかり確認すること。特に長距離飛行の場合は天候の急変にそなえて確実な情報を入手しておく必要がある。途中で天候悪化の恐れのあるときは飛行を取りやめる。さらに夜間飛行の場合は昼間よりも気象条件をきびしく考えるべきだとしている。

 第2は訓練の徹底。夜間飛行の訓練だけでは不充分で、少なくとも10時間の計器飛行訓練を受け、正規の資格を取らないまでも、水平線が見えない状況でも正常な操縦ができるようになっておく。というのは夜間飛行中に操縦不能におちいって事故になった例は、その多くがヴァーティゴ(空間識失調)の兆候をきたしていた。視界が悪くなってもヴァーティゴにならぬためには訓練、経験、熟達が必要で、事故を起こしたパイロットの多くは、夜間飛行訓練を受けてはいたものの、計器飛行訓練までは受けていないものが多かった。

 ここで注意すべきは、計器飛行の技術は劣化しやすいということである。資格を取ったからといって、訓練をくり返さねば、いつの間にか元の木阿弥に戻ってしまい、いざというときにヴァーティゴにおちいる。特に夜間の場合は事故につながる恐れがある。夜間飛行中に悪天候に遭遇することは、実際にはさほど多くはないかもしれない。けれども滅多にないことに備えるのが重要なのだ。

 さらに本書は、機体の装備についても、さまざまな勧告をしている。装備品の進歩はいちじるしいから、25年を経た現在ほとんど実現しているであろう。

カナダのヘリコプター救急

 カナダという国は10州と3つの準州から成る。その自然環境は上に見たように航空機にとって極めて厳しい。そんな中で救急ヘリコプターが飛び始めたのは1977年であった。以来35年間、救急機の死亡事故はなく、2013年まで30万時間の安全飛行を続けてきた。

 この安全記録の背景にあるのは何か。ひとつはパイロットの2人乗務。機長の飛行経験は2,000時間以上、州によっては3,000時間以上で、多発機の機長として1,000時間以上、搭乗機種の機長として100時間以上という条件のほかに、計器飛行の資格が要求される。副操縦士は飛行経験500時間以上で、夜間訓練を終了し、やはり計器飛行の資格を持っていなければならない。

 気象条件も、有視界飛行は雲高300m、視程5km。夜間は視程8kmで、それ以下のときは計器飛行で飛ぶ。なおカナダの救急ヘリコプターは24時間体制で、夜間も出動する。そのためパイロットは夜間暗視装置(NVG)の訓練を修了していなければならない。

 使用機は計器飛行装備をした双発機。従来はS-76とBK117が主力だったが、近年はAW139が増えている。運航者は主として民間ヘリコプター会社で、費用は政府が負担する。もともとカナダは公的医療保険制度が確立していて、病院も9割以上が非営利の施設である。したがってヘリコプターの運航費も州政府が見積もり合わせの結果、1社だけを採用する。つまり州ごとにヘリコプター企業1社が救急任務を担当し、州内各地に飛行基地を設け、中心地に運航本部を置いて1ヵ所で全体の飛行を管理する。

 たとえば最も早くヘリコプター救急を導入したオンタリオ州は、カナディアン・ヘリコプター社(CHC)が最初はベル212、まもなくS-76に切り替えて運航してきた。1981年には州内3ヵ所に拠点を置き、2005年までの28年間に救護した患者数は、1977年の運航開始から14万人となった。

 カナダ全体では今から2年前の2013年初め、筆者の調べたところでは拠点数が約30ヵ所であった。カナダは米国よりも広い。ほぼ17%増の面積をもちながら、ヘリコプター救急拠点数は30分の1と極端に少ない。というのは、上述のとおり人口が少なく過疎地が多いので、救急医療のための航空機はヘリコプターと共に固定翼機が多く使われているからである。

 しかしヘリコプターの出動件数も少なくない。オンタリオ州の場合は1機平均で年間500件ほどであった。それに長距離を飛ぶことが多い。AW139やS-76、ベル412といった、通常の救急機より一と回り大きな機体が使われているのも、そのためである。


オレンジのAW139

不祥事が事故を誘発

 このようにして厳格な条件の下に飛び続けてきたカナダ救急ヘリコプターだが、2013年5月31日ついに安全飛行記録が破れるに至った。この日深夜、オンタリオ州のヘリコプター救急を担当するオレンジのシコルスキーS-76が墜落し、乗っていた4人が全員死亡した。パイロット2人とパラメディック2人で、患者は乗っていなかった。

 事故の状況は、S-76がオンタリオ州北部のムーソニー飛行場を飛び立った直後、2キロほど飛んだところで消息を絶った。このときの天候は高曇り。わずかに霧雨が降っていたが、視程は良く、飛行には支障のない気象条件であった。

 飛行場周辺の地形はほぼ平坦で、雑木林に覆われた湿地帯。その木立の中に墜ちた機体が見つかったのは6時間後の明け方で、直ちに救助隊の2人が飛行機で現場上空へ飛び、パラシュートで降下したが、生存者はいなかった。

 事故機はムーソニーから200キロ余り北方の町へ患者を迎えにゆくところだった。任務は病院間搬送で、交通事故や急病人のような緊急事態ではなかった。

 ところが、この事故に伴いオレンジそのもののスキャンダルが発覚、社会問題に発展した。オンタリオ州のヘリコプター救急は先にも述べたように、1977年からCHCが飛んできた。それが何故か、2005年、州政府傘下の非営利法人オレンジに変わったのだ。オレンジはORNGEと書く。ORANGEの間違いではないかと思うだろうが、わざとAの字を抜いてある。見た人に「おや?」と思わせ、憶えてもらうためだとか。発音はオレンジのままだそうだが、余りうまい広報手法とも思えない。機体の塗装はオレンジ色である。

 ともかくオレンジは、それまで28年間にわたって飛んできたCHCのS-76を中古機として買い取り、同社に代わって救急事業を開始した。同時に新しいAW139ヘリコプターとピラタスPC-12単発飛行機を10機ずつ、合わせて20機を一挙に発注し、事業拡大に向かって進みはじめた。これらの機体は2009年から引渡しが始まったが、2010年に経営トップの不祥事が発覚、警察の捜査を受けることとなった。その結果、財務上の違法が明らかとなり、一方で役員報酬が無闇に高かったり、公的資金が私的な蓄財に使われていたり、さらには機材の発注に際して裏金の受け渡しがあったのではないかといった疑惑を持たれるようになった。

 こんなことでは、安全かつ迅速な救命救急事業を進めてゆくことはできない。第一、オレンジの経営陣には航空事業の経験も知識もない。それが連日連夜、複雑かつ困難で危険な航空医療事業を一刻の休みもなく運営してゆくことができるのか。というので経営のあり方も問われるようになり、2012年末、経営陣が交替する。そして13年から新生オレンジとして発足、その半年後に事故が起こったのである。

救急患者の死亡も増加

 航空界では社長や経営陣が替わると事故が起こりやすいといわれる。社内の空気が変わり、社員めいめいの気持が揺れて落着きがなくなるからかもしれない。まさにその通りの出来事がオレンジの事故であった。

 1977年から30年近く、安全に飛んできたCHCが2005年からオレンジに替わると、最高経営責任者にクリス・マッザという外科医が就任、みずから年俸140万ドル(約1億4,000万円)という途方もない報酬を取り、親類縁者を要職につけたり、航空機の発注に際して裏金を受け取ったり、考えられないような事態が進みはじめた。

 当然のこと、従業員の気持ちも徐々に離反し、退職者が増えた。特にパイロットの退職は影響が大きい。新しいパイロットが入ってきても、すぐに緊密なチームワークが組めるはずもない。さらに、救急飛行という仕事に慣れていないばかりか、配属された担当地域の地勢にも慣れるまでに時間がかかる。

 このままでは安全が損なわれるという意見具申も、運航現場から経営陣に上がっていたらしい。しかし、改善の手はうたれなかった。その結果、事故が起こったあとのカナダ政府や州政府の調査、あるいは警察の捜査によって、さまざまな法律違反が明るみに出た。

 たとえばオレンジはカナダ運輸省の定める安全施策を守らず、社内に安全委員会をつくるという規則にも違反していた。またカナダ北部の特別飛行訓練、山間地の夜間飛行訓練もしていなかった。

 もうひとつ重要な問題は、オレンジの航空機で搬送された救急患者に死亡者が異常に多いことだった。死亡した患者40人について詳しく調べると、8人はさほど重篤な症状を呈していたわけではなかった。それが死亡したのは、オレンジの救急対応に問題があったと判定された。たとえばパラメディックや医師の不足または不在のために適切な救急治療ができなかったり、パイロットや機体不足のために出動が遅れたり、救急出動にかかわる運航管理体制に問題があったりしたというのだ。

五月闇の中のヴァーティゴ

 事故を起こしたムーソニー基地のパイロットたちも、救急飛行や夜間飛行の経験が少なく、オレンジとしての教育も訓練もほとんどなされていなかった。このままでは危険だという意見が社内の安全担当者から上層部に出ていた。しかし無視されたまま、パイロットたちは夜間の救急任務についていた。

 内部ばかりでなく、外部からもオレンジに対する疑問が出された。州議会の調査報告書には財務上のスキャンダルや運航上の安全にかかわる問題点が95項目も挙げられた。が、報告書自体が議会で論議されることはなく、政治的な理由で機密扱いとなった。それが公開されたのは事故の後である。

 事故機のパイロット2人も、充分な訓練を受けていなかった。夜間飛行の経験も乏しく、1人はまだ所定の認定試験に全て合格していなかった。そして、この2人がペアを組んだのも、このときが初めてだったという。

 彼らがカナダ北方の飛行場を五月闇(さつきやみ)の中へ飛び立ったのは深夜0時過ぎである。その出発準備のために、ヘリコプターを引き出した格納庫前のランプは明るい灯火に照らされていたにちがいない。ところが、そこから離陸するや、前方は雑木林の湿原で一点の灯りもない真っ暗闇だった。

 とたんに明るさに慣れた目が見えなくなる。漆黒の闇の中で天と地が溶け合い、パイロットたちはヴァーティゴにおちいった。平衡感覚を失って、機体の姿勢も昇降も分からず、計器を見ても指針が信じられなかっただろうが、そんな余裕もなかったはず。ヘリコプターは1分前後で木立の中へ突っ込み、大破して、乗っていた4人は即死した。

 カナダ運輸安全委員会が20年以上も前に警告した通りの事故であった。

(西川 渉、2015.11.10、ヘリコプタージャパン誌2015年4・5月号掲載)

【関連頁】 
   <カナダ救急死亡事故>めまい(2013.7.1)
   カナダ救急死亡事故(2)(2013.6.28)
   カナダでも救急ヘリコプターの死亡事故(2013.6.8)
   カナダ30年間死亡無事故(2009.5.25)


バーティゴのために雑木林の中を飛んだ
オレンジ・ヘリコプターの航跡を示す残骸

 

    

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