<航空医療学会>

高速道路着陸問題の経緯と展望

 

 

 昨秋の第11回日本航空医療学会総会で「緊急ヘリコプターの高速道路着陸は可能か」というパネル討論がおこなわれた。その討論で、筆者は野口宏教授(愛知医科大学)と共に司会の役を勤めたが、パネリストの皆さんの発言は、ほとんどが着陸は可能であると同時に、むしろ必要であるという論調が強かった。当然のことながら、日頃ヘリコプター救急の第一線で仕事をしている方ばかりで、さなきだに交通事故のけが人を前にして悔しい思いをしておられるからであろう。

 したがってパネル討論の結論も、高速道路への着陸を日常的に実行できるようにするため、具体的な方策を立てなければならないということになった。

 その内容については、本誌上でパネリストの先生方が論じておられるだろうから、ここでは高速道路への着陸問題に関する経緯を整理しながら、今後の展望を試みることとする。

交通戦争に最適の武器

 ヘリコプター救急の発端は、そもそも交通事故の犠牲者を減らすことであった。カーラーの曲線が示すように、心臓停止や呼吸停止などは時間的な余裕が少ない。それに対して交通事故などの外傷は出血多量とはいえ、比較的に余裕がある。そこでヘリコプターによって迅速な医療処置ができれば、間に合う可能性が高い。つまりヘリコプターが最も有効に働ける救急分野なのである。

 このことは、ドクターヘリが始まって間もないわが国の実績でも示された。平成16年3月に公表された「ドクターヘリの実態と評価に関する研究」(参考文献1)では、平成15年中にドクターヘリの救護を受けた重症患者のうち死者は542人であった。しかし、もしヘリコプターがなければ死亡したと思われる重症者は821人で、その差279人が「避けられた死」を免れたことになる。その比率は推定死者821人に対して34%になる。

 これだけでもドクターヘリのすぐれた成果といえるが、こうした実績の中から交通事故による重症患者だけに絞って調査したのが「交通外傷患者のヘリ搬送例分析」(参考文献2)である。それによると、死者83人に対して、ヘリコプターがなかった場合の推定死者は136人。39%の人が死を免れたのであった。ヘリコプターは他の疾患以上に、交通事故の救護にこそ大きな効果を挙げ得るということができよう。

 このような外傷に対するヘリコプター救急の効果については、特にベトナム戦争においておびただしい実績が重ねられた。その結果が交通戦争にも応用され、欧米諸国の日常的な救急体制にヘリコプターが組みこまれるようになったのである。

 したがって今から30年余り前、ヘリコプター救急がはじまった当初は、出動目的のほとんどが交通事故であった。交通事故は、もとより野外であり、事故現場の前後には長い道路が滑走路のように伸びている。ヘリコプターにとって、これほど都合の好い着陸条件はない。多くの国ではさしたる疑問もなく、道路救急がはじまったのである。

無為無策の犠牲者

 交通事故の救護にヘリコプターを使うか使わないかで、どれほど大きな違いが出るか。死者の数に4割近い差が出ることは上述の通りだが、もうひとつ、わが国では1970年、交通事故の死者がピークに達し、16,765人となった。それが8,326人まで半減したのが2002年である(参考文献3)。この間、30年余りが経過している。

 これに対しドイツでも、偶然のことだが同じ1970年、交通事故の死者が21,000人を超える最大値を記録した。その年から本格的なヘリコプター救急がはじまり、15年後の1985年には1万人へ半減、30年後にはほぼ3分の1にまで減少する。もとより一概に比較することはできないが、日本の半分以下の短期間で、死者を半減させたことになる(参考文献4)。

 こうした30年余りの間に、日本ではどれほど多くの人が冷たく固い路上で死んでいったか。1970年から2003年までの交通事故の死者は総数354,069人であった。これに上述の交通外傷者の搬送分析を当てはめると、ヘリコプターがあれば助かったはずの人が39%、すなわち約13万人にも上る。

 この推定根拠には多少の異論があるかもしれない。しかし、少なくとも10万人くらいの人は「避けられた死」ではなかったか。さらに上の死亡統計は、24時間以内の数値である。10年ほど前から30日内の死者も集計するようになったが、それを加えると15〜20%増になる。10万人という概算は、本当は少なすぎるのかもしれない。


2004年12月、未開通の高速道路でおこなわれたドクターヘリの着陸実験

旧態依然の救急車依存

 こうした実態を知ってか知らずか、わが国ではほとんど何の手も打たれなかった。むろん交通安全運動は四季折々の年中行事として繰り返されるが、いざ事故が起こったあとの手だては、いかに多くの屍(しかばね)が積み上がっても、旧態依然として救急車に頼るだけである。

 ヘリコプターを使えば有効であることを、日本人の誰も知らなかったのだろうか。もとより、そんなことはない。海外に旅行した多くの日本人が欧米各地でヘリコプター救急の実際を目撃したり、政治家、官僚、医師、その他の関係者がわざわざ調査団を組んで出かけて行ったりした。現に平成元年(1989年)3月、消防審議会が消防庁長官の諮問に答えた「消防におけるヘリコプターの活用に関する答申」(参考文献5)も、当時の西ドイツやスイスの例を引いて、わが国もそれにならうよう進言している。

 それより先、交通科学協議会が1981年から始めた一連の実験研究も、全て交通事故を対象とするものであった。この運航実験は1981年に川崎医科大学、90年に札幌医科大学、91年に東海大学、92年に再び川崎医科大学と場所を変え、方法を変え、時季や期間を変えて実施され、ヘリコプター救急の効果が確かめられた(参考文献6)。

 こうして、さまざまな調査や審議や実験がおこなわれ、その結果が公表されたが、国会も政府も自治体も誰も正面から取り上げようとせず、具体的な救急体制もしくは制度として形を成すには至らなかった。

重症者の頭上で待機

 そうした状況の中で、交通事故に関する無為無策の象徴ともいうべき最悪の事態が起こった。2003年6月23日のことである。この日午前11時10分頃、愛知県新城市付近の東名高速道路上で多重玉突き事故が発生、救急車と共にドクターヘリ2機が出動した。

 愛知県のドクターヘリは11時59分頃現場上空に到着、やや遅れて静岡県のドクターヘリも到着した。これより先、消防機関からは道路公団に対しヘリコプターの本線着陸承認を求めたが、許可が出ないまま時間が過ぎて、ヘリコプターは1機が約7分、もう1機が約10分間、上空で旋回待機したのち現場着陸を諦め、道路から土手を降りた先の空地に着陸せざるを得なかった。

 ヘリコプターで飛来した医療スタッフは、土手を駆け上がって道路のわきでトリアージをおこなう一方、担架にのせられた患者は大勢の人にかつがれて土手をくだり、ヘリコプターのそばで応急治療を受けることとなった。このときの死者は4人、負傷者は13人に上る(参考文献7)。

 この事態を今から顧みるならば、その反省点は車両12台が巻き込まれ、6台が焼損するという大事故であるにもかかわらず、119番覚知(11時12分)からドクターヘリの出動要請(11時38分)までに長い時間を要していること。そして最大の問題は、事故のために交通が止まり、その前方に広い道路があいているにもかかわらず、ヘリコプターの着陸が認められなかったことである。医師をのせたヘリコプターは瀕死のけが人を目の前にして、その上を飛びつづけたのだった。

 同じような事態は、ほぼ1年後の2004年5月27日、再び東名高速道路で起こった。静岡県三ヶ日トンネル付近で、7人が乗ったワゴン車が高速でガードレールにぶつかって横転、2人が車外に放り出されるという事故である。そのため静岡県のドクターヘリが出動し、ほぼ5分で現場上空に到着した。しかし、またしても路上着陸が認められず、ヘリコプターは10分間ほど上空待機をしたのち、やや離れた小学校の校庭に着陸、そこから医師と看護師が救急車に便乗して現場に向かった。

 救急治療が始まったのはヘリコプターの現場到着から約15分後、事故発生を知ってから30分後のことである。1年前の教訓は全く生かされていなかった。

国会でも論議はじまる

 こうした事態が起こるのは、かねてから警察、道路公団、旧建設省の間で、高速道路へのヘリコプター着陸は二次災害の恐れがあるので認められないという基本的な考えがあったためである。この問題は1999年、内閣内政審議室を事務局とするドクターヘリ調査検討委員会でも論議された(参考文献8)が、決着に至らず、高速道路のサービス・エリアやパーキング・エリアに緊急離着陸場を設けるという結論にとどまった。

 しかし、全国9千キロの高速道路沿いに、何ヵ所の臨時離着陸場を設ければ緊急事態に対応できるのか。仮に1キロおきに、上り線と下り線のそれぞれを考えてみても、気が遠くなるような整備をしなければならない。実現は不可能に近く、まことに非現実的な構想といわざるを得ない。

 ところが、こうした不合理な事態は少しずつではあるが、政界の注意を引くようになった。公明党は2003年11月10日の衆院総選挙に向かって、マニフェストの中に「救命医療の切り札、ドクターヘリを全国配備」の項目を掲げ「ドクターヘリ拠点を4年以内に3倍、10年後には各都道府県1ヵ所、50ヵ所の整備をめざす」と公約した。

 2004年4月には、同党代表の国会議員団が日本医科大学附属千葉北総病院のドクターヘリを視察、現場のもようを聴取して実態を調査した。その結果、6月の参院国土交通委員会で公明党からドクターヘリの高速道路本線上への着陸に関する質問が出て、小泉首相が「直接離着陸ができるよう各省庁が連携して取り組む」と表明するに至った。

 その2週間後、国土交通相は公明党の直接要請を受けて「本線着陸ができるようにする」と回答した。さらに10月、参院本会議で公明党の浜四津敏子議員が、ドクターヘリの導入促進と高速道路への着陸について質問、小泉首相は「ドクターヘリによる患者の輸送は有効であり、今後とも複数の県にまたがる広域運航や消防防災ヘリの利用も併せて普及させていく」と答弁した。同時に国土交通相もドクターヘリの「本線着陸が迅速・円滑に行われるよう関係省庁と連携強化を図り、ドクターヘリの積極的な活用に努めたい」と答弁している。

 最近は公明党ばかりでなく、自由民主党の中にも救急ヘリコプターの勉強会が発足、高速道路への着陸を含むドクターヘリの普及促進のためには、今後いかなる措置が必要か。場合によっては救急基本法の制定も必要ではないかといった論議がはじまった。

道路公団も新たな動き

 こうした動きに呼応するように、日本道路公団も新たな動きを見せはじめた。内部的な検討はつとに行われていたもようだが、その一つのあらわれとして2004年12月、愛知県豊田市の開通直前の高速道路でヘリコプターの離着陸を伴う大規模な訓練を実施した。同時多発事故により多数の負傷者が出るとともに、タンクローリー車から危険物が漏洩する危険ありとの想定で、重症者をドクターヘリで加療搬送する訓練である。

 訓練のもようは多数の国会議員も見守ったが、その終了後、近藤剛総裁はヘリコプターの高速道路着陸について「本線上でも着陸可能なところであれば、是非実施したい。現在すでに実施できるところまで来ており、今日の演習がこれを証明した」と、ヘリコプターを高速道路本線上で積極的に活用していく方針を語った(参考文献9)。

 加えて、ドクターヘリが着陸すれば本線が通行止めになるが、一般利用者の理解は得られるのかという質問に対して「人命は何ものにも代え難い。その点はお客さまにも理解していただけると思う。また交通規制のあり方と解除など、できるだけスムーズに行うという努力も一方で必要だろう。われわれもその面について努力するつもりだ」と述べた。

 その半月後、道路公団は茨城県竜ヶ崎飛行場で3機種のヘリコプターを使ってダウンウォッシュの測定を実施した。反対車線の走行車に対し、ヘリコプターのローター風がどの程度影響するかを確認するためだが、これも積極的な姿勢を示すものといえよう。

一つ覚えの「二次災害」

 さて、ヘリコプター救急の先進諸国では、拠点1ヵ所で年間平均1,000件前後の出動をしており、その3分の1が交通事故に対応するものと見られる。これを300件と見ても、拠点78ヵ所のドイツならば年間2万件以上、約500ヵ所のアメリカならば15万件以上の交通事故がヘリコプターで救護されていることになる。

 こうしたすぐれた効果を、日本は長年にわたって等閑視してきた。今もなお、小さな光が見えてきたとはいえ、いつになったら欧米なみの状態になるのか、はっきりしない。

 とりわけ高速道路への着陸問題になると、関係者の口からは必ずといっていいほど、一つ覚えの「二次災害」という4文字が出てくる。二次災害を恐れて救急をしないというのでは、何のための緊急機関か。その危険を克服し、緊急事態を救うことこそ本来の役目であろう。そこで考えるべきは、従来のように二次災害があるから着陸を許可しないとか断念するのではなく、如何にして任務を遂行するかということである。だからといって無闇に危険を冒してよいというのではない。

 高速道路が滑走路のように見えるとはいっても、実際は道幅がせまかったり、周囲に障害物があったり、人や車の交通があっては、ヘリコプターも着陸できない。道路の狭さや障害物はにわかに改めることはできないが、人や車の往来は一時的に止めることができる。その安全を確認しながら、ヘリコプターは救急現場に降りてゆけばよい。

 しかし、高速道路の交通規制はきわめて困難という。なるほど、多数の車が次々と高速で走ってくるときは難しいだろう。けれども、事故のために渋滞が起こっているようなときは、すでに自然に流れが止まりかけている。逆にそんなときに、救急車が渋滞をかき分けて現場に近づくのはむずかしい。ヘリコプターの出番である。

 救急ヘリコプターが事故現場に近づいたときは、走っている車も速度をゆるめ、現場付近では停止するような習慣をつけることが大切である。このことはヘリコプター救急が日常化すれば、自然に人びとの身につくはずだ。現に普通道路では、後方から救急車がくれば速度をゆるめて左へ寄り、必要があれば停止して道をあける。ヘリコプター救急の場合も同じことである。

 また高速道路には、随所に電光掲示板がある。そこに事故の発生を掲示することは今もおこなわれているが、救急ヘリコプターの飛来を予告したり、速度を落として停止を求めたりすることもできるであろう。

「死者半減」も早くなる

 それでも二次災害の危険は残る。その危険性を最終的になくすのは、ヘリコプターと地上関係者との連携にほかならない。連携のためには相互の直接の無線通信が必要となる。すでにドクターヘリと救急隊員や救急車との通信は可能だが、警察官やパトカーとの通信はできない。道路規制が警察の管轄であるとすれば、これを可能にしなければならない。

 警察無線は犯罪捜査にかかわるので公開できないという話も聞いた。それならば別の周波数を割り当てるべきであろう。ロンドンの混雑した市街地に救急ヘリコプターが日常的に着陸できるのは、野次馬を排除し交通を規制する警察官とヘリコプターのパイロットが直接交信できるからである。

 さらに全国の高速道路について、ヘリコプターの着陸可能な区間または地点を、あらかじめ調査選定しておく必要があるかもしれない。それにはGPS衛星からの電波信号を応用した地理情報システム(GIS)を使った手法が考えられる。これを使えば比較的容易に、着陸適地の選定ができるにちがいない。あらかじめ基準を定めておけば、道路および周辺の障害物の有無や高さをコンピューターが精密に判定し、適否を色分けして地図上に表示することも可能であろう。

 そのうえで、このような道路地図を警察、消防、道路公団、病院、パイロットなどが持っていれば、事故現場に最寄りの着陸地点を即座に判定することが可能となる。

 こうして、われわれはあらゆる手段を尽くして二次災害を克服し、ヘリコプターによる交通事故の救急が日常的におこなわれるような体制を一日も早く組み上げる必要がある。それが実現したあかつきには、冒頭に見たように、犠牲者の数は大きく減るであろう。小泉首相のいう「10年間で交通事故死半減」(参考文献10)という目標も、もっと早く達成できるにちがいない。

【参考文献】 

  1. 益子邦洋ほか「ドクターヘリの実態と評価に関する研究」(平成15年度厚生労働科学研究、平成16年3月)
  2. 益子邦洋ほか「交通外傷患者のヘリ搬送例分析」(HEM-Net研究報告書、2004年6月)
  3. 内閣府「交通安全白書<平成16年版>」(2004年6月)
  4. 西川渉・山野豊「独逸ヘリコプター救急制度の淵源」(日本航空医療学会雑誌、2004年11月)
  5. 消防審議会「消防におけるヘリコプターの活用とその整備のあり方に関する答申」(平成元年3月20日)
  6. 小濱啓次「ドクターヘリ」(へるす出版、2003年12月1日)
  7. HEM-Net「東名高速道路多重玉突き事故事例検討会報告書」(HEM-Net、平成15年8月)
  8. 西川渉「ヘリコプターは銀座通りにも着陸できる」(日本航空医療学会雑誌、2001年10月)
  9. 「日刊航空通信」(日本航空新聞社、2004年12月11日付)
  10. 小泉純一郎「交通事故死者数半減達成に関する内閣総理大臣(中央交通安全対策会議会長)の談話」(首相官邸、平成15年1月2日)

    (西川 渉『日本航空医療学会雑誌』2005年5月号掲載)


    ちょっと危ない光景――ドクターヘリが離陸しようとしたとき、
    消防隊員の一人が機体の真正面に立ってマーシャリングを始めた。
    これでは、その人が障害になって、ヘリコプターが離陸できない。
    見ていた人の中には、ヘリコプターがエンジンを回したまま
    いつまでも飛ばないため、何をぐずぐずしているのかと思った人もいたにちがいない。

    [追記]

     日本道路公団による救急ヘリコプターの飛行実験は、上に書いたように昨年12月二度にわたっておこなわれた。本頁の写真は全てそのとき撮ったものである。ところがこの5月28日、静岡を通る東名高速道路で三度び実験を兼ねた着陸訓練がおこなわれるとのこと。

     念には念を入れるという慎重ぶりには感服のほかはないが、研究、調査、実験を繰り返してばかりで、いつになったら高速道路における日常的、実践的なヘリコプター救急がはじまるのだろうか。実験と検討が重ねられている間にも、一方では多くの助かるべき命が失われていることを忘れてはなるまい。

    【関連頁】
     救急体制ができていない

     いつまで待てばいいのか

    (西川 渉、2005.5.23)

     

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