<ヘリヴィア>

初めて人を乗せて飛ぶ 

 初めて人を乗せて地面を離れたヘリコプターはフランス人ルイ・ブレゲーが1907年につくった「ジャイロプレーン」1号機だった。複葉の羽根を十文字に組み合わせた大きなローターが4つ。ブレード数は32枚という複雑な構造を持ち、50馬力のアントワーヌ・エンジンで、体重の軽い男1人を乗せて地面から60センチほど上昇、そのまま2分間の浮揚を続けた。もっとも操縦性が不充分だったため4人の助手が機体の四隅を支えていなければならず、真の自由飛行とは認められなかった。


ブレゲーの「ジャイロプレーン」1号機

 しかし2ヵ月後の1907年11月13日、同じフランス人のポール・コルニュが直径約6メートルのローターを機体の前後に取りつけ、みずから操縦席に乗りこんで飛行した。総重量260キロの機体は4つの車輪が同時に地面を離れ、30センチほどの高さに約20秒間とどまった。この飛行は高さ1.5メートルだったという説もあり、操縦性や安定性はなかったものの、人の支えが不要だったので、人を乗せたヘリコプターの初飛行とみなされる。ライト兄弟の初飛行(1903年12月17日)から4年後のことである。


初めて人を乗せて飛んだコルニュのヘリコプター

エジソンの出力計算

 その後、多くの人びとが垂直飛行の実現に取り組み、さまざまな模型実験を試みた。あのトーマス・エジソンもその一人で、ローターの種類をさまざまに変え、それらを電気モーターで回しながら重量計につなぎ、各ローターの発揮する揚力を測定した。その結果、どんなに効率の良いローターでも、当時存在するエンジンでは最大70キロ程度の揚力しか発揮できない。逆に、ヘリコプターを飛ばすためには、重さが1馬力あたり1.2〜1.7キロ以下でなければならないという計算結果に達した。

 つまり、そのくらい軽くて強力なエンジンが実現するまでは、回転翼機も実現できないという結論になり、ヘリコプターの実験を中止してしまう。

 ここに回転翼の原理が何百年も前からわかっていながら、ヘリコプターがなかなか実現せず、ライト兄弟の動力飛行に先を越された理由がある。


ジャイロプレーン1号機の模式図

(西川 渉、2016.5.26) 

【関連頁】

  <ヘリヴィア―2>ローター機構の進歩(2016.5.21)
  <ヘリヴィア―1>らせん翼の着想(2016.5.18)
  <ヘリワールド2016>ヘリコプター博学知識(2015.11.26)

    

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