EMSとは何か(2)

 

 

 本頁に「EMSとは何か」について書いたばかりだが、それから1週間もしないうちに、あの説明は間違いだったかもしれないと思い知らされた。

 というのは、日本エアレスキュー研究会の特別講演のために来日したロイヤル・ロンドン・ホスピタルのリチャード・アーラム博士と話をしたときのこと、日本でも曲がりなりに消防防災ヘリコプターが救急任務に当たっていると言ったところ、医師は乗っているかと訊く。

 そして医師の乗っていない救急ヘリコプターは、本当の意味のEMS(Emergency Medical Service)もしくはHEMS(Helicopter Emergency Medical Service)ではないと言うのである。つまりEMSやHEMSにはM(Medical=医療)の字が入っている。しかるに医者の乗っていない救急機では、現場に行っても医療ができないではないか、と。

 アメリカの救急ヘリコプターには殆ど医者が乗っていない。けれども、それに代わるフライトナースやパラメディックが乗る。この人たちは3年間にわたって専門的な訓練を受けているから、救急治療に関する限り、なまじの医者よりはすぐれた腕を持っている。

 それに対して日本のパラメディック――救急救命士は法規によって医療行為が制限され、何にもできない状態にある。これではEMSとはいえないであろう。単なるHES(Helicopter Emergency Service)に過ぎないといって、Mの字を取り上げられてしまった。

 これからは、EMSという言葉も軽々に使えなくなったのである。

 といってアーラム博士は、一方的に日本の救急システムを難じているわけではない。英国もまた同じような問題をかかえていて、HEMSも不完全な状態にある。

 イギリスのヘリコプター救急がドイツやフランスにくらべて、なぜ遅れてしまったのか。私は労働党時代の福祉政策が余り完璧に過ぎて、これ以上政府予算を注ぎこむことができない。現状維持が精一杯で、ヘリコプターの導入が難しくなったのかと思っていた。ところが、アーラム博士によれば、それよりもサッチャー政権の時代に国民の健康を無視し、医療政策に無関心だったからだというのである。

 そのため医師や看護婦の給与はきわめて低く抑えられているし、国の予算で救急ヘリコプターを買うなどは飛んでもないこと。国民から取り上げた高額の税金は兵隊に払うばかりで看護婦には払ってくれないというのが博士の苦いユーモアである。

 

 どうも、この先生サッチャーを初めとする政治家が余程嫌いらしい。上のような議論をしているうちに、世紀末に当たって、20世紀の災厄は何だったかという話になった。アーラム博士のいう3つの災難は戦争と共産主義と政治家だというのである。

 私は、3つめに Japanese というのではないかと思って一瞬身構えた。10年余り前、この地球上にバイキンと日本人がいなければ人類の幸せは如何ばかりかという悪い冗談が、日本人以外の人びとの間ではやったことがある。日本人が世界中を肩で風を切って闊歩していた頃のことである。

 あの当時の余りの調子の良さにおぼれて、われわれ日本人もまた命の尊さを忘れ、金の卑しさだけを追い求めるようになってしまった。

 日本の本当のHEMSはいつ実現するのだろうか。

(西川渉、99.11.9)

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