<小言航兵衛>

政権交代せよ

 井戸塀政治家などという手垢のついた言葉は使いたくないが、その逆をゆくのが本書の主人公である。本の表題は『虚飾の支配者』(松田賢弥、講談社、2009年7月7日)。内容は、虚飾というよりは汚濁の支配者という表題が適する話ばかりで、こういう男が政界を牛耳り、日本を支配しているのかと思うと、空恐ろしい気がしてくる。

 というのも、この男ゼネコンを操り、忠誠心を競わせ、「逆らったら仕事がもらえない」と思わせ、巨額の金を巻き上げ、約10億円にのぼる不動産を買い集めているからだ。具体的な所業の内容は本書が詳しく描き出している。

 この男にとって、権力とはカネである。昔は、権力があれば清貧に甘んじ、カネがあれば権力は望まなかった。しかるに、この男、カネと権力の両方を手にして、それらを政治家として国民の貧困や失業の救済に使うのではなく、政治資金などといいながら、実は法の網の目をくぐって巨額の蓄財をはかってきたのである。

 そうしたカラクリのひとつに使われたのが西松建設であった。実態を隠したダミーの政治団体をつくり、それを通して政治家への違法献金(10年間で4,8億円)を繰り返してきたもので、結果として社長が逮捕された。

 つづいて主人公の秘書も逮捕される。いずれも2009年早春の頃である。さらに何人かの関係者が逮捕されたり、事情聴取を受けたりしたが、裏金の総額は20億円を超え、うち10億円は海外の工事から捻出し、あとは下請け業者から工事費を還流させたり、架空経費を計上したりしてつくったものだった。

 その大半は本書の主人公に渡されたが、この男2009年3月4日の記者会見で「秘書がつかまったのは合点が行かない」とか「お詫びする理由はない」とか「献金してくれる人がどこからカネを得たのか、そんなことを訊くのは失礼だ」とか「秘書を信頼しているので、政治献金の一つひとつをチェックするわけではない」などと語った。

 この記者会見を聞いた後援会の元幹部は「彼は猜疑心で凝り固まっていて、他人を信用しない。秘書といえども全幅の信頼など置いているわけがない。政治資金も決して秘書まかせにはしない。すべて自分で目を通し、チェックしている。昔からカネに対する執着は異様だった」と語る。

 だが西松事件は氷山の一角に過ぎない。鹿島建設といった大手ゼネコンから県知事や国会議員など、さまざまな企業や自治体や官僚や政治家がからみ合って巨大なネットワークを形成し、ダムや道路工事に投入される何百億、何千億という巨費を、主人公の「天の声」にもとづく談合によって山分けしているのだ。

 地元の知事選その他の選挙も同様で、その具体的なやり口は読んでいても厭になる。とてもここに書き写す気はしないが、その主人公とは汚濁まみれの小沢、すなわち汚沢である。

 問題は、このような汚沢の所業が犯罪にならないという不思議さである。東京地検は今年2月、この男の所業について不起訴の結論を出した。それに対して検察審査会が起訴すべきだという結論を出したことから、数日前に3度目の事情聴取がおこなわれた。何を訊いて、どんな答えを得たかは知らぬが、検察はこの男に対して腰がひけているのではないのか。

 罪を憎んで人を憎まずというが、相手が政権党の幹事長であろうと誰であろうと、ここは人を恐れずに罪状を明らかにしてもらいたい。本書に出てくる罪状だけでも万死に値するのは明らかで、検察がなぜ本書の著者や講演会の元幹部の話を聞かないのか不思議である。

 第一、法に触れるか否かという問題の前に、政治家としての倫理や生き方に恥を感じないのだろうか。

 汚沢について、本書はもうひとつ「裏から時の政権を操るのが彼の本性だ」と書いている。田中角栄が政界失脚後も隠然たる影響力をもち得たように、この男も同じ手口で政治生命を長らえようとしているらしい。

 選挙運動にあたっても、建設、土木、運輸の多数の業者から名簿を出させ、「政権交代」を旗印に掲げて、強引に突き進んできた。その結果まんまと政権を奪取したものの、その先の政策については語ることもなく、選挙に勝たんがための政略や政局ばかりである。

 しかも、そのやり口が恐怖支配だから、民主党自体がこの男との対決を避けようとする。そのような「民主党が、どうして国民を幸せにできるというのだろうか」

 それでいて、彼は「非常に気が小さい。それだけに権力をカサに着て強圧的になる」「自分に従わない相手を敵に見立て、攻撃し、打ち負かすことしか念頭にない」「これをしたいという戦略性はなく、ただ政権交代という言葉をもてあそんで、権力を手にしようとしているだけ」だ。

 最近は、この男の「存在自体が民主党のスキャンダルだ」という言葉まで聞かれるようになった。にもかかわらず、民主党は汚沢の言うがままを許し、振り回されるばかりで「政官業の癒着構造にどっぷりと漬かった政治家を批判できないまま」である。

 民主党は今や汚沢の私党になり下がった。このような私党に政権を預け、国政を託していいのか。党内の「政権交代」がなければ、次の選挙では必ずや国民から見放されるであろう。

 だが、こうした事態は民主党が国民から見放されただけで、正常に戻るとは限らない。今や日本が世界から見放されつつあるからだ。このような愚かな政権をいただく日本は、極めて危険な状態に立ち至った。

 第一にアメリカが日本を相手にせずと考えはじめている。そのスキを見て、中国はますます日本を抑えこもうと企みはじめた。最初のあらわれは、習近平副主席を無理やり天皇陛下に会わせろとネジこんできた一件で、朝貢外交をすすめてきた汚沢を手先に使って宮内庁に圧力をかけ、総理大臣命令として宮内庁を屈服させた。

 このように外交上の無理を押し通し、あえて押し込むことに成功したならば、押しこまれた方は明らかに「従属者」の位置に下がったことになる、と説くのは中西輝政教授の『日本の悲劇』(PHP、2010年4月30日刊)である。

 これで日中は対等ではなくなった。汚沢と破屠山の結論は一方でアメリカを激怒させ、呆れさせ、現政権を相手とせずと思わせることになった。そうなると米中ばかりでなく、ヨーロッパやアジアの諸国も日本の話を正面から聞こうとしなくなる。日本はいま国際的没落の寸前にまで、みずから追いこんできたのだ。

 ここで沖縄の米軍基地問題を持ち出すまでもない。破屠山の支離滅裂外交は、汚沢の権力指向と相まって、やがて日本を衰亡の縁(ふち)に引っ張ってゆくであろう。

 同じように日本の危機を憂うのは危機管理の専門家、佐々淳行護民官である。『わが軍師論』(文春文庫、2010年5月10日刊)の中の最新の書き下ろし「軍師も股肱の臣もいない……鳩山内閣は鵺(ぬえ)である」とする。頭は宇宙人、手足は元全共闘闘士と労組出身者、胴体は脂肪ばかりのメタボ。300人もの代議士がいながら全くものがいえない無駄な集団と化している。その発言を抑えこんでいるのが「田中・金丸の衣鉢を継ぐ金権政治屋」。鵺の左右両肩に止まってギャーギャー騒ぎ立てているのが、元社会党と元警察官僚である。

 どう見ても異形(いぎょう)の内閣で、「激動する国際・国内情勢の中、命をあずけていいのだろうかと不安になる」

 問題は軍師がいないことだ。そのためにめいめいが勝手な判断で発言し、テンデンバラバラの行動をするものだから、政権発足以来わずか半年間で「カネと政治」の問題が噴き出したばかりでなく、「失言、食言、訂正、弁解、否定、撤回が総理や幹事長だけでなく、閣僚たちの間でも起こっている。……特に鳩山総理の言葉の軽さは……常軌を逸し」、その無神経ぶりは、今や国民の誰もが呆れ果てるところとなり、「綸言(りんげん)汗の如し」という帝王学の基本理念は、すっかり忘れ去られてしまった。

 破屠山内閣の罪状は、著者によれば、天皇の政治利用、日米合意の不履行による関係悪化、デフレ・スパイラルに対する無為無策、外国人参政権法案、金科玉条のマニフェスト違反、官僚の記者会見と国会答弁禁止による自縄自縛など。とりわけ福島・亀井両少数与党出身閣僚の傍若無人・党利優先の発言は目に余るものがあり、まったく「内閣の体をなしていない」。

 著者の結語は「総理交代せよ」ということだが、それが書かれたのは今から2ヵ月ほど前であろうか。民主党への国民の期待度がまだ30%前後だったときのこと。それが20%程度に落ちこんだ今は「政権交代せよ」というほかはない。

(小言航兵衛、2010.5.20)

【関連頁】

   <小言航兵衛>八方美人の八方ふさがり(2010.5.1)
   <小言航兵衛>中国文明と民主党政治(2010.4.26)
   <小言航兵衛>乗っ取られる日本(2010.4.6)

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