<2001年9月11日>

そのとき何があったのか(5)

 

09:59
 ユナイテッド航空93便(UA93)はまだ飛んでいた。乗客のエリザベス・ワイニオは義理の母親に電話した。「お母さん、みんなコクピットの方へ走って行く。私も行かなくては……さようなら」

 その声は死を覚悟しているらしく、息使いが異常で、すでに魂が肉体から離れたような調子だった、と母親はいう。

10:00
 ビル・ライトは軽飛行機で飛んでいた。管制官から窓の外を見るようにいわれ、周囲を見まわすと3マイル先にUA93の姿が見えた。ユナイテッド航空のカラーマークが大きく目に入る。ボーイング757の巨体が前後に3〜4度揺れたように見えた。機内で乗客とハイジャック犯との格闘が続いているかのようだった。

 管制官はUA93の高度を聞いて、直ちに着陸するように指示してきた。

10:00〜10:06
 この6分間、UA93からは全く電話がなかった。後部座席にいた乗客のトッド・ビーマーは電話を切らずに、そこへ置いただけだったが、受話器の向こうは静まり返っていた。

 もう1人の乗客ジェレミー・グリックの電話もつながったままで座席に置かれていた。受話器の向こうは2分間ほど静かだったが、一度悲鳴が聞こえた。再び60〜90秒間静かになり、それから悲鳴が断続的に聞こえた。最後は受話器が機械的に破損し、すべてが聞こえなくなった。

 UA93のコクピット・ボイス・レコーダーには、最後の部分に激しい風の音が残っている。風防が割れたのではないかと推定される。

 なお乗客の中には少なくとも1人、プロのパイロットがまじっていた。ドン・グリーンである。恐らくはグリーンが操縦桿を握ったものと思われるが、実際に何が起こったのかは分からない。


ペンシルバニアの田舎に墜落したUA93の煙

10:00
 ワールド・トレード・センターの北タワーでは多数の消防隊員が入って、生存者を助けるために上の階へと階段を登りつづけていた。

10:00
 チェイニー副大統領はホワイトハウスのシェルターの中にある会議室に入った。そこからブッシュ大統領に電話をして、スクランブル機の指示に従わない旅客機は撃墜することで承認を求めた。ブッシュはこれに同意した。ただし、このような対話について公式文書は残っていない。

10:00
 ブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官に電話を入れた。内容は不明だが、少なくとも民間機撃墜に関する話はなかった。

10:01
 FAAはオハイオ州トレドのF-16戦闘機に緊急出動を要請した。そのときトレド基地にはスクランブル待機をしている機体はなかったが、直ちに準備にかかり、16分後に離陸した。

 問題はNORADのやり方である。NORADは防衛ネットワークの中に組みこまれている基地にスクランブル命令を出しただけであった。ところがネットワークに組みこまれた基地は全米で7ヵ所しかない。これでは目標から遠くなってしまう。

 実際は上のトレドのように、UA93の飛んでいる近くにも空軍基地があった。NORADが気を利かせて、そういう基地にスクランブルの指示を出していれば、もっと早くUA93に迫ることができたにちがいない。

10:02
 シカゴのシアーズ・タワーでも避難がはじまった。その1時間後には、ほかの高層ビルも避難をはじめた。


F-16

10:03
 ユナイテッド航空93便が墜落した。場所はペンシルバニア州西部。同機のボイス・レコーダーは30分間の録音が可能で、9時31分から31分間の録音が残っていた。

 米政府は、10時3分に墜落したとしている。しかし米陸軍の地震計の震動記録から見ると、墜落は10時6分5秒だった。これらの時間的な違いの理由ははっきりしない。

 地震学者は陸軍の地震計に狂いがあっても数秒の違いしかないとしている。いっぽう政府が何故、墜落時刻は10時3分と言い張るのか、根拠に関する説明はない。そのためボイス・レコーダーのテープは、最後の3〜4分が何らかの理由で消されたのではないかと憶測する人もいる。

10:06以前
 CBSテレビはUA93の墜落前、2機のF-16が追尾していると報じた。ある管制官は後に、口外禁止の禁を破って、F16がUA93のすぐ傍を飛んでいた。パイロットたちは墜落の模様を目撃したに違いないとメディアに語った。

10:06以前
 ボズウェルという小さな町はUA93の墜落地点から北へ10マイル行って、やや西へそれたところにある。そこの住民2人が、2,000フィートの上空をふらふらしながら飛んで行く旅客機を見た。主翼が左へ大きく傾いたと思ったら、次は右へ傾いたりして、少しずつ高度を下げながら南へ飛び去った。その5分後、2人は飛行機が近所に墜ちたというニュースを聞いた。

 UA93が右に左に大きく揺れながら飛んでいたのは、機内で乗客と犯人らが格闘していたせいか、あるいは素人のパイロットが機の姿勢を立て直そうとしていたのだろうか。最後に、揺れは収まったようである。


スクランブル発進

10:06以前
 UA93の墜落に関しては、多くの目撃者がいて、その談話が記録されている。超低空を這うように飛んできたとか、数千フィートの高いところを飛んでいて急に落ちたとか、旋回したとか、上昇したとか、奇妙な音がしたとか、急に向きを変えたとか、さまざまな証言がある。しかし多くの証言に共通しているのは、大きな爆発音と急に突っ込んだということで、これはミサイルで撃墜されたことを思わせる。つまりミサイルがエンジンに命中して、1〜2分は持ちこたえたかもしれぬが、最後に急に機首を下げて地面に突っ込んだのではないか。

 さらに地面に突っ込む直前、機は空中分解をしたのではないか。墜落地点からかなり離れたところにも、機体の残骸が散らばっていることで、そのことが想像される。1トン半のエンジンは、1マイル以上も遠くに落ちていた。

 おそらくF-16の空対空ミサイル「サイドワインダー」がエンジンの熱に吸い寄せられるようにして、ボーイング757の大きな2基のエンジンのどちらかに当たったのではないだろうか。

 機体の破片は、エンジンよりも遠く、2マイルから8マイルの遠方にまで広がっていた。ある目撃者は、上空には別の飛行機が見えていて、空から燃えるものが落ちてきたと語っている。また思いがけなく遠い場所で、乗客の衣服、本、書類、鞄などが見つかった。

 いずれにせよ、UA93の墜落の状況はほとんど公表されていない。

10:06前後
 UA93の墜落場所に近い周辺住民は、少なくとも5〜6人が、付近を数分間、低空で飛び回っていた別の飛行機を目撃している。機体は白い色だったらしい。機体後部にエンジン2基がついていたという目撃談もある。

 のちにFBIが明らかにしたところでは、これは同局のファルコン20ビジネスジェットで、高度37,000フィートを飛んでいたが、UA93の墜落後5,000フィートまで下がり、救援隊を空から誘導していたという。

 ほかにも当時17マイル離れたところをC-130が飛んでいた。高度は24,000フィート。UA93の墜落には無関係だが、先にAA77の近くを飛んでいたC-130である。

10:06以降
 UA93の墜落後、上空高いところを戦闘機1機が通過した。


ワシントン上空を飛ぶ武装戦闘機

10:08
 UA93の墜落数分後、ブッシュ大統領はそのことを知らされた。「それは撃墜したのか、それとも事故か」と訊き返した。

10:08
 ホワイトハウス周辺に、自動小銃で武装した護衛官たちが展開した。

10:08
 NORADはまだUA93の行方を捜していた。彼らは、同機が墜落したことを知らされてなかった。FAAが通報を忘れたものと思われる。

10:10
 米3軍のすべてにデフコン(警戒態勢)3(またはデフコン・デルタ)の命令が出た。30年来最高の警戒発令である。このときNORADは戦闘機のパイロットに対し、ワシントン上空の民間機撃墜の承認は出ていないと通報した。

 なお、デフコン3の発令は、ラムズフェルド国防長官による以外は考えられないが、長官自身はペンタゴンの外で10時半までけが人の救助に当たっていた。別の証言では、デフコン・デルタが発令されたのは正午だったともいう。

10:11
 軍事補佐官がチェイニー副大統領に、ワシントンへ入ってくる航空機は撃墜していいかどうかを訊いた。チェイニーはそれを承認したが、実際は数分前にUA93は墜落していたのである。

10:12
 CNNテレビが議事堂が爆破されたと報じた。この報道は12分後に取り消された。

10:15
 ワシントンの航空管制官がNORADに対し、UA93が墜落したことを知らせた。実際の墜落から10分ほど経っている。


NORAD本部

10:15
 AA77が突っ込んだペンタゴンの壁が崩壊した。その数分前に、崩壊の兆しが見えたため、消火作業に当たっていた消防士たちはみんな避難して怪我人は1人も出なかった。

10:16
 軍事補佐官が再びホワイトハウスのシェルターに戻ってきて、チェイニー副大統領に、ワシントンへ入ってくる民間機を撃墜していいかどうか訊いた。チェイニーは2度目の承認を与えた。そうしておいて、チェイニーは10時18分、もう一度エアフォース・ワンに電話を入れ、大統領の追認を得た。

10:17
 FAA本部はUA93が墜落したことを公式に確認した。

10:22
 国務省と司法省が避難した。このとき国務省がどこに避難したか、日本の外務大臣だった田中真紀子が記者団に話してひんしゅくを買った。アメリカ政府も、その常識のなさに呆れたようである。

10:24
 FAAのジェーン・ガーベイ長官が、米国へ向かう国際航空便は全てよそへ向かうよう指示を出した。このため、ほとんどの航空機がカナダへ着陸した。

10:28
 ワールド・トレード・センターの北タワーが崩壊した。AA11が8時46分にぶつかってから1時間42分後のことである。崩壊そのものは、わずか4秒であった。

 地震計の記録では、崩壊は10時28分31秒という。


北タワーの崩壊

 以上が今から3年前の今日、2001年9月11日のアメリカ東部で起こった同時多発テロの経緯である。2時間ほどの間に4機の大型ジェット旅客機が乗っ取られ、アメリカ経済の象徴ワールド・トレード・センターが崩壊、軍事の中枢ペンタゴンが攻撃されるという、きわめて大規模なテロ事件となった。

 これを防ぎ得なかった米国は、世界に恥をさらした。しかし米国人のほとんどは、恐らく誰も恥とは思わず、自分たちは単なる被害者としか感じていないかもしれない。そしてもっと大きな恥は、上に見てきたように、事件の直後至るところに混乱が生じていることである。

 スクランブル発進を取り上げても、戦闘機が右往左往しただけで、本来の目的を達したものはひとつもなかった。情報の混乱もはなはだしく、伝えるべきところに伝わっていなかったり、通報が遅れたり、誤報があったりして、そのために指揮官の指示や命令も間違ったりしている。

 アメリカは危機管理の元締めのようにいわれる。阪神大震災のときは日本政府の対応ぶりが世界中に恥をさらし、危機管理がなっていないとして嗤いものになった。しかし、こうして見るとアメリカだって、他人を嗤ってばかりもいられないはず。危機管理というのは、危機の情況がその都度異なることもあって、きわめて難しい。

 もっとも、この9月11日の経緯をこまく見ていて、混乱とか矛盾のように見えるのは、実はアメリカ政府が本当のことを隠しているからかもしれない。あるいはニセの情報を流している可能性もあるから、一概に嗤うわけにはいかない。このあたりは注意しておく必要があろう。

 この「そのとき何があったのか」は、ここで終わるわけではないが、今日9月11日に当たって一段落ということにしたい。当日10時半以降の経緯も、今後なお順次見てゆくつもりである。

(未完)

【関連頁】
   そのとき何があったのか(4) (2004.9.10) 
   そのとき何があったのか(3) (2004.9.7) 
   そのとき何があったのか(2) (2004.9.1) 
   そのとき何があったのか(1) (2004.8.30) 

   アメリカの同時多発テロ 

(西川 渉、2004.9.11) 

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