<野次馬之介>

福島原発を見る(3)

 ここでは東京電力福島第1原子力発電所の吉田昌郎所長について書かれた『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』( 門田隆将、PHP研究所、2012年12月4日刊) を読むことにしたい。

「2011年3月11日午後2時46分。
 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……異様な音と共に、突然、大地が揺れ始めた。
『地震だっ』
 吉田はすぐに書類をおいて立ち上がった……」

 わずか8ヵ月前に完成したばかりの免震重要棟に入った吉田所長は「それから不眠不休で、およそ1ヵ月も籠城することになる」

 緊急時対策室に設けられた円卓中央部にある本部長席に着くと、緊迫した表情で集まってきた幹部たちに「まず死傷者がいないか、確認をするように」「いいか、慌てるな。しっかり、ひとつひとつ確認して対応するんだ。焦るなよ」と声をかけた。

 こうして、福1原発の震災と事故への対応が始まった。

 大津波に襲われたのは、地震発生から50分ほど経過したときである。これで社員2人が死亡した。そして、電源が切れる。通常の電気を発電所へ送りこむ鉄塔が地震で倒れていたのに加えて、それに代わる非常用ディーゼル発電機も水没したからである。これで「原子炉の冷却のために、最も大切なものが失われ」ると同時に、原発中央制御室は真っ暗になり、さっきから鳴り響いていた警報音が消え、シーンとした静寂に包まれた。


福島原発構内に押し寄せた大津波

 吉田は直ちに消防車の手配を考えた。「原子炉を電気で冷やすことができなければ、直接、水で冷やすしかない。水なら海にいくらでもある……水をプラントに入れるには、消防車しかない……海からの距離が遠ければ消防車をつなげばいいじゃないか」

 あとになって「多くの専門家が驚くのは、この早い段階で、吉田が消防車の手配までおこなわせたことである」「しかし3台あった消防車は津波のために動けなくなり、稼働可能なのは、たまたま高台にあった1台しかなかった」。それを知った吉田は午後5時過ぎ、自衛隊に消防車を要請する。

 一方で、原子炉の中に水を注入するラインを確保しなければならない。それには建屋の中の配管についているバルブを開いてゆく必要がある。通常ならば制御室のスイッチひとつですむはずのバルブ操作を直接、人の手でやるのである。そのため年配の志願者が交替で、線量の上がり始めた建屋に滞在時間を区切って入り、直径60センチほどの大きな重いバルブを2人がかりで回す作業を続けた。そして午後11時、原子炉建屋の二重扉の前で、高い放射線量が計測され、吉田所長によって「入域禁止」の指令が出された。もし、このときまでにバルブの開操作ができていなければ、その後の冷却もできなかったはず。危険の中で彼らを支えていたのは「使命感」にほかならなかった。

 とはいえ、この時点では注水ラインの確保はできても、まだ注水は始まっていない。そのため新たな問題が出てきた。「圧力容器の中では燃料が溶けている」「格納容器の圧力が異常に上昇」「ベントを急げ」

 午前3時、中央制御室でベントにゆく人選が始まった。伊沢当直長が「若い人には行かせられない。そのうえで自分は行けるという者は、まず手を挙げてくれ」と呼びかける。運転員たちを静寂が支配した。「5秒、10秒……誰も言葉を発しない。そこにいる誰もが自分の言うべき言葉を探していたのである」

「沈黙を破ったのは伊沢自身だった。『俺がまず現場に行く。一緒に行ってくれる人間はいるか』
 そう伊沢が言った時、伊沢の左斜め後方にいた大友が口を開いた。『現場には私が行く。伊沢君、君はここにいなきや駄目だよ』
 すかさす右後方にいた平野が言葉を重ねた。
『そうだ、おまえは残って指揮を執ってくれ。私が行く』2人の先輩当直長がそう言った瞬間、若手が声を上げた。
『僕が行きます』
『私も行きます』
 若い連中が沈黙をやぶって次々と手を挙げた。それは、あたかも重苦しい空気を破るための『堰』が切れたかのようだった」

「伊沢には、それは驚き以外のなにものでもなかった。『私からすれば、手を挙げてくれたのが、若いクラスですからね。そんな人数は必要ないのに、人数以上に手が挙がりました。まだ三十そこそこの中堅クラスです。ビックリしました』

 伊沢は言葉が出なかった。申し訳ないけれども、若い人には行かせられない、とあらかじめ言ったにもかかわらず、中堅どころが次々と志願してくれたのである」

 実は、馬之介がこの本を読んだのは1年ほど前であった。当時、あるいは今もときどき、東京電力は危機意識が薄いとか「安全の文化」が欠如しているといった批判を聞くが、少なくとも第一線で働く人びとは決してそんなことはない。そのことを馬之介は、380頁の本書によって十分に教えられ、胸うたれる思いがした。ここで、この本を取り上げた所以(ゆえん)でもある。

 そんなところへ菅首相が乗り込んでくるという知らせが入る。「菅首相が来ます」「なに?」「なぜ来るんだ?」誰もが耳を疑った。

 吉田所長も「困惑した。……ベントの準備をはじめ、さまざまな手段を講じている吉田にとって、総理一行を迎えることに頭を回す余裕は正直なかった」

 一方、官邸屋上からヘリコプターに乗りこんだ「菅の表情は厳しかった。昨夜来『イラ菅』と称される本領を発揮し、部下たちを怒鳴りまくっていた。その険しさは機内でも変わらなかった」

 ヘリコプターが原発構内のグラウンドに着陸すると、同乗者たちは「まず総理だけが降りますから、すぐには降りないでください」と言われた。「一行は、すぐには降りることを許されなかったのだ。菅首相が現地に視察に来たことを『撮影』するためだった。原発の危急存亡の闘いのさなかに『まず撮影を』という神経」に一行は呆れた。

 ヘリコプターから降りてきた菅首相に東電武藤栄副社長が挨拶すると、険しい表情を崩さない「菅は、いきなり声を上げた。
『なんでベントをやらないんだ!』
『えっ?』
 驚いたのは、武藤だけではない。挨拶もないまま、いきなり菅が声を上げたことで、周囲の人間が仰天したのだ。菅は、激昂していた。やっと怒りをぶつける対象が『目の前に現われた』ということだったのかもしれない」

 一行を乗せたバスは3分ほどで免震重要棟に着いた。二重扉の中に入ると、係員が「おはようございます……靴を脱いでください。靴を手に持ってください」と言った。そして「まず汚染検査を受けてください」と続ける。そのとき、いきなり怒声が響いた。

「『なんで俺がここに来たと思ってるんだ! こんなことやってる時間なんかないんだ!』。
 フロア中に響く声だった。声の主は、菅首相その人である。汚染検査を受けさせられること自体が気に障ったのかもしれない」

「フロアに大勢いた、作業から帰ってきた人間がその声に驚いた……廊下沿いに、いっぱい作業員がいて、中には上半身裸の人もいた」

「現場で作業を終えて帰ってきて(検査を受けるべく)待っている作業員の前で……一国の総理が、作業をやっている人たちにねぎらいの言葉ではなく、そういう言葉を発した」のである。

 首相の怒鳴り声を残したまま、一行は汚染検査を受けることなく、靴を履きかえただけで階段を上がり、2階の会議室に入った。

 会議室では「べントはどうなってるんだ」という菅首相の質問から始まって、吉田所長とのやりとりが20分ほど続いた。

 原発の見取り図を広げながら「吉田が答える。『ずっとチヤレンジをしております。しかし、電源がないため電動弁があかないもんですから、大変難しい状態がつづいています。バルブを手であけるべく、現場ではいま作業をおこなっております』
 建屋の中には放射線があり、真っ暗な中で手動による作業が必要になっていることを、菅も事前に知っていただろう……『とにかく早くベントをしてくれ』」

「『もちろん、努力をしております。決死隊をつくってやっておりますので』
 吉田がそう語ると、菅はやっと少し落ち着いたようだった。一瞬、菅を取り巻いていた緊張の空気が緩んだように思えた」

「菅は、のちに『現場を混乱させた』として、この訪問について厳しい非難を受けた」(つづく

(野次馬之介、2014.1.19)


菅首相がいなくなった後、その日の15時36分
1号機の建屋が水素爆発を起こした
首相の振る舞いに建屋も苛立ったのではないか

【関連頁】
    <野次馬之介>福島原発を見る(2)(2014.1.16)
    <野次馬之介>福島原発を見る(2014.1.15)

表紙へ戻る