<野次馬之介>

空飛ぶ自動車

 

 イギリスの週刊「エコノミスト」誌は世界で最も知的な雑誌のひつといわれる。その誌名から、景気や株の話題ばかり書いてあるように思われるが、そんな話はほとんど出てこない。

 とはいえ、人間が生きてゆくためには、昔の原始時代ならともかく、今の世の中ではお金が必要である。すなわち人間活動は経済活動にほかならない。したがって、雑誌の名前が「経済人」となっているのは、とりもなおさず人間そのものの代名詞なのである。したがって取り上げる話題も人間活動の万般にわたり、お金に縁のない馬之介にも、まことに面白い雑誌なのである。

 記事の表題も気が利いていて、たとえば"Death of non-salesman"とか"Let Romney be Romney"とか"From brawn to brain"とか "The men's room"とか、そして原発推進派の人びとについて"Plutonic love"とか、何が書いてあるのか読者の興味をそそるところが見事である。

 いつぞやも、ここにご紹介したが、「最後の女性」(The last woman)という話は、まことに面白かった。今のように女性たちがだんだん子供を産まなくなると、当然のことながら世界の人口が減りつづける。その果てはどうなるのかを推計してみると、日本は今後1,500年くらいのうちに誰もいなくなるし、人民であふれ返った中国ですら日本より早く死に絶えてしまうというのである。

 そこで今日ここに取り上げるのは、最近の「エコノミスト」誌で見た「空飛ぶ自動車」の話題。

 人びとは昔から将来いずれは空飛ぶ自動車(flying car)が実現し、車に乗るのと同じように、自在に空を飛ぶことができるという夢をいだいてきた。しかしライト兄弟の成功から1世紀以上が経った今も、その夢は実現していない。しかし、その夢に向かって努力している人もいるのであって、まもなく実現するかもしれないところまで近づいた。

 それを可能にするのは、ひとつが技術の進歩だが、その中には航空技術ばかりでなく、それ以上にコンピューター技術が重要な役割を担っている。空飛ぶ自動車を、プロのパイロットではない個人が安全に操縦するには、コンピューターの助けを欠かすことができない。そして、もうひとつが法規の緩和で、2004年のことFAAが新しく「軽スポーツ機」というカテゴリーを制定したことによるという。

 

 こうした空飛ぶ自動車の一例は、アメリカで開発中の「トランジション」(Transition)である。路上を走る飛行機といった方がいいかもしれない。ボタンを押すと翼が上向きに折りたたまれ、車のような路上運転が可能になる。胴体は複合材製で、最新のエンジンとアビオニクスを装備する。

 操縦免許は20時間程度の飛行訓練で、自動車の運転免許よりも早く取れる。というのは安全確保のために、旅客機に劣らぬ高度の技術を使い、さまざまな機能にコンピューターが組みこまれていて、人の手助けをしてくれるので、操縦もやさしいからだとか。ただし夜間と悪天候は避けなければならない。

 実際の使い方は、わが家のガレージから最寄りの飛行場まで車を運転するようにして道路を走り、そのまま滑走路から離陸する。すなわちトランジション(変換)とは自動車から飛行機へ、飛行機から自動車へ自在に変換できることを表した名前である。

 メーカーは、すでに100台ほどの予約注文を受けており、今年末には引渡しを始めるとか。価格は279,000ドル(約2,500万円)だそうである。


ガソリン・スタンドで燃料補給をする「トランジション」

 もうひとつ別の空飛ぶ自動車は、2人乗りの「ティラノス」と呼ばれ、かつてアメリカ国防研究所に提案されたアイディアを基本としている。それを民間向けに転用しようというもの。


米海兵隊向けに提案された「ティラノス」

  さらに「ホバーバイク」というアイディアもあって、車輪の代わりに、胴体の前後にダクテッド・ファンをつけ、垂直離陸をして巡航飛行に移るもの。目下、地面に繋留しながらの試験飛行中で、今後5年以内に実用化し、5万ドルという安い価格で売り出す予定とか。

 広い牧場でヘリコプターの代わりに、牛や羊を追ったり集めたりするのに使うというから、それならば何かあっても大丈夫だろう。実際、オーストラリアなどでは多数の小型ヘリコプターが家畜の番に使われている。


繋留状態で浮上試験中の「ホバーバイク」

 

 ヨーロッパでも昨年、「マイコプター」と呼ぶ計画が始まった。人がいちいち操作しなくても、コンピューターが自律神経のように働いて、操縦してくれる。たとえば、下の図は周辺の地形を読みとったコンピューターが「空のハイウエイ」ともいうべき安全な飛行経路をたどってゆく仕組み。

  「エコノミスト」誌から離れるけれども、レオナルド・ダ・ヴィンチは鳥の飛翔に関するメモの中に「人間は鳥の運動を悉く具備せる器械をば製作することができる。もっともこの器械はバランスを保つ能力だけは欠いている……だからこの生命(アニマ)は人間のそれによって代用せねばなるまい」と書いている。

 それから450年を経て、ライト兄弟も同じことに気がつき、自作機を飛ばすにあたっては、飛行中のバランスもしくは安定の保持に最も留意して、操縦の方法を考えた。その成功から100年、人間は次々と進歩する飛行機を操縦してきたが、今ついに人間の操縦力だけでは及ばない世界へ入ってゆこうとしている。それが上に見た空飛ぶ自動車で、この夢の実現にはどうしてもコンピューター技術の進歩を待たなければならなかったのだ。

 かくして今、人類の長年の夢はようやく現実のものになろうとしている。

(野次馬之介、2012.3.21)

【関連頁】

    <野次馬之介>パラシュートのついた飛行機(2012.1.16)
    <野次馬之介>軽タンデム・ヘリコプター(2012.1.9)
    シティコプター(2002.1.15)
    マイルハイ(2002.1.18)

 

 

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