<がんを読む(5)>

正体見たり……

図1 日本人の3大死亡病。縦軸は10万人あたりの死亡率。
1980年代から癌が最上位となって、今も増え続けている。(BSフジ・テレビより)

 去る5月2日夜のBSフジ・テレビ「プライム・ニュース」に大阪大学森正樹教授と九州大学中山敬一教授が登場、立花隆や司会者との話し合いが放送された。主題は「がん治療の今と明日を考える」

 不可思議で恐ろしく、何が何だかわけの分からぬ癌という病気を、根本にさかのぼって、われわれ素人にも分かりやすく解説してくれた番組だった。

 これで癌の何たるかが、いくらかでも理解できたように思うが、いかに知識が増えても自分自身の癌が治るわけではない。病気というのは知識や理屈だけで治せるものではなく、もっと現実的な道具や薬剤の開発が必要だし、それによる治療の経験――それも実際によくなった結果または証拠が必要だからである。

 そのため目下のところは、新しい理論や知見を確認し、具体化するための実験段階にあり、遺伝子操作を交えつつ、ヒトの代わりにマウスを使いながら、がん細胞の増減を確かめているところである。それが治療手段として実用になるのは、もう少し先のことであろう。

 ここでは以下、2人の学者と1人の評論家、ならびにテレビ局の2人のキャスターの話し合いを、だれがどんな発言をしたかを区別することなく、対話の内容を総合的にまとめて記録しておくこととする。

 話は、ごく基礎的なことから始まる。日本では今3.5人に1人が癌で死亡する。死亡率としても年々増えつづけ、心臓病や脳卒中を抜いて第1位を占めるに至った。

 これに対する治療方法は、手術によって病巣を取り除く外科療法、放射能によってがん細胞を叩く放射線療法、そして抗がん剤を使った化学療法などがある。しかし進行がんでは、患者の体内からがんを全て取り除くことは、ほぼ不可能。そのため体内に残ったがんを増殖させないよう、手術後も長期にわたる抗がん剤治療が必要となる。

 とはいえ抗がん剤治療は、患者が苦しい副作用に耐えつつ、高額の医療費を支払いつづけなければならない。にもかかわらず、転移や再発の可能性がないわけではない。

 何故そんなことになるのか。原因のひとつは最近注目を集めている「がん幹細胞」である。ということで、話はこの番組の核心に入ってゆく。

 歴史的に見てゆくと、がん幹細胞は1930年代から、基本概念が提唱されていた。がん細胞の親元もしくは母親とでもいうべき幹細胞があって、そこから娘のようながん細胞(daughter cancer cell)が数多く生まれ出てくるという概念である。

 人間も1個の小さな卵子から細胞分裂を繰り返して大きな人体ができてゆく。このことは誰でも知っているが、その細胞分裂が無限に無秩序に繰り返されてゆけばどうなるか。それが癌にほかならない。

 しかし、正常な普通の細胞の中に幹細胞の存在することは誰もが理解していたが、がんにまで幹細胞が存在することを信ずる学者は必ずしも多くはなかった。

 ところが1997年、初めてがん幹細胞の存在が白血病において見つかったという報告がなされ、多くの専門家に衝撃を与えた。さらに2003年以降、乳がん、大腸がん、肝臓がん、膵臓がん、前立腺がん、胃がん、脳腫瘍など、他のがんでも幹細胞の存在が確認され報告されるに至った。わずかに最近10年間の出来事で、今がんの概念は大きく変貌しつつある。

 では、がん幹細胞とはどんなものか。

 がん幹細胞には図2のように、冬眠型と活性型の2つの種類がある。冬眠型は「静止期維持因子」によって細胞分裂が抑えられ、静止状態もしくは冬眠状態になっている。いっぽう静止期維持因子をもたない活性型の幹細胞は増殖を繰り返し、子供のがん細胞をつくり出してゆく。

 実は、これまで、がんは謎だらけで、何が何だか分からない点が多かった。しかし幹細胞という概念を持ってきた途端、従来の多くの謎が少しずつではあるが解け始め、すっきりと説明できる現象が多くなったのである。「幽霊の正体見たり……ですね」


図2 2種類のがん幹細胞(BSフジ・テレビより)

 たとえば、がんがなかなか治らないのは何故か。この問題も幹細胞をもって考えるならばよく分かる。幹細胞が非常に頑強だからである。

 頑強な幹細胞は、さまざまな攻撃をはねかえす能力がある。抗がん剤も放射能も跳ね返すのである。これはヒト本来の正常な幹細胞が強固だったからで、そうでなければ人体は、1個の卵細胞から無数の細胞を持つ身体にまで成長できないであろう。

 そこで、これらのがん細胞を相手に治療をおこなう場合、子供のがん細胞は抗がん剤によって駆逐することができるが、幹細胞は頑強で、特に静止期にあるものは治療抵抗性が強く、一般に抗がん剤で駆逐するのがむずかしい。

 というのは、抗がん剤は増殖期の細胞を破砕するようにできている。すなわち分裂中の細胞に対しては効果があるが、静止期の冬眠中の細胞には効かないのである。

 したがって抗がん剤によってがん細胞が消滅し、いったんはがんが小さくなったり治ったりしたように見えるけれども、がん幹細胞がしぶとく生き残っていれば、それが再び目を覚ましてがん細胞を生み出し、新たながんに成長することになる。これを「再燃」と呼ぶ。

 このようながん幹細胞の存在は、これまで多くの学者が信じなかった。実際、がん幹細胞は、がん細胞の数万もしくは数十万にひとつしかない。今もまだ「仮説」にすぎないという人もいるほどだ。

 ちなみに、本日出演の森教授は、このようながん幹細胞の存在を肝臓癌や大腸癌で初めて発見した学者である。

 こうしたがん幹細胞の存在を前提に考えると、がんという病気のさまざまな不思議を解明することができる。

 そのひとつは「転移」である。これまでは、がん細胞が別の場所に移動し、そこで分裂してがん細胞が増える。それが転移と考えられていた。しかし今では、がん細胞は別の場所に持っていっても、がんをつくることはない。すなわち、転移はがん細胞ではなくて、親のがん幹細胞が別の場所へ移動し、そこで新しいがん細胞を生み出してゆくことにほかならない。

 さらに、たとえば大腸癌の幹細胞が別の場所へ移って新しいがんをつくっても、その本質は大腸がんである。つまり「大腸がんが肝臓や肺に移っても、肝がんや肺がんになるわけではありません」

 ところで肝心の治療の問題はどうなるか。がん幹細胞から生まれたがん細胞は猛烈な速さで細胞分裂を繰り返し、どんどん増殖してゆく。これに抗がん剤を投与すると、ある程度は消滅する。

 しかし、この間、がん幹細胞は静止期にあって、抗がん剤の影響を受けない。もともと抗がん剤は分裂中のがん細胞にしか効かないようにできているからだ。


図3 がん幹細胞は静止期維持因子(Fbxw7)によって眠らされる。
この睡眠中はがん細胞を生み出さず、抗がん剤にもよく耐えることができる。
(BSフジ・テレビより)

 したがって、がん幹細胞を消すには、いつまでも寝かしておくのではなく、起こして叩く方がいいのではないか。目を覚まして増殖期に入ったがん幹細胞には、抗がん剤が効果をあげるはずだ。

 この「静止期追い出し療法」を考え出したのが、本日出演の中山教授である。今年3月マウスを使った実験で、白血病におけるがん幹細胞の撲滅に成功し、その研究が世界の注目を集めた。

 実験の内容は、がんになったマウスのがん幹細胞を起こし、抗がん剤を投与する。すると図4の通り、マウスはほとんどの個体が80日間生きた。死んだのは2割ほどだった。その一方で、幹細胞を起こさぬまま、抗がん剤を投与しただけのマウスは60日間で1割くらいしか生存しなかった。つまり。がん幹細胞を眠らせたままで抗がん剤を投与しても、その効果は少ないのだ。

「すると、がんは寝首をかくよりも、寝た子を起こす作戦の方が有効というわけですな」


図4 白血病マウスは放置すれば40日後に全頭死亡、抗がん剤のみを投与すれば
60日後にほぼ全頭が死亡するが、Fbxw7を除去して抗がん剤を投与すると
60日頃まで全頭が生存する。(BSフジ・テレビより)

 このがん幹細胞の活動を抑えているのはFbxw7という物質である。それを除去して寝た子を起こすには遺伝子操作が必要になる。しかし人間の遺伝子をいじるわけにはゆかないので、薬剤を投与してFbxw7を除去することになり、目下その薬剤の開発研究が進んでいる。

 したがって現状はまだ、がん幹細胞の静止期追い出し療法をヒトに適用するわけにはいかない。将来これが実現すれば先の実験で成功した白血病だけでなく、他のがんにも有効と考えられる。

 こうしたがん幹細胞の研究は、今まで根治が困難とされてきたがん治療に光明をもたらし、将来のがん治療を大きく変えることになると期待される。

「これが実現すれば、癌の治療はもちろん、医学界全体のビッグバンですよ」

 なお、がん幹細胞が眠っているのを、わざわざ起こさなくとも、眠らせたままにしておけばいいではないかという考え方もあろう。けれども、そのためにはがん幹細胞の睡眠剤ともいうべきFbxw7を常に体内に注入しつづけなければならない。

 しかし今のところは、まだFbxw7の薬剤ができていない。できたとしても一生涯にわたって呑みつづけなければならないし、眠っているはずのがん幹細胞が、いつ目を覚ますかもしれない。そう考えると不安感がつきまとうし、その前に薬剤費も相当な個人負担となるであろう。

「まあ、年配の人には、そういうやり方があっていいかもしれませんが」

 最後に番組では、このようながん研究に対する資金の多寡が問題とされた。大半は政府予算に頼ることになるが、これがまた少ない。にもかかわらず、がんの研究は「トライアル・アンド・エラー」の連続で、膨大な人手と時間がかかる。

 したがって研究がうまく進むかどうかは、研究予算の大小に負うところが大きい。しかるに日本のがん研究予算はアメリカの10分の1しかなく、シンガポールの予算よりも少ないらしい。

 今や、日本人の2人に1人ががんにかかり、3.5人に1人が死んでいる。これほど大それた致命的な病気が蔓延しているにもかかわらず、政府の研究予算はきわめて少ない。これでは有効な対策を立てることはできない。

 慶応大学の近藤医師が提唱する「放置療法」も、副作用に苦しまねばならない抗がん剤ばかりで、有効な薬がないという「苦しみの絶望の果てにあるわけです。もっと好い薬がでてくれば、近藤先生の本も変わるだろうし、患者さんも喜んで薬を飲み、病気も治るのではないでしょうか」

(西川 渉、2013.5.29)

【関連頁】
   <がんを読む>酌みかはさうぜ(2013.5.26)
   <がんを読む>つける薬はない(2013.5.23)
   <がんを読む>相反する談話(2013.5.4)
   <がんを読む>抗がん剤の効果(2013.5.1)

 

 


入院中の病室の窓から見たドクターヘリ(2012年9月、千葉北総病院にて)

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