<ヘリヴィア>

近代化への歩み 

フォッケ・ヘリコプター

 ヘリコプターがスケッチと模型と試作実験の時代から近代的な航空機へと歩みはじめるのは、1930年代に入ってからだった。

 その最初はドイツのハインリッヒ・フォッケ博士によるフォッケ・ウルフFw61単座ヘリコプターである。フォッケも初めのうちはオートジャイロをつくっていたが、そのオートジャイロで獲得したローター機構、サイクリック・コントロールの技術などを利用して独自のヘリコプター開発に進んだ。

 基本構造は2つのローターマストを左右に張り出し、それぞれ3枚ブレードのローターを互いに逆向きに回してトルクを打ち消すようになっていた。機首には160馬力の星型エンジンと、それを冷やすための小さな木製プロペラがつき、1936年6月26日に初飛行する。

 初飛行は28秒間だったが、同機はそれから急速な進歩を遂げ、1年後には滞空1時間20分29秒、到達高度2,439mの記録をつくり、翌日さらに122km/hの最高速度を記録した。それ以前にヘリコプター初のオートローテイション着陸にも成功している。またブレーメンからベルリンまでの長距離飛行も実現した。

 Fw61をさらに有名にしたのは、1938年2月ベルリンの屋内競技場ドイッチュランド・ホールで開かれたナチスの全国党大会で飛んで見せたこと。このときコクピットに坐っていたのは女流飛行家のハンナ・ライチで、ヘリコプターの安定性と操縦性が完全であることを実証した。


ドイッチュランド・ホールで屋内飛行を見せるフォッケFw61
操縦するのは女流飛行家ハンナ・ライチ

 こうしたFw61の飛行能力はあらゆる点で、それまでのどのヘリコプターよりも優れており、フォッケ・アハゲリス工場は第2次大戦中、Fa266およびFa223と呼ぶヘリコプターを開発した。両方とも基本的には同じもので、Fa61を大型化し、1,000馬力のエンジンをつけていた。Fa223は1940年8月に初飛行、42年に実用化のメドがついて、史上初めて量産されることになった。計画では、先ず100機が製造されるはずだったが、11機が完成したところでドイツが戦争に敗れ、フォッケ・ヘリコプターも戦火の中に消えてしまった。ドイツが健全であれば、世界をリードするヘリコプター・メーカーとなっていたであろう。

 Fa223の特徴は操縦性が良く、1機が戦後イギリス軍に接収されドイツから英仏海峡を越えて英国へ飛んだが、ヘリコプターが海峡を渡ったのはこれが初めてである。もうひとつ、これは信じていいかどうか分からぬが、残された1機をアメリカとソ連が取り合いになり、機体の右側と左側を半分ずつに分断して本国へ持ち帰った。そのためアメリカ製のヘリコプターはローターが左回り、ソ連製は右回りになったという話がある。 

(西川 渉、2016.5.27) 

【関連頁】

  <ヘリヴィア―3>初めて人を乗せて飛ぶ(2016.5.26)
  <ヘリヴィア―2>ローター機構の進歩(2016.5.21)
  <ヘリヴィア―1>らせん翼の着想(2016.5.18)
  <ヘリワールド2016>ヘリコプター博学知識(2015.11.26)

    

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