<救急ヘリの危機管理――5>

前途の危険予知

 危機管理マニュアルの「第4章 危険予知」に読み進む。原著の表題は Risk Assessment である。これをカタカナでリスク・アセスメントとかリスク評価などというと意味がぼやける上に、危機感が迫ってこない。私も本誌8月号では「危機の評価」と書いたが、もっと切迫した意味をこめて「危険予知」としておきたい。

 この章ではパイロットの問題を扱う。パイロットがミスを犯したり事故を起こすのも、その責任はパイロットにあるというのではなくて、上に立つ運航部長や経営陣にあるというのが主旨である。これら管理者たちは、ヘリコプターの飛行に関して、自分が飛ぶわけではなくとも自らの役割を認識し、危険予知の責任を果たさなくてはならない。

訓練の重要性

 ヘリコプター企業の運営にあたる管理者にとって、安全対策の第1歩は運航契約にあたって、病院との交渉や入札をするところから始まる。この時点で、運航会社は病院の管理者に対し、ヘリコプターの運航要領や危機管理について充分に知って貰うよう努力しなければならない。特にヘリコプターの飛行限界――気象条件や法規上の制限については明確に伝えておく必要がある。さらに、運航従事者のできることとできないこと、乗務割、訓練の必要性なども知って貰う。そして、これらの限界や訓練に伴う費用は見積もり金額の中に入れておく必要がある。

 ヘリコプターの事故はほとんどの場合、パイロットが直接の原因となる。しかしパイロットというものは、任務につくと何とかしてそれを完遂させたいという気持が強い。それが判断ミスにつながり、事故を起こす結果となることが多い。

 そうした危険を避けるには、ヘリコプター会社としてどうすればよいか。管理者としてはパイロットの個性を把握し、悪影響を及ぼすような要素を排除するよう努めなければならない。それには十分な時間を取って、訓練に次ぐ訓練を続けることである。

 訓練は、危険を減らすために最も重要かつ実行可能な手段である。経営陣が訓練の効果と実施についてしっかりした考えを持ち、十分な予算を確保するならば、充実した訓練を容易におこなうことができる。

 訓練予算の確保のためには、病院にも納得して貰わねばならない。それには慣熟飛行や定期訓練、あるいは危険予知のための研修にかかる費用を算出し、それを他の費用と比較して提示することである。たとえば、ヘリコプターの購入費は1機何億円もするだろうし、それに搭載する医療機器も安くはない。そうした費用に比べるならば訓練費などは安く、かつ賢明な投資であることは、病院側の管理者も容易に納得するであろう。

悪天候から脱け出す

 これは余談だが、むかし筆者の勤務先で外国石油会社との契約で海底油田開発のための洋上飛行をしたとき、毎月5時間ずつ余分に料金を支払うから夜間飛行の訓練を欠かさないようにという要請を受けた。石油開発は遠い沖合で昼夜兼行の作業が続く。したがって夜間にけが人が発生しないとも限らない。そんなとき夜間の洋上飛行に不慣れなパイロットが飛んで万一のことがあっては、ヘリコプター会社よりも石油会社の方が困る。自らを護るためには、多少の費用がかかっても万全を期するというのが顧客側の考え方であった。

 話を救急パイロットの訓練に戻すと、その訓練は大きく3種類に分けられる。すなわち(1)航空法規を満たすための最小限の訓練、(2)慣熟訓練、(3)飛行の可否に関する意志決定(ADM:Aeronautical Decision Making)訓練である。

 航空法規を満たすための最小限の訓練は、運航会社としては当然終わっていなければならない。しかし慣熟訓練とADM訓練は、救急飛行固有の条件や個々の病院との契約に応じておこなうべきことが多い。たとえば、これから契約する病院周辺の地形や気象条件、住民との関係から生じる騒音問題、無線通信の要領、搬送先の病院ヘリポートなどが異なるからである。

 その中で最も重視すべきは、担当地域の気象特性を充分に心得ることと、それに応じた計器飛行訓練である。米国運輸安全委員会(NTSB)も、次のような事実を報告している。

「気象の悪化に関連する事故は、救急ヘリコプターによるものが最も多い。しかし、それらは最も容易に防止できることである」

「救急ヘリコプターによる死亡事故の6割以上が気象条件の悪化に起因する。しかも、そのすべてが患者搬送中であった」

 気象の悪化に伴うヘリコプター事故は、ほとんどが巡航飛行中に発生し、しかも計器気象状態(IMC)に入ってから24〜60秒の間に発生していた。こうした事故を防ぐには計器飛行訓練をおこなうことは当然だが、さらにIMCから脱け出す方法、それも正しい姿勢を保持したまま脱出する方法を訓練することが肝要となる。

意志決定の訓練

 次のADM訓練――飛行の可否を判定する意志決定の訓練は危険を減らす手段として、航空局、メーカー、運航会社、パイロットなどの間に広く認められている。

 パイロットの意志決定に影響する要素は心身のストレスだが、それには(1)身体的ストレス、(2)生理的ストレス、(3)心理的ストレス、(4)社会的ストレスの4種類がある。詳細はADM訓練マニュアルに書いてあるので省略するが、パイロットとしてはこれらのストレスが如何なるものかを知って、意志決定がストレスによって左右されることのないようにしなければならない。

 他方、管理者の立場にあるものは、パイロットたちの言動に危険を予知するような変化があったときは、すぐに察知できるよう、普段から各人の個性を把握しておく必要がある。たとえば動作が緩慢で疲労の兆候が見える、顔色が悪くて健康を害したように見える、食欲がない、気分がはなはだしい躁か鬱になっていて、無闇にはしゃいだり落ち込んだりしている、何か個人的な悩みを抱えているように見える、といったことである。

 パイロットたちにそのような様子が見えたとき、管理者は声をかけ、話し相手となり、相談に乗り、必要があれば搭乗勤務を替えるといった措置を取る必要がある。米海軍の調査研究でも、パイロットの言動の変化は、搭乗勤務についていないときであっても、危険を招くことが多いことが実証されている。

 ADM訓練の第1は、パイロットみずから不安全な言動をしていることを認識し、正しい意志決定ができるようにすることである。その核心は、自分で自分の言動を客観的に認識できるようになる必要がある。すなわち昔ながらのパイロットが自分だけの知識、技量、経験に基づいて飛んでいたのに対し、これからのパイロットはそうした要素に加えて、状況判断、意志決定、危険予知の訓練を受けた上で仕事をしなければならない。

 この状況判断もADM訓練に含まれる。気象状態などの飛行環境が悪化してきたとき、パイロットはいち早く気がつくべきだが、事故に至った実例を見ると、気づくのが遅すぎたり、気づいた後の行動が間違っていたりする。状況判断が的確にできないパイロットは、安全度の高いパイロットとはいえないであろう。

 ADM訓練には、もうひとつ、管理者に対する危険予知の訓練も含まれる。管理者は、その日のパイロットの心身の状態、ヘリコプターの状態、気象や地形を含む環境条件、そして飛行業務の目的や内容を見て飛行の可否を判断しなければならない。

ロール・プレイによる選考

 さらに運航会社としては基本的なことだが、パイロットの採用や選定を間違えないことである。実際は、しかし、一度や二度の面接でパイロットの資質や性格を見抜くのはむずかしい。

 そこで、ある航空会社は面接に際して、飛行任務の具体的な状況を設定したロール・プレイとでもいうべき質問をして、入社希望者の反応を見るという方法を取っている。これには3〜5種類のシナリオが用意されていて、応募者の答えが適切であれば、だんだんむずかしい状況判断をしなければならない質問をしてゆく仕組みになっている。

 たとえば「あなたがパイロットとして1日12時間ずつ、連続4日間の交替勤務についたとする。この4日間が終わると、次の4日間は休みになるが、4日目の午後7時から午前7時までの夜間勤務中、そろそろ勤務が明ける午前3時頃、出動要請が入った。このときの気象状態は雲高500フィート、視程2分の1マイル、気温14℃、露点8℃。飛行目的は病院間搬送だが、あなたは飛行するかどうか、理由をつけて答えなさい」といった質問である。

 その答えが満足すべきものだったときは、同じ状況で気温だけが9℃と露点に近く、途中2ヵ所に湖水があってそれを越えて飛行しなければならない。「そんなとき、あなたは飛ぶかどうか、理由をつけて答えなさい」という質問に進む。

 その答えが合格ならば、さらに設定がむずかしくなり、前と同じ状況だが、飛行目的は病院間搬送から現場救急に変わる。しかも「現場は未知の場所である。そんなとき、あなたは飛ぶかどうか理由をつけて答えてなさい」

母親だったらどうするか

 次の質問は全く別の状況である。「4日勤務の初日、午前7時頃、交通事故によってトラックの運転手が頭に大けがをした。あなたはその様子を見て、直ちに病院へ搬送しなければならないと思うはずだが、治療可能な救命センターは145キロも離れたところにある。そこで天候チェックをすると、雲高700フィート、視程1.5マイルで、小雨のために薄いもやがかかっている。気温8℃、露点6℃。準備をととのえて45分後に離陸、ロランCを利用する航法で高度2,200フィートを真っ直ぐ飛ぶ計画を立てた」

「ところが、計画高度に上がると地平線が見えず、地上もぼんやりとしか見えない。わずかに高速道路を走る車のライトが連なってみえるだけで、これを伝って飛べば目的地にゆけることはわかっている。途中に標高1,300フィートの小高い山がある。意を決して高速道路沿いに飛び始めたところ、薄い雲が機体の下をかすめるようになった。そんな状況で、あなたは飛び続けるか引っ返すか。理由をつけて答えなさい」

 そして最後は、上の状況と同じだが「事故のけが人があなたのお母さんだったら、どうするか」という過酷な質問になる。

 これらの質問に対し、多くの場合は、教科書通りの答えが戻ってくるであろう。だからといって有効ではないというのではない。答えや理由について反問しながら討議を重ねてゆくにつれて、入社を希望するパイロットの個性が浮かび上がってくるのである。

 討議が進むと論理の組立て方や考え方も変ってくる。それを見ているうちに、その人の操縦に関する経験や見方、あるいは救急飛行に対する見識や所存といったものが明確になってくる。会社側は、それらを見きわめた上で採否を決めればいいのである。

 この方法はパイロットの採用試験ばかりでなく、採用後の訓練にも使うことができる。パイロットたちの危険予知と意志決定の能力を高めるために、今度は自分で上のようなシナリオをつくって貰う。それには自分の経験をもとにしてもいいし、事故調査委員会が公表している調査報告書をもとにしてもいい。

 こうして自分でつくったシナリオについて運航部長や安全管理者と話し合う。あるいは同僚のパイロット同士で互いに問題を出し合って討論する。このような方法で、各パイロットの判断能力はさらに高めることができるであろう。

パイロットの資質

 ここで『危機管理マニュアル』から離れるが、パイロットの資質を見分けるにはどうすればいいかという問題は、昔から難問であった。日本海軍は顔相で決めたという話を聞いたことがある。まさかとは思うが、本誌に「蘇った空」を連載中の岩崎芳秋氏は海軍のパイロットだったから、あるいは何かご存知かもしれない。

 10年余り前であったか、日本航空はパイロット要員の採用に当たって、その応募者、すなわち全くの素人をいきなり軽飛行機にのせ、操縦桿を握らせた。そういう採用試験が今もおこなわれているかどうかは知らぬが、素質があれば教えられなくても本能的、直感的に、少なくとも機体を安定した状態で保持することはできるのであろう。そこで慌てたり、怖がったりすればパイロットの資質がないわけで、むろん採用するわけにはいかない。

 『墜落の背景』(山本善明著、講談社、1999年11月4日刊)という本は、日本航空の事故処理にたずさわってきた著者による上下2巻の本である。その中に優秀なパイロットを集めるには「訓練時間を最小にして、それでパスした者だけをパイロットにすればいい」という運航本部長の言葉が引用されている。

 つまり短期間で操縦技能が仕上がってゆく人は生来パイロットとしての資質がそなわっている。しかし一定の訓練コースをマスターするのに時間がかかるような「素質のない者は、時間をかけて反復練習を積めば飛べるようにはなるが、いざというとき」の咄嗟の判断と処理ができない。そういう人がやっとのことでパイロットになったりすると却って危険を招くと書いてある。

 また、救急ヘリコプターのパイロットについては、ロイヤル・ロンドン・ホスピタルのリチャード・アーラム博士の編纂になる『トラウマケア』という本の中に、「救急ヘリコプターのパイロットには、通常の飛行とは異なった心理的圧力がかかる。人命救助という根本命題から、ときには危険をもかえりみずに任務を遂行しなければならない。そうしたプレッシャーが一時、米国の救急ヘリコプターで多数の事故を起こした原因でもあった。その多くは何とかして任務を達成しようとする余り、気象条件の悪化する中を飛んで障害物にぶつかったり、霧にまかれて前途を見失なったりしたのである」

「したがって、パイロットの採用に当たっては、面接の段階で応募者の性格を的確に判断しなければならない。無論そんなことは不可能に近い。けれども採用してはいけないパイロットは案外、簡単に見分けられる――興奮しやすく、余りに熱情的で、わがままな性格の人である」

 適性のないパイロットを避けることは、ヘリコプター会社の安全確保、または危機管理の第1歩であり、本人にとってもその方が幸いなのである。(来月号へつづく)

(西川 渉、「ヘリコプタージャパン」2005年12月号掲載に加筆)

  【救急ヘリの危機管理――関連頁】

   安全の確保は全関係者の責務(2005.11.29) 
   HAI白書「安全の文化」(2005.11.28) 
   パイロットを待ち受ける心理的陥穽(2005.9.26)
   なぜ老練パイロットが事故を起こすのか(2005.8.25)

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