<がんを読む(6)>
進化の果て ![]()
NHKテレビで「がんの起源」を見た。去る5月なかばに放送されたもので、「病の起源」という一連のシリーズだから、ご覧になった方も多いであろう。
それによると、「人類の進化が生んだ病」という副題が示すように、ヒトは他の動物に比べて驚異的な進化を遂げたが、その代償としてがんになる危険性を高めてしまったという。
本当だろうか。テレビを見終わって感じたのは、いささか牽強付会に過ぎはせぬか。つまり、誰かが頭の中で考えた屁理屈を強引に視聴者に押しつけようとているような気がするのである。
ただし、その屁理屈はもっともらしくて面白い。アメリカの生物学者、人類学者、医学者など、立派な大学教授やナントカ博士が代わる代わる出てきて、ヒトやサルや恐竜の化石を示したり、がん細胞の顕微鏡写真などを見せながら真面目くさって説明するので、まさか空想やデタラメとも思えぬが、眉につばをつけたくなるような話も出てくる。まあ「科学的冗談」(scientific joke)を聞いているようなつもりが好いかもしれない。
以下、その真面目な冗談の要約だが、ヒトの進化の途中で起こった癌細胞急増の要因は次の3点だそうである。
- 妊娠日の不明化(700万年前)
- 脳の巨大化(180万年前)
- 出アフリカ(6万年前)
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まず第1の要因だが、ヒトは今から700万年ほど前にチンパンジーから分かれて人類となり、新たな進化の道を歩み始めた。
チンパンジーは、メスが妊娠可能な状態になると生殖器をふくらませてオスに知らせる。ところがヒトの女性は、そんな端(はした)ないことはしないので、いつ妊娠可能か外観からは分からなくなってしまった。慌てたのは男の方で、いつでも生殖可能なように、精子をどんどんつくるようになった。そのため遺伝子の構造の一部が変化したとテレビはいう。
「この仕組みを、がん細胞が取りこんで、絶えず増殖する仕組みとしたのです」と語るのは、カリフォルニア大学のRN博士。この先生はヒトの精子をつくる遺伝子がチンパンジーの精子をつくる遺伝子から大きく変化し、精子をつくりつづける仕組みになったことを見つけると同時に、これががん細胞増殖の仕組みと全く同じ構造であることを見出したのだそうである。
さらにケント州立大学のO.ラヴジョイ博士も「女性の生殖可能な時期が分からなくなった男性は、いつでも生殖行為をするようになり、そのため精子をつくり続ける必要が生じた。そうした精子の増殖機能を癌が利用したのです」と語る。
それにしてもラヴジョイとは、なんとまあお説にピッタリの名前だが、本名か偽名か、それは分からない。
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がん増殖の第2の要因は「脳の巨大化」という。ヒトは進化の結果、知能が高まった。180万年前のホモ・エレクトスは、その石器から見て高度の知性をもっていたと見られる。脳の大きさも1000ccになっていた。それより前のアウストラルピテクスは450ccである。
では如何にして、脳は大きくなったか。細胞の材料は脂肪酸だが、それをつくり出すのはFAS(Fatty Acid Synthase:脂肪酸合成酵素)と呼ばれる酵素。このFASが、ヒトの場合は動物よりもはるかに強力で、それゆえに脳細胞を増産し、脳の巨大化を実現した。
この強力なFASを、がん細胞が見逃すはずはない。FASのつくった脂肪酸を使って、がん細胞もまた増殖するようになったというのはジョンズ・ホプキンス大学のGR博士で、その証拠に「がん細胞の中には大量のFASが存在します。これは細胞の増殖に欠かせない物質だからです。がんの旺盛な増殖力はFASがもたらしているのです。世界中の研究から、ほぼ全てのがんがFASを大量に使って増えていることが明らかになっています」
つまりヒトの脳が大きくなり、知性を持つようになったことが、がん細胞の増殖を促したという主張らしい。
ヒトとチンパンジーの頭骨![]()
第3の要因は「出アフリカ」。ヒトは発祥以来、暑い太陽の光が降り注ぐアフリカで暮らし、700万年にわたってアフリカの地で進化してきた。しかし食糧事情が悪くなったのか、6万年前にアフリカを出て地球全体に広がりはじめ、日ざしの弱い地域でも暮らすようになる。
ところが、カリフォルニア大学CG博士によれば、紫外線の量が少ない地域ほど癌の死亡率が高い。ヒトが紫外線に当たると、皮膚でビタミンDがつくられる。しかし紫外線が少ないとビタミンDも少なく、ビタミンDが少なければ癌になりやすい。
このことはネブラスカ州フリモント市で、大規模な実験によって確かめられた。フリモント市は全米でも大腸癌の死亡率が高い。そこの住民から無作為に選ばれた被験者は毎日ビタミンDの錠剤を呑みつづける。すると4年後、ビタミンDを呑んでいたグループは乳がん、大腸がん、肺がんの発生率が半分ほどに下がったというのである。
もっとも、紫外線に当たろうとして、過度の日光浴をすると皮膚がんになるおそれがある。1日15分くらいの、ほどほどが適当であろう。
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かくて人類は、がんになりやすい方へ向かって進化してきた。あとは滅亡のほかはない。そのとどめを刺すのが18世紀の産業革命に始まった現代の人為的な環境の変化だとテレビは叫ぶ。
すなわちタバコ、放射能ヨウ素、アスベスト、ラドン、マスタードガス、ばい煙、B型肝炎ウィルス、ベンゼン、コールタール、ニッケル化合物、ラジウム、カドミウム、ベリリウム、プルトニウム、中性子線、ヒ素、シリカ、ホルムアルデヒド、ガンマ線、ベンジジンなど、われわれの周囲にはがん細胞を生み出す原因が充ち満ちている。これでは2人に1人が癌になるのも不思議ではない。
夜の電灯ですら、がんの原因とテレビはいう。照明は人びとの夜の活動を可能にしたが、この変化が癌のリスクをもたらした。
たとえば夜勤の多い看護師にはがんが多い。夜間勤務と乳がんの関係を調べると、昼間勤務者に対し交替で夜間勤務をする女性は乳がんの発生率が1.8倍、夜間のみの勤務者は2.9倍であった。
夜勤をする者には何故がんが多いのか。血液中に含まれるメラトニンの分泌が減るからで、昼間勤務者にくらべて夜間勤務者はメラトニンが5分の1しかないという。
メラトニンは睡眠などを調整する。また、がんの増殖を抑えるらしい。癌を移植したラットにメラトニンを混入した血液を注射すると、そのラットは癌が大きくならなかったが、メラトニンの少ない血液を輸血されたラットはがんが大きくなった。
この実験をしたテュレーン大学DB博士はいう。「夜、寝ている人の血液にはたくさんのメラトニンが分泌されます。このメラトニンは、われわれの実験からがんを抑制する重要な物質であることが分かってきました。しかし夜、電気をつけるとメラトニンがつくられなくなり、癌の増殖が防げなくなってしまうのです」
人体に備わっていた癌抑制の機能が、夜も働くというライフスタイルの変化で壊れてしまったのである。
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日本でも当然のことながら、病院、警察、消防など夜間勤務についている人が多く、5人に1人の割合という。ほかにも工場や24時間開いている店などがある。特に男性は夜間勤務をすると前立腺がんのリスクが3倍になるとか。
しかし夜間勤務者がいないと、今の世の中の仕組みは成り立たってゆかない。この事態を改めるには、どうすればいいか。
FASががんの増殖にかかわっていることを突き止めたジョンズ・ホプキンス大学のGR博士は今、FASをターゲットにしたがんの治療薬を開発している。FASががん細胞の増殖に不可欠の脂肪酸をつくらなければ、増殖を食い止めることができる。というので、博士のチームは3年前、FASの働きをブロックする物質精製に成功した。これがFAS疎外薬C31である。
細胞レベルの実験でがん細胞の増殖を抑え、次々と死滅させることが確認されている。この薬は、がん細胞が増殖に利用するFASだけを叩くもので、正常な細胞には影響を与えない。したがって「従来の抗がん剤のような副作用は起きません。画期的ながん治療薬になるはずです」と博士はいう。
しかし癌増殖のFASと、正常なFASはどこが違うのか。そのあたりを間違えて、抗がん剤が正常なFASを死滅させることはないのか。そうなれば脂肪酸の合成も止まり、がん細胞ばかりか脳細胞の増殖も止まるのではないか。もしそうだとすれば脳細胞の再生もなくなる。
つまり癌も脳も同じように消滅してゆくわけで、ヒトの脳はどんどん小さくなる。やがてチンパンジーくらいになるだろうから、700万年前に戻ってしまう。ヒトは進化によってヒトになり、その結果として癌を患い、癌によって再びチンパンジーに戻ってゆく――進化と退化の輪廻(りんね)に陥いるかもしれない。
(西川 渉、2013.6.4)
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