<救急ヘリの危機管理――6>

ヘリコプター国際安全シンポジウム

事故率8割減をめざす

 ヘリコプターはさまざまな分野で重宝かつ有効な手段である。地上からは近づけないような場所でも、ヘリコプターを使えば人や物を容易に運ぶことができる。とりわけ山岳遭難や谷間の転落事故、あるいは渋滞する道路での交通事故に際しては、けが人の救助や救急にすぐれた威力を発揮する。

 しかし、それにしては、ヘリコプターそのものの事故が余りに多すぎる。このままでは、せっかくの有効な手段がだんだん使って貰えなくなる。何とかして事故を減らさなければ、ヘリコプター界の将来が危うくなる……。

 というので去る9月26日から4日間「国際ヘリコプター安全シンポジウム」(IHSS2005)が、カナダのモントリオールで開催された。主催は国際ヘリコプター学会(AHSインターナショナル)。これに共催のかたちで協力したのが国際ヘリコプター協会(HAI)で、いずれもワシントンに本部を置く。参加したのは約265人。世界各国のヘリコプター関連の学術研究機関、メーカー、運航会社その他の団体代表、そして航空技術者やパイロット、さらには米国およびカナダの航空当局や軍関係者などである。

 この参会者を前に、AHSのレット・フレイター理事長は「ヘリコプターの事故率が異常に高い。民間航空分野の中で最も高い」と指摘した。これにより毎年多くの人命が失われ、莫大な経済的損失を招き、医療や保険の面でも多額の損害をこうむっている、と。

 2004年のHAIの集計によると、ヘリコプターは10万時間あたり8件の事故を起こしている。この事故率を向こう10年間で8割減とするために「国際ヘリコプター安全チーム」を創設するというのが、会議の結論となった。

 今回はいつもの「危機管理マニュアル」を離れて、この安全シンポジウムの報告書(2005年10月14日公表)を読んでみたい。なお、このシンポジウムは救急飛行だけではなく、ヘリコプターの運航全体の安全を問題としたものである。

高いヘリコプター事故率

 シンポジウムの目的は、民間および軍のヘリコプター事故を減らすために国際的な協力が必要であることを再確認し、具体的な実行体制をつくることであった。事故削減の目標は向こう10年間で8割。この目標達成には相当な困難が予想されるが、決して不可能ではないとされた。

 では現在、ヘリコプターの事故率はどのくらいであろうか。以下の数字は米国内のものだが、2004年の米民間ヘリコプターの総飛行時間は2,225,000時間だった。これに対する事故率は、10万時間あたり8.09件、うち死亡事故は1.48件である。さらに、このうち5.11件はタービン・ヘリコプターの事故、うち1.21件は死亡事故である。

 他方、米国の定期航空の事故率は10万時間あたり0.159件、うち死亡事故0.011件となっている。また米国のジェネラル・アビエーションの事故率は6.22件で、ヘリコプターの方が3割ほど高い。

 このように事故率が高ければ航空保険の料率も高くならざるを得ない。いずれは保険そのものを引き受ける保険会社もなくなるのではないか、という懸念すら出てくる。むろん保険会社ばかりではなく、誰が見てもこれは異常事態であり、いつまでも放置できるような状態ではない。したがって、このままではヘリコプターの利用者もいなくなり、ヘリコプター事業そのものが成立しなくなるであろう。

 逆に、ヘリコプターの事故率を8割減とすることができれば、10万時間あたり1.62件となる。せめて、このくらいの事故率にする必要があり、したがってこれは最低限の達成目標である。

 ちなみに、日本のヘリコプター事故は、2004年中に6件発生した。うち4件が死亡事故である。いっぽう飛行時間は事業機数422機で84,100時間であった。他の民間ヘリコプターも合わせると、機数は803機になるが、飛行時間の集計はない。そこで推定15万時間とすれば、10万時間あたりの事故率は4件、死亡事故は2.7件ということになる。アメリカにくらべて事故率は半分だが、死亡事故率の高いのが気になる。しかも6件の事故のうち5件が事業機や消防防災機であり、死亡事故4件の全てを含んでいる。つまり自家用のようなアマチュアによる事故ではなく、プロによる事故である。アメリカの危機意識は決して他人事(ひとごと)ではない。

安全性向上は最重要課題

 シンポジウムで、キーノート・スピーカーのひとりは「今ヘリコプター界にとって、安全性を高めること以上に重要な課題はない」と語った。

 では、その課題を克服するにはどうすればいいか。結論としては具体的な方策を探り出し、計画を立てて実行に移し、実行の結果を検証し、検証の結果にもとづいて計画を改定し、改定した計画を実行してゆく。こうした繰り返しが事故を減らすことにつながる。

 すなわち安全性を高め、それを維持してゆくには一時的に何かをするだけでは不充分。安全確保のための方策を繰り返しながら、なおかつ改善してゆく必要があるというのである。。

 その具体策を探り出すために、4日間にわたる討議の結果は次のようなものとなった。

 まず事故調査に関しては、インシデントにも注目する必要がある。「インシデント」とは、米連邦航空規則(FAR)の定義によれば「アクシデント(事故)には至らなかったけれども、航空機の運航に伴って発生し、安全に影響を及ぼしかねない出来事」をいう。これらのインシデントを調査収集することにより、問題の所在や傾向を明らかにして事故の予防策を講じることが可能となり、それによって事故の回避も可能になる。そのインシデントが、これまでは事故ではないとして軽視されてきた。しかしこれからはインシデントの情報を集積し、詳細な分析をおこなうことによってアクシデントのタネを摘み取らなければならない。

 次に、ICAO(国際民間航空機関)への要望だが、事故データを標準化して蓄積し、関係者が容易にアクセスできるようにする必要がある。また事故調査機関は航空事故の調査にあたって、その事故に関連する要素と関連しなかった要素を抽出し、ヘリコプター関係者へ迅速に通報する。というのは、正式の事故調査報告書が完成するのを待っていては時間がかかり、その間にまた同じような事故が起こる可能性もあるからだ。特に事故の予防に役立つと思われる要素や事柄については周知徹底をはからなくてはならない。

 さらに事故現場を見ていないメーカーや研究機関にも参考になるよう、デジタル写真を撮ってインターネット経由で配布する。そのうえで、事故調査中もメーカーとの連携をはかり、設計者や技術者の協力を求める。メーカー側も事故調査に充分な協力をすると共に、自社の製品に関する情報やデータを提供する。

 政府は、ヘリコプターの事故調査に熟達した調査員をもっと増員する。また事故調査の結果から得られた教訓を政府の中だけで所有するのではなく、メーカーや運航者とも共有できるような体制をつくる。さらに政府はHUMS(異常作動監視システム)、FDR(フライト・データ・レコーダー)、CVR(コクピット・ヴォイス・レコーダー)の搭載をヘリコプターにも義務づけ、そのための法規を制定する。

人的要素に関する課題

 次にヒューマンファクターに関する課題としては、疲労、自動化、技術習得、整備作業などについて、次のような提案がなされた。

 疲労といっても、ここでいうのは肉体的疲労ばかりではない。むしろ精神的疲労、もしくは怠惰、鈍感、惰性といった人間のおちいりやすい問題である。人がこうした状態におちいることなく、精神の働きを高水準に保つためには、先ず肉体的疲労があってはならないが、健全な身体のうえに教育や訓練が必要である。次いで、乗員や管理者のための疲労評価や状況判断に必要なツールやガイダンスを整備しておかなければならない。

 また航空従事者に必要な最低限の精神的水準を定め、航空機の飛行や整備が惰性によっておこなわれないように気をつけなければならない。それにはヘリコプターの運航に関係する組織の全部門に、上から下まで精神的疲労に敏感な「安全の文化」といったものを醸成する必要がある。

 自動化はヘリコプターの操縦をやりやすくする。したがってパイロットの負担が減り、状況判断の余裕が生まれ、飛行の安全が高まる。けれども全てが理論通りにゆくわけではない。下手をすると却って操作上のミスを招くことにもなりかねない。といって自動化を避けたり遅らせることはできない。

 そこで、新しい技術を導入して自動化を進める場合は、充分な訓練が必要になる。とりわけソフトウェアの異常が生じたときの対応については確実な操作要領を作成し、繰り返し訓練が必要である。逆にまた、設計者やプログラマーが机上で考えただけで、生きた人間が対応できないような自動化は避けるべきである。

 コクピットの計器盤の配列はもとより、電子モニターなどのディスプレイについては、機種によって余り大きく異なることのないよう表示方式の標準化が必要である。

 整備作業については、運航要員とのカルチャーギャップが生じないよう注意する必要がある。仕事の内容を相互に理解し合って、円滑なコミュニケーションができるようでなければならない。

安全の経済性

 次の課題は安全の経済性である。先ず事故によって人が負傷したり死亡した場合には、どのくらいの経費がかかるか。それを防ぐには、どのくらいの費用がかかるのだろうか。そのあたりのコストを冷静に計算しておく必要がある。

 次に、タービン・ヘリコプターとピストン・ヘリコプターでは、安全性にどんな違いがあるか。また、単発と双発の違いはどうか。実は単発機だから事故が多く、双発機は少ないとは限らない。そんな基本的なことも、まだ明確になっていないのではないだろうか。

 さらにヘリコプターの仕事には、比較的やさしい仕事とむずかしい仕事がある。設備のととのった空港やヘリポートの間で、定められた経路を飛んで旅客や貨物を運ぶ仕事は安全性も高い。これに対して同じ貨物でも、山の中で建設資材を運ぶ仕事はさまざまな困難を伴う。そして不意の緊急事態で呼び出され、一刻を争って瀕死の怪我人のもとへ駆けつける救急業務は、夜間に未知の場所へ着陸しなければならないこともあって、ヘリコプターの仕事の中では軍用機の作戦任務に次いで、最も危険な仕事とされている。

 したがってヘリコプターの仕事について、それぞれの業務内容と危険要素を分析する必要がある。その結果によって別個に、危険回避の方法を策定してゆくことが安全確保の方策として有効であろう。

 次の課題は訓練に関する検討の結果である。基本認識として、安全性向上のための訓練費は決して無駄にならない。そうした確信の上に立って、まず訓練の目的を明確にする。次いで、今の訓練飛行時間の基準を見直す。さらに気象条件の悪化にそなえるための計器飛行訓練が必須のものであることを確認すると共に、訓練そのものを強化する必要がある。

 訓練方法としては、シミュレーター訓練を増やす。特にシミュレーターによるオートローテイション訓練を繰り返しおこなう必要がある。

 メーカーは各機種の訓練基準および安全ガイドラインを設定し、運航会社に安全性の向上を促す。

 運航会社は、ヘリコプターのさまざまな作業分野について、どのようなリスクがあるかを明確にして、それに対応した訓練をおこなう。また仕事の分野ごとに顧客との間でヘリコプターの安全性と飛行限界について話し合い、「安全の文化」を醸成するよう努力する必要があろう。

ヘリコプター安全チームの結成

 以上のような検討結果にもとづき、ヘリコプターの安全を確保し、10年間で事故率を8割減とする目標に向かって、今後どのような実行計画を進めるべきか。

 安全シンポジウムで話し合った結果、先ず第1に、なぜ事故率が高いのか、ヘリコプター界全体が協力して原因を明らかにすることとなった。この協力体勢の中心となるのはAHS、HAI、およびFAAである。

 第2に、具体的な作業を進めるために、今回の出席者の中から有志を選び、少数の専門家から成る国際ヘリコプター安全チーム(IHST)を結成し、直ちに安全のための方策づくりに取りかかる。これは、かつて定期航空に関連する航空会社、メーカー(ボーイングおよびエアバス)、ならびにFAAが民間航空安全チームをつくって成功した前例にならうものである。

 安全のための方策づくりにあたって、IHSTは企業、団体、政府からの干渉を受けない。チームのメンバーはこれらの組織から選出されるけれども、その発言や行動は出身母体に縛られず、自由でなければならない。それができない人はチームに入ることもできないこととする。

 そのうえでIHSTの中に3つの分科会を設ける。安全性に関する分析チーム、実行チーム、測定チームである。分析チーム(Joint Safety Analysis Team)はデータの検証と分析をおこなう。実行チーム(Joint Safety Implementation Team)は安全性確保に必要な事項の実行方策を検討し、具体策を勧告する。そして測定チーム(Joint Implementation Measurement Data Analysis Team)は安全計画の実施結果を何らかの形で測定し、将来の計画策定の資料とする。

 また、新たにインターネット・サイトを立ち上げて、安全方策を掲載し、その効果について実行の結果を反映させる。そのうえで適宜、今回と同じような安全会議を開催する。

 なおシンポジウムの席上、安全計画の策定にあたってアメリカの飛行時間統計は必ずしも正確ではないという意見が強調された。運航者の中に集計のための調査に応じないところがあるためで、これではすべての基礎となるデータが不正確になり、計画の立案に支障をきたし、事後の評価も誤ったものになりかねない。この点、いかにして正確なデータを集めるか、その対策が必要であるとされた。

逃げてはならない

 以上が去る9月モントリオールでおこなわれた4日間にわたるヘリコプター安全シンポジウムの報告書の要約である。

 10年間で8割減とは、目標としてやや高いようにも見えるが、決して不可能なことではない。最終的に参会者の心にあったのは、無事故をめざすということであった。

 安全確保のための危機管理とは、飛行任務の遂行に当たって、任務の成果にくらべて危機の大きさを受容できる程度にまで下げること、または完全に排除することと定義される。安全とは、まったく危険がないということではない。そうではなくて、危険を管理するということである。

 危機管理を「君子危うきに近寄らず」と考えている人もいる。しかし危険を避けることによって任務が達成できないような方策は危機管理でも何でもない。危機管理は任務の遂行が安全かつ有効におこなわれるようなものでなければならない。そのために、如何にして危険を克服するか、如何にして任務を達成するか。それらの課題が現実に解決されて初めて危機管理が有効に機能したことになる。

 二次災害の危険があるからといって、飛行を取りやめたり禁止したりするだけでは、任務の達成はできない。二次災害を如何にして防ぐかを考え、対応策を講じたうえで、安全に任務を遂行する。それが本来の危機管理であり、プロフェッショナルの仕事である。

 われわれの周囲にも、安全の美名に隠れて任務を放棄する例がありはせぬか。

(西川 渉、「ヘリコプタージャパン」2006年1月号掲載に加筆)

  【救急ヘリの危機管理――関連頁】

   前途の危険予知(2006.1.23) 
   安全の確保は全関係者の責務(2005.11.29) 
   HAI白書「安全の文化」(2005.11.28) 
   パイロットを待ち受ける心理的陥穽(2005.9.26)
   なぜ老練パイロットが事故を起こすのか(2005.8.25)

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