<がんを読む(7)>

死刑宣告


ガ ン

 『医療幻想』(久坂部羊、ちくま新書、2013年2月刊)は「日本には幻想みたいな医療が蔓延している」という観点から書かれている。副題も「思い込みが患者を殺す」といい、帯には「その治療に根拠はない」と、いずれも激しい言葉で本書の内容を訴えている。

  たとえば、「がんは早く見つけて、早く治療したほうがいいはずだ」という思い込みが、がん検診の根拠となっているけれども、これは日本の特殊な状況で、国際的には否定されている。事実、がん検診を受けた人の死亡率が受けなかった人よりも低いことが証明された検診はほとんどない。

 このような特殊な状況になるのは、人びとの健康不安につけこんで「自らの利益をあげようとする業界が跋扈(ばっこ)しているから」だ。たとえば厚生労働省の本音は「医療費が増えたほうが自らのプレゼンスも高まるし、国民の健康に寄与しているポーズもとりやすい」

 また「マスメディアは、人々の健康不安を煽る事で視聴率や販売部数を伸ば」すことができる。

 こうして本書は、いくつかの例をあげたのち「医療のすべてが幻想とはいわないが、実際にはありもしない状況が信じられ、有害なものが少なくないのに、それが表に出ないのは、事実を知る医師や専門家が口を閉ざしているから」として、医療にかかわるさまざまな幻想を指摘すると共に、その背後の真実を明らかにしてゆく。

 その筆頭が抗がん剤の幻想で、著者は「抗がん剤でがんは治らない」と書き出す。事実、抗がん剤は「がんを治す薬ではなく、延命効果を期待するだけのもの」にすぎない。医師も「がんを治そうとは思っていない」。本音は「この薬ではがんは治りませんが、うまくいけば、少し命が延びるかもしれません」ということらしい。

 しかし本音をいうと「抗がん剤でがんは治ると信じている患者や家族にとっては、死刑の宣告にも等しい」。何故そんな効かない薬がまかり通るのか。「製薬会社の圧力が考えられるが……莫大な研究費と時間をかけても、それくらいの薬しか作れない」からである。

 こうして患者の幻想は簡単に打ち砕かれ、だまって引き下がり、座して死を待つほかはなくなる。

 とはいえ、「がん」そのものがはっきりしないのも困ったことだ。「がんの診断は、病理検査によって決められる。細胞を顕微鏡で見て、正常細胞か、がん細胞かを判別する」

「がん細胞は形がいびつだったり、サイズが異常だったり、核が大き過ぎたり」するが、実際はこうした異常のすべてがそろっているわけではない。「形は正常だが、核だけが大きかったり、……形も核もほぼ正常だが、全体にどこか変という場合もある」というわけで、結局は病理医の主観で判定する。「いわば人相判断と同じである」

 つまり、癌はあいまいな病気で、病理検査だけでがんと診断されても、転移するとは限らない。それが近藤誠医師の提唱する「がんもどき」で、その「存在は未だ医学的には実証されていないが、否定もされていない。がんにはまだまだわからないことが多く……今の診断を信用しすぎると、無駄な煩いを抱えることになりかねない」

「たしかなことは、なんと診断されようと、助かる者は助かるし、死ぬ者は死ぬ……さらに言えば、がんでなくてもいずれはみんな死ぬ」

 なんたることか。がんというわけの分からぬ病気に手こずった医師が、匙を投げたか癇癪を起こしたか、またもや「死刑宣告」である。がん患者としては、いよいよ逃れる道がなくなった。

 そんなあいまいな病気にもかかわらず、「健康増進法」という確固たる法律にもとづいて行われているのが、がん検診の推進事業である。厚生労働省によるもので、がんの「早期発見・早期治療」をめざしているが、本当にそれでいいのか。「がんは早期に治療すればいいかどうか、はっきりわからない」と著者はいう。「早くから治療したために、手術や薬の副作用で、逆に命を縮めてしまう危険性もある」

 日本では「がん検診は有効」という思いこみがあるが、「たとえばアメリカでは約15万人を対象とした大規模調査で、13年間にわたって、年1回の胸部レントゲン検査を受けても、肺がんの死亡率は下がらないことが証明された」「胃がん検診についても、アメリカ国立がん研究所は推奨しないという見解」をとっている。

 逆に日本には、胃がんの「検診によって、死亡リスクが30〜60%減るという研究があるが、……研究の客観性に疑問があるとされ、国際的な支持は得られていない」

 それどころか、日本のがん患者の3.2%はレントゲン検査の被曝が原因で発病した人びとである。つまり「レントゲン検査の受けすぎ」というべきであろう。そこで著者は、大学の同級生、すなわち医師がどの程度がん検診を受けているかアンケート調査をしたところ、回答してきた36人は「まったくかほとんど受けていない者が圧倒的多数」だった。医師は、本当のことが分かっているからであろう。

 以上、ここでは本書の中からがんの話だけを取り上げたが、それはごく一部である。本書は『医療幻想』という題名が示すように、医療全体の問題を幅広く取り上げ、「幻想」というキーワードで解説している。

 たとえば「いわゆるメタボ検診にも、多くの疑問と弊害が指摘されている」。これは腹囲の基準を誰でもかれでも一様に、男85センチ、女90センチと決めているように、あちこち疑問だらけの規則なのである。

 その目的は医療費の抑制だそうである。ところが逆に、検査をするだけでも大変な金がかかり「健診業界は『メタボバブル』とでも言うべき好況を呈している。国民のためと称して、医学的に議論の余地を残したまま、一部の業界に濡れ手に粟の利益をもたらす」と著者は憤慨する。メタボ検診によって国民の健康を増進するという幻想を掲げて、実は特定業者の金儲けをめざす。そんな厚生行政をやるような役所は、著者ではなくて筆者にいわせれば、シナの厚生省である。

 同じような幻想と、その背後に隠れた魂胆は製薬業界を初め、医師会を含む医療業界、マスメディアなどに見ることができる。本書は、そうした幻想をさまざまな角度から指摘し、暗部を白日の下に引き出した医療評論である。

(西川 渉、2013.6.13)

【関連頁】
   <がんを読む>進化の果て(2013.6.4)
   <がんを読む>正体見たり……(2013.5.29)
   <がんを読む>酌みかはさうぜ(2013.5.26)
   <がんを読む>つける薬はない(2013.5.23)
   <がんを読む>相反する談話(2013.5.4)
   <がんを読む>抗がん剤の効果(2013.5.1)
   おい癌め(2012.10.18)

 

 


入院中の病室の窓から見たドクターヘリ(2012年9月、千葉北総病院にて)

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