<ドクターヘリ>

災害出動体制のあり方

 大災害が発生したとき、ヘリコプターは救急救助の強力な手段となり得る。しかるに今なお、その機能が充分に活用されていない。垂直離着陸と空中停止という、他の航空機には真似のできない飛行特性と機動力を生かし、もっと組織的な系統立った運用をすれば、命を落とさずにすむ人も増えるにちがいない――そう考えたのは、今から20年ほど前のアメリカ運輸省であった。

 きっかけは1989年のサンフランシスコ大地震である。湾岸一帯が強く揺れ動き、建造物が損壊し、高速道路が倒壊、ベイブリッジは2階建ての上層が崩れ落ちて下層の道路を走っていた自動車を押しつぶすなどの被害を生じた。死者は63人だったが、それを上回る79人がヘリコプターで救助された。

 この成果を将来に生かすために、運輸当局はヘリコプターにどんな能力があるか、どんなことに使えるか、充分に使いこなすにはどんな準備が必要かといった課題についてガイドラインをつくり、全米の自治体に配布して防災計画の中にヘリコプターを組み入れるよう要請することとした。

 といって机上のプランでは現実的、実践的なものにならない。そこでサンフランシスコ地震までの10年余り、米国内で起こった大災害18件について、ヘリコプターがどのように使われたか、どのような効果があったか、残された課題は何かなどについてケース・スタディをおこなった。

 調査研究の対象は地震を初め、洪水、火災、鉄道事故、航空事故、さらには銃の乱射による大量殺人など多岐にわたる。その報告書(文献1)によれば、ヘリコプターで救助された人は総計3,357人。ヘリコプターがなければ死亡したかもしれない人は187人であった。

 そうした実態にもとづいて編纂されたガイドライン(文献2)は、1991年に公表された。さらに1998年には、将来のティルトローター機の利用も視野に入れた改訂版が連邦航空局(FAA)のアドバイザリー・サーキュラー(情報資料)として公刊された(文献3)。主な内容は下表の通りである。

米連邦航空局
「ヘリコプターおよびティルトローターの災害救助計画への利用」

第1章 目的
 災害救助におけるヘリコプターとティルトローターの能力・防災計画への組込み・防災担当者とヘリコプター運航者との連携

第2章 計画と準備
 既存の防災計画および関連法規の確認・災害対策本部における航空責任者の任命・出動レベル・出動手続き

第3章 出動可能な機材
 運航者の調査・機種と機数・飛行条件

第4章 通信連絡
 専門用語の理解・緊急連絡網の構築・作業要領と指針の作成・医療情報・任務の割当て・航空管制

第5章 着陸場所
 選定基準・実地調査

第6章 計画の発動と訓練
 計画発動・訓練の必要性と効果・事後分析

 これらを受けて各地の自治体が防災計画にヘリコプターを組み入れるようになったが、テキサス州ダラス・フォトワース地区のHELP計画(文献4)もそのひとつで、ヘリコプターの能力を最大限に生かした対策になっている。

 ここでは以下、そうしたヘリコプター防災計画を参照しながら、航空機の災害活用方策を考えてゆきたい。

根本の目的は人命救助

 災害時にヘリコプターを使う根本の目的は人命救助にほかならない。無論ヘリコプターは、ほかにも情報収集、防災担当者の現地派遣、緊急物資輸送、空中消火、空中指揮、政府要人の視察飛行、家畜の救出などさまざまな用途に使うことができる。けれども先ず、何よりも救急、救助、医療チームの派遣、怪我人の搬送など人の命にかかわる任務に活用されなくてはならない。

 そのために、これらの文書が重視するのは事前の準備である。基本となるのは組織体制で、その中に航空責任者を定め、準備をととのえる。それがないまま災害に直面し、偶然そこにヘリコプターがあったから、ちょっときて手伝ってくれといった思いつきでは何もできない。

 実際に災害が発生したならば、自治体は災害対策本部を設置、航空機の出動要請を発すると共に、運用管理も一本にしぼる。出動要請は災害の規模によって異なる。たとえば下図のとおり、死傷者10人以下のレベル1では担当地域内の救急、消防、警察などのヘリコプターですませるが、死傷者10〜20人程度のレベル2では近隣地域の応援を求め、場合によっては州兵の出動を依頼する。死傷者がさらに増え、20人を超えるようなレベル3の規模になったときは上位の行政組織を通じて沿岸警備隊や軍隊の出動を要請する。

事前の準備と訓練が不可欠

 こうして呼び集めた航空機をどのように運用するか。多数の機体を使いこなしてゆくのは決して容易なことではない。ヘリコプターの役割は、それぞれの本来の活動任務を基本とし、それを拡大するような形で運用する。急に普段と異なる任務を与えても、なかなかうまくゆかない。

 しかも、いくつもの異なった機関が共同作業をするには相互の調整が必要で、このときも災害対策本部の航空責任者が中心となる。もっとも、こうした相互調整は災害発生前の計画および準備の段階で、基本的な取り決めがなされていなくてはならない。普段は行政事務に当たっている防災担当者がいくつもの実践部隊を前にして、いきなり調整役になったり、任務を割り当てたり、多数のヘリコプターの運用を管理するのはきわめて難しい。とりわけ安全には留意すべきで、緊急時だからといって無理な飛行や不用意な任務を要求してはならない。

 また航空責任者は、みずからも普段の情報収集や訓練が必要である。収集すべき情報は各航空機の具体的な能力――たとえば座席数、搭載可能なストレッチャー数、貨物搭載重量、燃料規格、臨時着陸に必要な場所の大きさ、運用限界、特殊装備品、通信手段など。ヘリコプターの特殊装備品としては人員救助のための吊り上げホイスト、物資の吊り下げ輸送をするカーゴフック、消火用バケットなどがある。

 さらに重要なのは通信手段で、搭載無線機、携帯電話、地上移動無線機、そして周波数やコールサインなども確認しておく。

 事前の準備として訓練も欠かすことはできない。危機に対する最善の方策は日頃の訓練につきる。特にヘリコプターのような特殊な機材を使いこなすには、あらかじめ訓練を重ね、それに慣れておく必要がある。訓練に当たっては、関連する緊急機関の協力を求め、現実の災害を想定したシナリオに基づいておこなう。

 特にレベル3の大規模な訓練は、軍の大型ヘリコプターを飛ばすことにもなる。この実践的な訓練によって、組織を越えた横断的な協調態勢を確認する。このとき計画や準備の不足が明らかになれば、その都度修正してゆく。

 防災担当者と各緊急機関との間の通信連絡訓練――電話と無線機を使うだけの机上訓練も有効である。災害の発生、出動要請、被災地での活動指示、現場からの報告といった緊急情報は、事態が混乱している中で迅速かつ的確に伝えてゆかねばならない。このとき医療、航空、消防、警察、軍隊など、それぞれに専門用語があり、言葉の受け渡しだけでも普段の訓練と慣れがなければ難しいであろう。

ヘリコプター搬送はできるだけ遠くへ

 航空機は、いざ実践となると動きが速く、行動範囲も広い。航空責任者はこれらの動向を正確に把握しつつ、適切な指示を送り出してゆかねばならない。ここで事前の連絡訓練がものをいう。

 被災地の基地ヘリポートでは、多数のヘリコプターが離着陸をくり返す。そのため、空港の管制塔に相当する担当者を置いて、進入してくる機体の管制をおこなう。また現場周辺の空域では多数の機体が飛び交うので、相互の通信と飛行要領を取り決める。さらに機数が多いときは万一にも空中衝突など起こさぬよう、上空に管制専用のヘリコプターか飛行機を飛ばして空中管制をおこなう。この管制機には、防災責任者が同乗して空から指揮を執ることも考えられる。

 こうした指揮の下で、救急専用のヘリコプターは救急医療チームと医薬品を、災害現場や救護所へ送りこむ。そこで傷病者の応急治療をおこなうと共に、手当を受けた患者を乗せて搬送する。このとき現場に近い病院は救急車で運ばれてくる怪我人であふれるだろうから、ヘリコプターによる搬送は事情の許す限り遠くへ行くのが望ましい。この場合、災害本部は周辺地域に点在する病院がどのような状況にあるか、患者を受け入れる余地があるかなどを把握していなければならない。

ドクターヘリ災害出動規程が必要

 さて、ここまでアメリカの文献を見てきたが、最後に日本の現状に照らして重要な課題を3つだけ挙げておきたい。現場指揮者のリーダーシップ、通信手段の確保、そしてドクターヘリの災害出動要領の明文化である。

 第1点の指揮者は、混乱する災害現場で人命救助に当たるさまざまな機関を統括してゆく役割だが、災害対策本部、その中の航空担当者、あるいはドクターヘリだけならば拠点病院の医師がそれに当たる。刻々に変化する状況を広く俯瞰し、それらに対応するための指示を出してゆかねばならない。

 なお、米運輸省のガイドラインは自治体の防災担当者が人事異動によって短期間で交替するのは望ましくないとしている。防災計画を準備すると共に、実践に臨んでは指揮を執らなければならない立場の者が、せいぜい2年前に赴任したというのでは素人同然で、毎年の反復訓練も無駄になる。防災担当者や現場指揮者は専門家でなければならない。

 第2点の通信手段の確保に関して、東日本大震災では固定電話も携帯電話もほとんど通じなかった。衛星電話や無線機などの準備をしておく必要がある。

 第3点は、ドクターヘリの災害出動に関する規程を定めておく。現状は日頃の救急医療だけを考えた取り決めしかないはずで、これが被災地に出動するとなれば、誰がどのような指示を出すのか。その手順や要綱を法令その他で定める必要があろう。

 東日本大震災では、DMAT(災害派遣医療チーム)事務局からの要請で出た例が多かった。それを含めて中央省庁のどこが要請すべきか。それを受けた地方自治体、消防、拠点病院、運航会社などはどのような調整と手続きを経てドクターヘリを送り出すのか。さらに送り出した後の空白をどのように埋めるのかなども、あらかじめ定めておく必要があろう。

参考文献

1. Rotorcraft Use in Disaster Relief and Mass Casualty Incidents - Case Studies, U.S. Department of Transportation, June 1990

2. Guidelines for Integrating Helicopter Assets into Emergency Planning, U.S. Department of Transportation, July 1991

3. Integrating Helicopter and Tiltrotor Assets Into Disaster Relief Planning, FAA Advisory Circular (AC No.00-59), November 1998

4. HELP (Helicopter Emergency Lifesaver Plan), Dallas/Fort Worth HELP Committee, March 1994

(西川 渉、HEM-Netグラフ2011年夏号所載

  【関連頁(ハリケーン・カトリーナの具体例)】 

    火攻め水攻め(2005.9.15)
    
虚構の危機管理(2005.9.11)
    
人命救助が優先(2005.9.9:救急の日)
    
ヘリコプター救助活動つづく(2005.9.6)
    
再びヘリコプター救助活動2005.9.5)
    
史上最大の救助活動(2005.9.2/加筆2005.9.3)  

表紙へ戻る