<救急ヘリの危機管理――8>

経営管理面から見た
危機管理の要点

 去る2月末、アメリカのテキサス州ダラスで開催された国際ヘリコプター協会(HAI)の年次大会では、ヘリコプターの安全問題が大きく取り上げられた。3日間の会期中に安全の確保を主題とする会合が何度も開かれ、そのたびに多くの人が出席して熱心な討議がつづいた。

 その一つ「安全シンポジウム」では、米国事故調査委員会(NTSB)や米連邦航空局(FAA)のほかにメーカーや運航者が交互に登壇して、ヘリコプターの安全に関する考え方が披瀝され、質疑がおこなわれた。

 最初に登壇したNTSBの前役員は「目覚まし時計は全て右巻きというのは神話に過ぎない」と切り出した。「この神話には根拠がなく、実際はどちらへでも巻ける時計が数多く存在する」。つまり、このような些細な思いこみが間違いのもとになるというのである。

 航空界は今、安全を損なうような要素が急激に増えている。コストが上がり、競争が激化し、交通量が増えてきた。これからは通常の航空機が増えるばかりでなく、多数の無人機も飛び回るようになるだろう。そんな中で安全を確保するのは決して容易なことではない。その対策もまた、今まで以上に強化しなければならない。さもないと、安全は当然のごとくに損なわれてゆく。

 そこから、さまざまなな論議が展開されたが、その中で運航組織の長によるリーダーシップの発揮、装備品の作動監視装置(HUMS)の取りつけ、旅客機同様のボイス・レコーダー(CVR)やフライト・レコーダー(FDR)の搭載などが提案された。これらの装置は最近、ヘリコプターにも適した小さくて軽いものができているらしい。

 実際に、たとえば北海では1980年代後半、石油開発に従事しているヘリコプターの事故が年間30件から40件を超えるところまで増加した。これを見た英航空当局(CAA)は1990年、規則を改めてCVRとFDRの装備を義務づけたところ、その後の事故は3分の1ないし4分の1まで大きく減少した。つまり、これらの装備によって事故原因が明確に突き止められるようになり、的確な対策が可能になったというのである。

 このNTSBの前役員からは最後に、ヘリコプター運航会社に対して次のような問いかけがなされた。「貴社の安全担当役員は誰ですか? その役員は安全に関する訓練を受けていますか? その役員と社長との関係はうまくいっていますか? 安全管理部門には何人配置されていますか? あなたは事故に対して如何なる対応をすべきか準備ができていますか? 社長はあなたの考えた安全方策について常に支持してくれますか? 組織の中に危機管理体制はできていますか?」

4つの危機管理要素

 さて、本稿はFAAの手引き書『救急ヘリコプターの危機管理』(Risk Managment for Air Ambulance Helicopter Operators、1989)を読むものだが、途中あちこちに寄り道をしたため連載が長くなってしまった。HAIでの論議を長々紹介していると、またもや寄り道に終わるおそれがあるので、今回は以下、最後の第5章を読んで連載を終わることにしたい。

 このマニュアルは救急ヘリコプターの安全確保のための危機管理に関し、運航会社や病院の経営管理者の役割や責任を示すものである。それというのもヘリコプター救急飛行は、きわめて複雑な仕事で、常に危険にさらされている。それだけに安全こそは日常業務の中でも決して忘れてはならない要素にほかならない。そこで第5章では、経営管理の立場から見た危機管理の要素が抽出整理されている。その要素とは訓練、管理、運航、疲労の4点である。

1 訓練

(1)パイロット

 訓練こそは、あらゆる問題回避の基本である。しかもパイロットは危機管理の中心にある。したがって訓練によってパイロットの危機を取り除くことが、危機管理の根本命題となる。

 パイロットは訓練によって、それも繰り返し訓練によって、任務遂行に必要な能力を身につけてゆく。さらにパイロットは自分自身の生来の性格を知って、それを正しつつ、常に冷静な判断ができるよう心がけなければならない。とりわけ天候の悪化に際して、ヘリコプターの姿勢を維持する能力はきわめて重要である。しかし、姿勢の維持のほかにも、次のような重要な訓練要素がある。

(2)医療クルー

 ヘリコプターに乗って出動する医療関係者は、運航上の安全確保について充分な知識を持ち、訓練を受けなければならない。そうした医療クルーに対する訓練としては、主に次のような事項が含まれる。

(3)地上関係者

 救急現場でヘリコプターの飛来を待つ関係者も、滅多にそうした場面にぶつかることはないが、あらかじめヘリコプターに関連する訓練を受けておくよう強く勧告しておきたい。訓練の内容は次のようなものである。

2 管理

 危機管理がうまくゆくための基本的な要素は2つである。ひとつは乗員とヘリコプターの運用限界について、病院側の関係者に充分な理解を得ておくこと。そのためには普段から充分な意思疎通をはかり、日常業務におけるパイロットの判断に関しては病院側の賛同が受けられるようになっていなくてはならない。それには次のような方法が考えられる。

3 運航

 運航に関しては3点の要素が考えられる。

4 疲労

 乗員の疲労と事故との間に、どのような関係があるか、科学的、統計的なデータが出ているわけではない。けれども常識的に考えて、パイロットの感情が事故に結びつきやすいことは理解できる。肉体的な疲労が人間の感情に悪影響を及ぼすことを考えるならば、危機管理の一環として乗員の疲労には充分な注意を払う必要がある。

 乗員の疲労を最小限に抑えるには、人数に余裕をもたせ、勤務時間や交替時間にも余裕を持たせることが肝要である。

 疲労について、もうひとつ考えなければならないのはストレスである。パイロットに影響する主要なストレスには次のようなものがある。

 このうち社会的ストレスは、パイロットに対して最も大きく長期にわたって影響を及ぼす。この中には救急業務によく見られるストレスも含まれるので、管理者としてはパイロットがそうしたストレスの影響を受けていないかどうか、常に見守る必要がある。ストレス緩和のためには、精神衛生の相談の機会を設けるとか、家族との団らんのための休暇を取らせるなどの対策を講ずる必要がある。

着実な組織的実行が必要

 これで『救急ヘリコプターの危機管理』を読み終わることにする。内容を振り返って見ると、運航者にとって必ずしも目新しいものばかりではないかもしれない。多くの運航者が似たような方法で成果をあげているであろう。つまり、このマニュアルは多くの人が実行している方法について、欠けているかもしれないわずかな部分にちょっとした修正を加える。そのためのヒントを提供するものである。

 さらに本書に書いてあることは「それだけで完全に救急ヘリコプターの事故をなくせるようなものではない。しかし、これらの方策を体系的、組織的に着実に実行してゆくならば、必ずや飛行の安全は高まるに違いない」。FAAはそのような言葉で、この手引き書を結んでいる。(了)

(西川 渉、『ヘリコプタージャパン』2006年4月号掲載)


米ヴァンダービルト大学病院の屋上ヘリポート
ここはGPSによる計器進入も可能。機種はEC-145。

  【関連頁――救急ヘリの危機管理】

   飛ぶべきか飛ばざるべきか(2006.4.4)
   ヘリコプター国際安全シンポジウム(2006.1.27)
   前途の危険予知(2006.1.23) 
   安全の確保は全関係者の責務(2005.11.29) 
   HAI白書「安全の文化」(2005.11.28) 
   パイロットを待ち受ける心理的陥穽(2005.9.26)
   なぜ老練パイロットが事故を起こすのか(2005.8.25)


離陸するライフフライト機。周囲に不時着場がないため、
カテゴリーAの離陸方式によって、まず垂直に上昇する。
高層ビルの多い市街地にあって、飛行開始から22年間、
事故は一度も起こしていない。

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