<野次馬之介>

福島原発を見る(5)

 福島原発の事故に関連して、本頁をお読みいただいているヘリコプター界の皆さんには、菅首相や斑目委員長の言動もさることながら、過熱する原子炉に向かっておこなわれた冷却水のヘリコプター投下も忘れられないであろう。

 あの飛行作業を、馬之介もテレビ中継で見ていて、まことに残念な気がした覚えがある。危険な作業ではあろうが、もう少しうまくやれないものか。せっかく危険を冒しながら、あれでは原子炉に水が入らないではないか、と。

 果たして結果はどう評価されているのか。いくつかの文献類を調べてゆくことにしよう。

 まず、先にも引用した『福島原発事故独立検証委員会調査・検証報告書』(2012年3月11日刊)には3行だけ「(2011年3月)17日午前9時48分頃から、自衛隊のヘリコプターが4回にわたって、3号機の上部へ散水し、合計30トンの海水が投下された」としか書いてない。大判400頁を超える分厚い報告書だが、調査委員たちはヘリコプターなど関心がなかったのか。あるいは水投下の効果に見るべきものがなかったからかもしれない。

 これより先、ヘリコプターが出動することになった背景には、原発事故の翌日、3月12日に原子炉1号機の建屋が水素爆発を起こし、14日には3号機の建屋が爆発、いずれも5階部分が激しく損傷した。次いで同じく14日、2号機も冷却水が不足して燃料棒が露出、15日には2号機が大きな衝撃音を発する一方、4号機の建屋が爆発、4〜5階部分がはなはだしく損壊するなど、相次いで異常事態が発生した。さらに16日早朝4号機から火の手が上がり、3時間ほどたって3号機からも白煙が噴出した。けれども地上からの消火もしくは冷却活動は放射能にはばまれて現場に近づけない。ヘリコプターを使うほかはないということになったのである。


悪魔が立ち上がって、こちらをふり向いているような
原子炉3号機の水素爆発

 そこで16日昼過ぎ、官邸の首相執務室で菅首相以下、北澤防衛大臣、折木統合幕僚長などの協議がおこなわれた。その結果を『カウントダウン・メルトダウン』(舟橋洋一、文藝春秋、2012年12月30日刊)は次のようにまとめている。

  • 木更津の陸上自衛隊第1ヘリコプター団第104飛行隊が任務にあたる。
  • 放水にあたる陸上自衛隊の大型輸送用ヘリコプターCHー47チヌークの座席に放射線を防ぐタングステンのシートを敷き詰める。
  • 防護服の上に鉛板が入ったチョッキを着用する。それによって体を通り抜けるガンマ線を遮断する。
  • 乗員は内部被曝を防ぐ安定ヨウ素剤を服用する。
  • パイロットも防護マスクを着用する。視界が遮られるが仕方がない。
  • 窓という窓に目張りをする。
  • 披ばく線量を抑えるため、高度300フィート(90メートル余り)を20ノット(時速約37キロメートル)で通過しながら水を投下する。ホバリングはしない。
  • 当面、3号機への放水を念頭に置く


なんと、この本は冷却水を投下するチヌークが
表紙に描かれているではないか

 この結論を受けて、ヘリコプターは16日現場に飛んだ。しかし放射線量が高くて断念、実際の水投下は17日となった。このときのもようを、2ヵ月後の読売新聞(2011年5月17日)は乗員たちに焦点を合わせ、「現場の声」として次のように報じている。

「ヘリコプター2機は……17日午前、原子炉3号機の使用済み核燃料プールに対し、交互に計4回にわたって海水を投下した。

 1番機の加藤憲司隊長(39)に最終的な出動命令が下ったのは当日早朝。……被曝線量を抑えるため、300フィート(約90メートル)の高度を20ノット(時速37キロ)で通過しながら水を投下する作戦を立てた。機体には放射線を防ぐタングステンのシートと鉛板を敷き詰め、隊員は防護服の上に鉛板の入ったチョッキを着用、体内被曝を防ぐヨウ素剤を服用した。

 当時、露出した核燃料に水をかければ水蒸気爆発が起きる危険もあった。『多少のリスクは覚悟していた。いかに正確に飛行するかに集中した』と1番機の伊藤輝紀機長(41)は振り返る。

 原発に近づくと、水蒸気が上る建屋の不気味な姿が見えた。放射線量を計測していた別のヘリコプターから、数値が低いとの連絡が入り、加藤隊長が実施を決断。2機に『予定通り実施する。しっかり頼む』と機内通話で命じ、風下から原子炉へ向かった。

 数分後、プール上空で伊藤機長が『放水!』と合図し、整備員が水を積んだバケツの栓を開けるボタンを押した。

 防護マスクのため視界が狭く、声が聞き取りにくいという状況で、ポケットにお守を忍ばせた隊員らは4回の放水を実施。2番機の前原敬徳機長(37)は『あまり思い出したくないぐらいの緊張感だった』と本音を明かした。任務前、妻には心配をかけたくなかったため連絡せず、帰投後にメールで打ち明けたという。

 加藤隊長は『放射線という目に見えないものへの不安はあったが、与えられた任務をこなすことだけを考えた』と語った」。

 確かに実施部隊は大変な思いをしたであろう。しかし、結果はどうだったのか何も、書いてない。

 なお、『死の淵を見た男』(門田隆将、PHP研究所、2012年12月4日刊)によれば、任務を終えた2機のチヌークは、近くの「Jヴィレッジのグラウンドに着陸した。機体も隊員も除染しなければならない」からだ。そのとき「Jヴィレッジでは、同じく霞目駐屯地を飛び立ったもう1機のチヌークが待機していた。放水作戦に従事した隊員が万一、放射線を浴びて負傷した場合、直ちに医療機関に搬送する準備をしていたのである」

 しかし幸いなことに、乗員たちは「被曝量を測ってもらいましたが、レントゲンを何回か撮った分ぐらいのものだから大丈夫です、といわれました」

 良かった、良かったと馬之介は思う。ただし、ちょっと気になるのは、乗員たちの年齢である。この新聞記事にあるように、最長41歳で、あとは30歳代というのは若すぎないだろうか。軍用機のパイロットには年配者がいないのかもしれぬが、東電が原発建屋のベント作業にゆく人選にあたっては、『死の淵を見た男』に書いてあったように、「若い人には行かせられない」といった配慮があった。同じようなことを、自衛隊も考えるべきではないだろうか。

 次に当時の状況を『レベル7――福島原発事故、隠された真実』(東京新聞原発事故取材班、幻冬舎、2012年3月11日刊)によって読んでみよう。

「自衛隊ヘリコプターによる水の投下は、より危険性が大きい3号機から実行することが決まる。だが、上空の放射線量が高く、16日中の投下は断念する。菅首相は同夜、北澤防衛大臣に『とにかくヘリコプターで早くやってほしい』と迫った。17日にオバマ大統領との日米首脳電話会談を控えていた」

「『放射線量が高くてもやります』
 17日朝、折木統合幕僚長は意を決し、防衛大臣にヘリコプターによる水投下作戦の決行を伝える」

「鉛のベストに防護服、マスク、ゴーグル姿。いつもとは違う格好の陸上自衛隊員たちがCHー47チヌーク4機に乗り込む。被曝量をなるべく減らさなくてはならない。ヘリコプターの床には、放射線を防ぐ金属板を張った」

「午前9時48分から4回にわたり、バケットの海水計約25トンを3号機に投下する。プールを冷やす効果は知れている。だが派手な投下シーンはテレビ中継され、懸命の活動をアピールした」

「菅首相がオバマ大統領との電話会談で現場の状況を伝えたのは、最後の投下から22分後だった。オバマは、あらゆる支援を行う用意があると述べた」

 同じ状況を菅首相は自著『東電福島原発事故――総理大臣として考えたこと』(菅直人、幻冬舎、2012年10月25日刊)の中で次のように語っている。

「3月17日9時48分、陸上自衛隊のヘリコプターが3号機へ上空から注水した。以後52分、58分、10時と、4回にわたり水が投下された。この模様はテレビで中継され、私は成功してくれと祈りながら見ていた。

 前日は放射線量の高さで見送られた作戦が、この日ようやく成功したのである。ヘリコプターに放射線を遮蔽する金属板を貼り付けての、自衛隊員のまさに決死の作戦だった」

「注水作戦成功直後の10時22分、アメリカのオバマ大統領と電話会談をした。オバマ大統領もテレビで自衛隊の注水作戦を見ていたそうで、感激してくれていた」

「この自衛隊ヘリコプターからの注水作戦は、まさに目に見える作戦であり、しかも、被曝を覚悟しての決死の作戦であった。その危険性を最もよく理解していたのは米軍だったようで、この作戦以後アメリカ軍の態度が大きく変わったと、防衛大臣から聞いている。『トモダチ作戦』として支援に来ていた米軍としても、原発事故は気がかりだったようで、日本政府がどこまで本気で解決しようとしているのか、疑心暗鬼な雰囲気もあったという。しかし、自衛隊は、日本政府が本気であることを行動で示してくれた」

 これを元首相の独りよがりというか我田引水というか「核電注水」というかはともかく、オバマ大統領が「感激」したというのはいささか怪しい。そのくらいの外交辞令は誰でも云うことである。それに自衛隊の「決死の覚悟」はよく分かるが、テレビを見ていても、ヘリコプターから投下した水が霧のように散っていた。これでは首相の祈りが通じたとは思えない。「菅政権も冷却効果はほとんどないとわかっていた」と報じた新聞もある。

 政府事故調の原発事故報告書を技術的に解説した『福島原発で何が起こったか』(畑村洋太郎ほか、日刊工業新聞社、2012年12月25日刊)も「9時48分から約13分間、自衛隊のヘリコプター2機で合計4回、30トンの海水を散水した。この散水は、多くの人がテレビで見ながら感じたように、あまり効果がなかったと思われる。そして、ヘリコプターによる散水はこの1日だけで終わった」と書いているのみ。

 もうひとつ『福島原発の真実――最高幹部の独白』(今西憲之+週刊朝日取材班、朝日新聞出版、2012年3月20日刊)には、こんなくだりが見られる。

「自衛隊のヘリコプターで3号機の燃料プールに放水……テレビで何度もその映像が報じられた……空高くヘリから放水することは危険性が高いし、効果も期待できなかった。フクイチ対策本部の中では
『どうしてそんなことするんだ』
 とみんなが映像を見ながら、首をかしげていた。アメリカへのアピールなどという事情を、現場は知らない。
 そのシーンをテレビで見ていたフクイチ幹部の一人は同僚にこう声をかけた。
『本当に申し訳ないよな』」

 馬之介としては、ヘリコプターの起用がまさか初めから,冷却効果よりも政治効果を狙っていたとは思いたくない。けれども、もしそうだとすれば、命がけの思いで飛んだチヌークの乗員たちこそ、気の毒ではあるが、いい面の皮というほかはない。まるで命がけのピエロではないか。

 ヘリコプター注水の政治的な意味については、アメリカ総領事として沖縄に駐在し、東日本大震災に際して国務省のコーディネーターとして被災地支援のための「トモダチ作戦」の調整や、福島原発事故の対応に忙殺されたケビン・メア氏が『決断できない日本』(文春新書、2011年8月29日刊)の中で次のように書いている。

「自衛隊のヘリコプターが日本時間17日午前、ようやく3号機に散水しましたが、この光景を見た米政府のショックは大きかった。『自衛隊の英雄的な放水作戦を見て、オバマ大統領が「日本政府は事故封じ込めに必死になっている。米国は全力を挙げて支援する」との決心を固めた』と書いていた日本の報道もありましたが、事実はまったく逆でした。

 大津波襲来による電源喪失から一週間が経過したその日、日本という大きな国家がなし得ることがヘリコプターによる放水に過ぎなかったことに米政府は絶望的な気分さえ味わったのです。しかも、自衛隊の必死の作戦にもかかわらず、投下した水は原子炉冷却に効果があったようには見えませんでした。

 その後『二階から目薬』という、うまい言い回しが日本にあることを知りました」

「海水投下作戦はその効果のほどはともかく、何かをやっているということを誇示せんがための、政治主導の象徴的な作戦だったと思います。いわば、菅首相の政治的パフォーマンスとしかわれわれには見えませんでした。実際、自衛隊の現場では、海水投下の効果を期待できないとして、作戦に慎重な意見も多かったと聞いています。それでも、首相の政治的スタンドプレーと知りながら、命令とあれば命を賭けて作戦に赴いた自衛隊員たちには敬意を表したいと思います」

 もうひとつ、カナダで出ている隔月刊の雑誌『ヘリコプターズ』(2011年5/6月号)は「バンビ対ゴジラ」という象徴的な表題で次のような記事を掲載している。ここで「バンビ」とは、自衛隊ヘリコプターが使っていたバケットの商品名で、本来は森林火災の消火に使う。つまり、子鹿のバンビを森の火災から護ろうという趣旨の商品名である。ゴジラの方はいうまでもなく、核から生まれた日本の怪獣で、ここでは暴れ狂う原子炉を意味するのだろう。

「福島原発が大津波に襲われ、電源が失われて原子炉が過熱し、危機的な状況に陥ったとき、日本の自衛隊は空から原子炉に向かって水を撒いた。

 このもようはテレビ中継によってカナダにも伝えられ、ブリティッシュ・コロンビア州のSEIインダストリーズ社でも見ることができた。同社は自衛隊がヘリコプターに吊して使ったバンビ・バケットのメーカーである。

 ところが、日本のパイロットはバンビ・バケットの使い方について正しい訓練を受けていないらしく、原子炉の上で放たれた水はほとんど効果を挙げていないように見えた。SEIによれば、バケットを吊したワイヤは長さが25フィート(7.5メートル)しかなかったが、これは150〜200フィート(45〜60メートル)にすべきであったという。

 しかも飛行速度が速すぎるし、高度も高すぎる。そのため水が目標に近づいたときには、霧雨のようになってしまった。

 この自衛隊の放水ぶりを、記者は実際にSEI社で再現してもらった。地面に幼児が遊ぶビニール製のプールを置き、それに向かってヘリコプターに吊したバンビ・バケットで注水する。自衛隊機と同じ高度と速度で注水すると、高度が高すぎて速度が速いものだから水は上空で散ってしまい、プールにはわずかな水滴が降っただけであった。

 同じことを高度を変えたり、速度を変えたりして繰り返し、最後は低空をゆっくりと飛行しながら放水してみた。すると小さなプールは水があふれんばかりになった。

 SEIは日本のテレビ中継を見ていて、すぐに長吊りのワイヤと、経験を積んだ教官パイロットを日本に派遣することを考えた。そして日本政府に提案したが、何の返事もなく、梨のつぶてに終わったという」


原発ゴジラ

 馬之介もテレビを見ながら、同じようなことを考えていた。どうして長吊りしないのか、と。バケットの吊り下げワイヤを長くすれば、ヘリコプターや乗員は高い位置にいて、バケットは下の方にあるから、それだけ被曝の危険性も少なくなる。

 バケット本体の吊り下げ索は5メートル程度である。これに50メートルくらいのワイヤをつないで、それをヘリコプター下面のフックに取りつける。これでSEI社のいう長さになる。

 むろん長吊りすれば、ヘリコプターの操縦は難かしくなる。そこは普段からの訓練によって克服しなければならない。スイスでは、赤十字傘下のエアレスキュー隊REGAが時に応じて200メートルの長吊りにより、アルプスの垂直に切り立った断崖で立ち往生した登山者を救助している。そのためにパイロットも救助隊員も絶えず厳しい訓練を重ねる。なにしろ長吊りの先端を登山者の脇へ正確に持ってゆかねばならないので、これは非常に難かしい。

 原子炉の場合も、その真上に正確にバケットをもってゆく必要がある。毎時37キロで飛んでいては、到底そんなことはできない。しかも、それだけの速度が出ていれば、放水が雲散霧消するのは当然のこと。やはり原子炉の上で速度を落とすべきである。

 無論ぐずぐずしていれば被曝量が増えるが、だからこそ長吊りによって、バケットだけを下の方に吊り下げるのである。チヌークの7トン程度の水量は10秒くらいで投下されるから、場合によってはホバリングすることもあり得る。といっても複雑な機構を使って放水するのではなく、バケットの底を開いて重力によって水を落とすだけのこと。原子炉の上に長々と停留する必要はない。

 しかし、今ここで自衛隊の水まきについて非難がましいことをいうつもりはない。そんなことは馬之介の本意ではないし、非難する資格もない。しかし今、原発再開か脱原発かという議論が闘わされているけれども、将来なお使い続けるとすれば万一のことを考え、ヘリコプターの機動力を生かせるような準備と訓練をしておくべきであろう。

 そんなことは自衛隊の本務ではないといわれるかもしれない。それならば、民間ヘリコプター会社に委託する手もある。幸い東京電力、中部電力、九州電力、東北電力など、多くの電力会社は子会社としてヘリコプター会社を資本傘下に置いている。普段は送電線の巡視や鉄塔建設資材の運搬などに当たっているが、原発事故を想定した新たな準備と訓練をしておくことも考えられる。むろん危険な任務だから、それなりの高額契約を締結する必要もあろう。安全を確保するには、金がかかるのである。

 馬之介としては、ここで「原発ゼロ」などというつもりはないが、これだけ複雑かつ困難な発電装置を使うからには、その危険性も十分に想定し、安全のための施策も考えておかねばならない。ちなみに航空界では、事故は起こるものと考え、だからそれを防ぐにはどうすればいいかということで安全策を講じる。しかるに原子力ムラでは、事故は起こらぬものと考え、だから何の安全策も講じてこなかった。そのことが今、われわれの直面している危機をもたらした。

 もはや原発は、誰の眼にも明らかなように、事故以前に喧伝されていたような安くてクリーンな発電装置ではなくなった。それを日常手段として使うからには、身体的な危険と経済的な負担を覚悟する必要がある。その場合、経済的な負担は電力料金の値上げでまかなうなどという、昔ながらの安易な考えを採らぬよう、政治家諸公と電力各社の重役陣に願っておきたい。(つづく

(野次馬之介、2014.1.21)

【関連頁】
    <野次馬之介>福島原発を見る(4)(2014.1.21)
    <野次馬之介>福島原発を見る(3)(2014.1.19)
    <野次馬之介>福島原発を見る(2)(2014.1.16)
    <野次馬之介>福島原発を見る(2014.1.15)

【バンビバケット関連頁】
   <小言航兵衛>原子炉注水(2011.3.19)
   火攻め水攻め(2005.9.14) 

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