<小言航兵衛>
天災・人災・官災 先日のテレビで、福島原発事故の発生当初、アメリカ政府が日本に対し何でも協力すると申し入れる一方、日本からの情報が少ない。何か隠しているのではないかと苛立っている様子が語られていた。
原発事故から最初の数日間、その実態が過不足なく伝えられていたかどうか、航兵衛としては、まあそんなものだろうくらいにノンキに構えていたが、今から思うとまさしく内実はアメリカ政府の苛立ちの通りだったに相違ない。
しかし当時、日本の為政者たちは、首相も官房長官も経産相も、実は何も知らなかったのではないか。決してアメリカ政府に隠し立てをしていたわけではなく、知らせたくとも自分が知らないのだからどうにもならなかったはず。
在日アメリカ大使が官邸にやってきて「隠すな、本当のことを教えろ」と言ったようだが、教えたくても知らぬことは教えられない。けれども知らぬといえば自分の無知をさらすことになり、無知は無知なりに「直ちに健康に影響はありません」などという官僚振りつけのセリフで国民を騙しつつ、自らもそう信じこんでいたのであろう。
テレビの論評などでは、国民がパニックになるのを防ぐために情報を小出しにしていたという人もいるが、実際は政府首脳部の方がパニックに陥っていたうえに事故の実態を知らなかった、というよりも知らされていなかったと思われるのである。
実際に隠し立てをしていたのは無知な政治家ではなくて、官僚たちであった。彼らは何とかしてこれまでの原子力政策の欠陥を表に出すまいとしたに違いない。けれども事はあまりに重大で、とても隠しておけなくなった。
とりわけ罪が深いのは「原子力村」の村人たちであった。東大工学部の原子力工学科という村の出身者を中心とする御用学者、電力会社、中央官庁、自治体などが、すべて自分たちの都合のいいように、原子力問題を操ってきたのである。
航兵衛も昔、何年も前のことだが、電力会社の若い社員と話をしていて、原発のことではなかったけれども、電力問題について少しばかり異論を出したことがある。すると、その社員は「日本は世界で最も質の高い電力を安定的に供給している。そのためには、それなりの金もかかるし、設備も必要である。さもなくば、しばしば停電したり、電圧が変化するような電気になってしまう。それでいいのか」というような反論をしてきた。
なるほど、若いうちから社内で教えこまれているのか、自分たちの都合に合わせた反論の仕方を心得ているわけで、その方に驚いて二の句が継げなかった。彼らは民間企業のような顔をしていながら、独占体制を背景として販売競争の苦労もなく、役人と同じ心情であぐらをかいていたのである。
では、その仕事の具体的なやり方はどうしてきたのか。『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』(武田邦彦著、産経新聞出版、2011年6月8日刊)という興味津々の本が、そのカラクリと内実を教えてくれる。著者は長く原子力分野の研究にたずさわり、原子力委員会(推進側)や原子力安全委員会(チェック側)の専門委員などもつとめてきた。したがって福島原発の事故にも無関係ではなく、その失敗の「責任を痛感」しつつ本書を書き、テレビ画面でも問題点の解説にあたっている。
著者によると福島原発は震度6で壊れた。何も史上最大級の地震でなくても、日本のどこかで毎年1度は起こる程度の、震度4〜5を耐震基準とする設計であった。したがって「想定外」ではなく、想定の通りに壊れたのだそうである。
現に、2007年7月の中越沖地震も震度6程度であったが、想定通りに柏崎刈羽原発が壊れた。さらに今年4月には震度6の余震によって女川原発が壊れ、青森県東通原発も震度4で全電源が失われた。
何故そんなに簡単に原発が壊れるのか。詳しくは本書を読んで貰うしかないが、誰も壊れないようにつくっているわけではない。原子力村の「責任逃れの体制」で建設されているからで、自分に責任が及ばなければそれでいいという考え方でつくっているのである。
たとえば原子力安全基準・指針専門部会(2006年)での著者の質問に対し、内閣府の課長は「基準法に合格したからといって地震で壊れないとは限らない。それが法律というものだ」と答えた。つまり原発が簡単に壊れるのは、技術問題ではなくて、責任逃れの可能な法律問題であって、「人災」なのである。
本書には、このような意表を衝(つ)く話ばかりが出てきて、日本の原子力政策が如何に出鱈目で、危険に満ちたものであったかを明らかにしてゆく。これまで政府や東電に騙されてきた我々門外漢としては驚き、かつ呆れるほかはない。
かくして国民を騙しつづけ、ついに被曝させるに至った為政者たち、すなわち国は一種の「傷害罪」だというのが著者の結論である。とすれば、この放射能によって死者が出たときは「殺人罪」に発展するかもしれない。その殺人犯に肩入れし、彼らの宣伝(プロパガンダ)をそのまま垂れ流して、国民から強制的に受信料を取り立てるNHKなどは「殺人幇助罪」に当たるのではないだろうか。
それにしても原子力村のような思考法は、航空界では考えられない。航空機は墜ちることを前提に飛んでいる――などというと語弊や誤解が生じるかもしれぬが、乗員たちは常に、今ここでエンジンが停ったらどう操作するか、電気系統や油圧系統が故障したらどう対応するかを考えながら操縦している。現に旅客機の出発にあたっては、スチュワデスが乗客に向かって救命胴衣や酸素マスクのつけ方を説明し、非常口や脱出シュートの位置を確認するではないか。
全てが万一の場合に備えてのことで、この飛行機は絶対に墜ちないとか絶対に安全などとは誰も考えない。救命胴衣のつけ方を説明すれば乗客が怖がって乗らなくなるとか、この飛行機は絶対に墜ちないから非常口は要らないなどという航空会社があるだろうか。
東京電力は原発に事故はないから、放射能の中で処理に当たる作業ロボットなんぞは不要という奇妙な論法で、政府が何十億もかけて開発したロボットの受け取りを断わったと聞いた。原子力村の連中は、そういう馬鹿げた思考回路で過ごしてきたのだ。
しかも政府は、今なお「安全が確認されるならば、原発再開」などといっているようだが、何をもって安全が確認されたといえるのか。無意味な虚言に過ぎない。安全はどこまで行っても確認とか確保はできない。絶対の安全などはないのである。したがって、異常事態が起こったときにどう対応するか。それが合理的に処置できることをもって安全とせざるを得ない。
航空機の場合は、それを納得して飛んでいるし、乗客は旅客機に乗っている。しかし原発については、それですませられるだろうか。異常事態に対する合理的な対応策がなければ、あとは原子力発電をやめてしまうほかはないであろう。
原子力もしくは核エネルギーという、この世で最も危険なものを扱いながら、その危険性に目をつぶってきたのが原子力村の田舎者たちであった。田舎者すなわち井の中の蛙で、東日本大震災のような事態にはとうてい思い及ばない。したがって、その天災に端を発した原発事故は人災となり、ついには航兵衛にいわせれば「官災」となったのである。
(小言航兵衛、2011.6.18/加筆2011.6.20)
【関連頁】
<小言航兵衛>計画停電の本義(2011.5.23)
<小言航兵衛>原発黙示録(2011.5.22)
<原発事故>ある英雄パイロットの死(2011.4.25)
<小言航兵衛>核戦争が始まった(2011.4.16)
<小言航兵衛>日本メルトダウン(2011.4.12)
<小言航兵衛>放射能下に生きる(2011.4.9)
<小言航兵衛>原子炉注水(2011.3.19)
<小言航兵衛>天罰(2011.3.17)(表紙へ戻る)