<ヘリヴィア>

メーカーの歩み(1)

(ヘリヴィア=ヘリコプタ+トリヴィア)

 ヘリコプターの製造メーカーは1960年代に入ると、ベトナム戦争に並行して、世界各国で開発と製造に活発な動きを見せ始めた。

 アメリカではベル、シコルスキー、バートル、ヨーロッパではMBB(独)、シュド・アビアシオン(仏)、ウェストランド(英)、アグスタ(伊)、そしてソ連ではミル、カモフなどが主要なところで、先ずはアメリカ3社の活動ぶりを見る。

ベル・ヘリコプター社

 ベル社初の実用機として成功したモデル47は、2人乗りの47Dから3人乗りのG、G-2へと進歩する。1955年に型式証明を取得したG-2は最も多く製造され、200hpのライカミング・ピストン・エンジンを備え、総重量1,100kg、速度は160q/hほどであった。以後47G-2A、47Hー1、47J、47Kと進み、47J-2はアメリカ大統領専用機にも採用された。

 47G-2は、日本でも川崎重工がライセンス生産し、自衛隊も使用した。のちに川崎は、47G-3Bのキャビンを改造して4人乗りのKH-4を開発する。なお、47シリーズのライセンス生産はイタリア・アグスタ社でもおこなわれた。

 最終的にベル47シリーズは総数5,600機以上が製造され、1960年代を通じて西側世界の最も標準的なヘリコプターとして愛用された。今でも約1,000機が飛んでいる。

 ベルHU-1ヒューイは先に述べたとおり、ベトナム戦争で活躍すると共に、民間型モデル204Bに発展、1963年に型式証明を認められた。日本の富士重工とイタリアのアグスタ社でライセンス生産された。204B(10席)はやがて205A(15席)となり、さらにエンジン2基を備えた212双発機へ進み、主ローターを4枚ブレードにして412へ発展する。

 もうひとつ、206ジェットレンジャーもベル社のヒット作で、1960年代後半に登場するや、代表的な小型タービン機として40年あまりの間に7,000機以上が生産された。


ベル47

シコルスキー社

 VS300の試作から、小型実用機のR-4、R-5、R-6を第2次大戦に送り出したシコルスキー社は、戦後S-51の量産に成功する。同機は1946年2月16日に初飛行、総数285機が生産された。続いてS-52が47年2月12日に初飛行、95機が製造される。しかし、これでは小さ過ぎるということからS-55が企画され、1948年に開発着手となった。

 S-55の特徴は大きな胴体の機首先端にピストン・エンジンを装備、その出力を一段高くなったコクピットの中央部を通して頭上の主ローターに伝えるという構造。これにより主キャビンは邪魔な凹凸がなくなり、貨物や人員の搭載容積が大きくなった。

 軍用向けのH-19は1949年1月10日に初飛行、ライトR-1340星形エンジン(600hp)をつけて55機が生産された。続いてエンジン出力を700hpに上げたH-19Bの量産に入る。

 民間向けS-55は1952年3月25日に型式証明を認められ、総重量3,265kg、9〜12人を乗せて最大速度175q/hで飛ぶことができた。これによりロサンゼルス・エアウェイズやベルギーのサベナ航空で市内と空港を結ぶ旅客輸送にも使われた。

 日本では三菱重工が1958年にライセンス生産をすることになり、民間および自衛隊向けに合わせて32機を製造した。フランスやイギリスでもライセンス生産がなされている。


シコルスキーS-55

ボーイング・バートル社

 タンデム・ローター機の開発を手がけたピアセッキ社に始まる。ピアセッキPV-3は大きな胴体の前後にローターをつけ、1945年に初飛行した。その利点は2つのローターを反転させることでトルクを打ち消し、エンジン出力の全てを揚力と推力に当てることができる。また前後の重心位置の範囲が広くなるので、人や物の搭載をせまい範囲に限定する必要がない。

 のちにPV-3は米海軍に採用され、1947年から実用化される。その後、創立者のピアセッキが退くと、ピアセッキ・ヘリコプター社は1956年ヴァートル社と改称し、60年にボーイング社の傘下に入ってボーイング・バートル社となった。

 今につながるモデル107はライカミングT53ターボシャフト(860shp)2基をつけて1958年4月22日に初飛行した、このエンジンをT-58ーGE-6(1,050shp)に換装し、ローター直径を大きくしたのが改良型107Uで、59年8月27日に初飛行、1962年民間機として型式証明を認められると、半年後に乗客28人のりの旅客機としてニューヨーク・エアウェイズの定期路線に就航した。日本でも川崎重工が10機を組み立てている。

 そのモデル107を基本とする発達型114は、今もCH-47チヌークとして広く使われている。エンジンはライカミングT55I(2,200shp)が2基。兵員34人、またはストレッチャー24人分の搭載が可能。初飛行は1961年9月21日。


ピアセッキH-21空飛ぶバナナ

(西川 渉、『ヘリワールド2016』掲載に加筆、2016.8.5)

【関連頁】

  <ヘリヴィア―8>戦争とヘリコプター(2016.7.9)
  <ヘリヴィア―7>同軸反転機とタンデム機(2016.6.11)
  <ヘリヴィア―6>ベル・ヘリコプター(2016.6.7)
  <ヘリヴィア―5>ヘリコプターの父(2016.6.4)
  <ヘリヴィア―4>近代化への歩み(2016.6.2)
  <ヘリヴィア―3>初めて人を乗せて飛ぶ(2016.5.26)
  <ヘリヴィア―2>ローター機構の進歩(2016.5.21)
  <ヘリヴィア―1>らせん翼の着想(2016.5.18)
  <ヘリワールド2016>ヘリコプター博学知識(2015.11.26)

    

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