<小言航兵衛>

ある物理学者の死

 1988年4月30日付のニューヨーク・タイムズが、ソ連の物理学者ワレリー・レガソフ氏(51歳)の死亡記事を掲載した。その死は3日前の4月27日――チェルノブイリ原発事故から2年と1日目であった。

 事故の当時、レガソフ氏はソ連原子力研究所の副所長だったが、チェルノブイリ事故調査委員会の委員長に任ぜられ、事故の5日後にはソ連代表団を率いてウィーンに赴き、事故の概要を説明した。しかし他の国々から集まった出席者には、ソ連が何かを隠しているという印象を与えるにとどまり、納得が得られなかった。

 というのも、レガソフ委員長はクレムリン政府から口を封じられていたからである。「自分はウソはいわなかった。けれども真実の全てを話したわけではない」と語ったのは、同年末ソビエト科学アカデミーの会議の場であった。

 このレガソフ氏を主人公とするドキュメントをテレビで見た。2006年にイギリスBBC放送の制作した「チェルノブイリの真相」と題する番組で、NHKが放送したのはつい先日のことだからご記憶の方も多いだろう。したがって以下は、記憶力の衰えた自分のためのメモである。

 チェルノブイリの原発事故は、1986年4月26日になったばかりの午前0時過ぎに起こった。発電所の職員たちは最先端の職場で仕事をするという誇りもあって安全神話を信じ切っており、何の疑いもなく4号炉の動作試験に取りかかった。

 制御室にいた3人の操作員がテストのために制御棒を抜いたり、冷却水を止めたりしているうちに、なぜか原子炉の温度が急に上昇しはじめた。驚いて緊急停止ボタンを押したが暴走は止まらず、3人が「制御棒を手動で降ろせ」「原子炉を止めろ」「ボタンを押したか」などと声をかけ合っているうちに、頭上でにぶい爆発音が響いた。あわてて原子炉を見にゆくと、あたりは真っ赤な火の手に包まれていた。

 どうやら原子炉建屋の屋根が吹き飛んだらしい。午前2時頃、発電所の所長に報告がなされた。「給水を増やして冷やしつづければ収束する」という気休めの言葉もつけ加えられた。

 しかし事実は、そんな簡単なものではなかった。というのは、この4号炉に使われている核燃料は原爆の20倍近い量に上る。その放射性物質が外へ漏れたら、拡散は止めようがない。その結果、放射能は至るところで暗殺者のように姿も見せず、音も聞こえぬまま人の命を奪うことになる。

 それはすぐに始まった。発電所の火事だというので駆けつけた消防隊員たちが消火作業の間に吐き気とめまいがして倒れはじめ、顔や手の皮膚が黒ずんではがれ落ち、よだれ、鼻水、涙が止まらず、数日後にはほとんどの人が死亡していった。

 午前2時半、事故から2時間ほどたった頃、シェルターの中で所長を中心に職員たちの議論がつづいていた。1人が放射線量は1時間あたり3.6レントゲンと報告する。ただし、その線量計は3.6までの目盛りしかなく、針が振り切れていたのである。

 しかし所長は「振り切れたかどうかは分からない。実際の数値が3.6だった可能性もある」として無理に自らを納得させ、モスクワに報告した。モスクワも3.6くらいならばたいしたことはないと安堵の胸をなでおろし、それでも念のために事故調査委員会の設置を決めた。最高責任者はボリス・シチェルビナ副首相。そして番組の主人公、ワレリー・レガソフ氏が委員長となった。

 事故から6時間ほどたって夜が明け始めた頃、原発職員とその家族が暮らすプリピャチの町からは、発電所の方角に黒い煙の立ちのぼる様子が見えた。このときすでに周囲はすっかり汚染されていた。土も草も水も、人の衣服も髪の毛も、何もかもが放射能にまみれていたのである。

 その日午前10時半頃、原子炉は完全に破壊され、放射線量は3.6どころか、15,000レントゲンに達していた。しかし、職員たちはあり得ないこととして、計器の故障とみなしていた。

 午後になって、最高責任者の副首相がチェルノブイリへ飛び、ヘリコプターに乗って上空から4号炉を視察した。1,000トン近い屋根が吹き飛び、真っ赤な原子炉が見えていた。副首相は放射線の濃度が余りに高いのに驚き、身の危険を感じて急ぎチェルノブイリに戻ると、現地の職員をまじえて会議を開いた。

 その結果、原子炉の消火のために砂を投下することになり、空軍のヘリコプターに出動命令が下った。同時に住民の避難も決議されたが、本当のことを公表すればパニックになるというので、人びとには3日間だけですぐに戻れると告げることにした。また避難を誘導する軍の兵士にはマスクも防護服も着用させないことにした。

 しばらくして原子炉上空には多数のヘリコプターが集結し、総計5千トンの砂とホウ素の散布がおこなわれた。


散布作業に使われた大型ヘリコプターの墓場

 

 事故から5日たった頃、スウェーデンで大気中から放射線の異常が検出された。しかも、線量はますます増大する傾向が見られた。

 ソ連国内ではチェルノブイリ原発の汚染除去と原因調査と責任追求がつづいていた。その結果、事故原因は制御棒や原子炉の構造に致命的な欠陥のあったことが突きとめられた。

 そして3ヵ月後、レガソフ委員長は事故の原因に関する報告書をまとめ上げた。この文書は政府部内では高い評価を受けたが、国際的な発表は禁じられた。レガソフ氏は科学者として真実を隠すわけにはゆかないと抵抗する。しかし主張は受け入れられず、原子炉や制御棒の欠陥に関する記述は報告書から削除された。

 そして原発職員の運転規則違反、すなわち人的ミスが原因という結論が政府によって公表された。それに伴い、規則違反を犯したという原発職員たちが罪を問われ、刑務所に収監される。 

 BBCの制作になる1時間近いテレビ番組の概要は以上のとおりである。最後の画面は、物理学者レガソフ氏が良心の呵責に耐えかねて、自宅の高いところからぶら下がった縊死のシーンであった。

 福島第1原発の事故は自殺者はともかく、誰にも責任はないのか。地震や津波という自然現象に責任を負わせるだけで済ませていいのか。万一にそなえる予防措置や的確な事後措置を取ることは不可能だったのであろうか。

 悪いのは自然現象であって、だから停電、値上げ、増税に向かうというのが電力業界と官僚と政治家の言い分のようだが、この連中に御用学者や財界首脳も合わせて、問うのも無駄なことながら、ワレリー・レガソフのような良心や責任感はないのか。

 貴公らが無知無能だったがゆえに、ろくな予防も措置もできなかった。それならばまだ許せる。だが、天下を欺くためだったとすれば、天も許すわけにはゆかぬだろう。


ワレリー・レガソフ(1936〜1988)

(小言航兵衛、2011.7.29)

【関連頁】
   <チェルノブイリ>戦史に学ぶ(2011.6.23)
   <小言航兵衛>天災・人災・官災(2011.6.20)
   <小言航兵衛>計画停電の本義(2011.5.23)
   <小言航兵衛>原発黙示録(2011.5.22)
   <原発事故>ある英雄パイロットの死(2011.4.25)
   <小言航兵衛>核戦争が始まった(2011.4.16)
   <小言航兵衛>日本メルトダウン(2011.4.12)
   <小言航兵衛>放射能下に生きる(2011.4.9)
   <小言航兵衛>原子炉注水(2011.3.19)
   <小言航兵衛>天罰(2011.3.17)

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