<ヘリヴィア>

メーカーの歩み(2)

(ヘリヴィア=ヘリコプタ+トリヴィア)

エアバス・ヘリコプターズ社

 フランス国営シュド・エスト社に始まる。第2次大戦前は、シエルバC.30オートジャイロのライセンス生産などをしていたが、戦後は独自のSE.3120アルーエト小型多用途ヘリコプターで成功する。

 当初のアルーエトTは3人乗りのピストン機で、1951年7月31日に初飛行、農薬散布などに使われた。次のSE.3130アルーエトUは1955年3月12日に初飛行したが、当時の小型機としては初めてタービン・エンジンを装備していた。透明の風防で覆われた機内は5人乗り。1957年に型式証明を取って、軍民両分野で幅広く使われ、1962年までに受注数1,000機を超えた。

 この間、1959年2月28日には発達型のSE.3160アルーエトVが初飛行した。7人乗りのタービン機で、1961年から量産が始まると、アルーエトU同様、日本を含む世界各国で使われた。

 シュド・アビアシオン社では1962年12月7日、超大型ヘリコプター、スーパーフルロンが初飛行する。タービン・エンジン(1,500shp)3基を装備するもので、乗客28人乗り。総重量は12トン。

 やがて同社はアエロスパシアル社に変わり、1992年にはドイツMBB社と合併してユーロコプター社となる。そして2014年、今のエアバス・ヘリコプター社へ社名を変更し、さらに最近ヘリコプターの名称も変えた。

 

エアバス・ヘリコプターの新旧名称表

旧名称

 

新名称

 

備    考

EC120

H120

――

AS350B3e

H125

――

AS355

AS355

例外(ツインスター)

EC130

H130

――

EC135

H135

――

EC145

H145

――

EC155

H155

――

AS365

AS365

例外(ドーファン)

EC175

H175

――

AS332

AS332

例外(スーパーピューマ)

EC225

H225

スーパーピューマ



アルーエトU

アグスタウェストランド社

 イタリアのアグスタ社は1907年ジオバニ・アグスタによって設立され、第2次大戦までにさまざまな飛行機を製造した。戦後はベル47、ベル204などのライセンス生産をするかたわら、1人乗りのA103、2人乗りのA104ヘリカーといった独自のヘリコプターも開発した。また1959年2月3日には、ベル47を大きくして、8人乗りとしたアグスタ・ベル102を初飛行させる。

 アグスタ社の最も重要な独自の開発はA109双発ヘリコプターであろう。1971年8月4日に初飛行、75年に民間型式証明を取って量産に入ったが、そのスマートな機体デザインは引込み脚の高速飛行性能と共に強く人びとの注目を集めた。以来40年にわたって改良進歩をつづけ、今もAW109SPとして広く使われている。

 一方のウェストランド社は100年前の1915年イギリス南西部のヨーヴィルに設立され、飛行機の製造をしてきた。戦後はシコルスキーS-51、S-55、S-58のライセンス生産をしたのち、独自のリンクスやEH101に進む。このEH101をアグスタ社と共同開発することになったのがきっかけで両社合併し、2001年に今のアグスタウェストランド社(AW社)が誕生した。

 新しいAW社は、アグスタ社がベル社と共同開発してきたAB139を単独で開発することになり、今のAW139に育て上げた。ベル社との間では、さらに民間向けティルトローター機AB609の共同開発も進んでいたが、ベル社が撤退したためAW609として、間もなく完成の域に近づいている。

 最近のAW社ではAW109やAW139に加えて、AW159、AW169、AW189など、多彩なヘリコプターの開発と生産が続いている。

 また、昨年は社名をフィンメカニカ社に変更したと思ったら、ことしになってレオナルド社に変えたか、変えようとしているらしい。


アグスタA109

ミル・ヘリコプター

 ロシア――かつてのソ連ではミハイル・ミルがヘリコプター開発の先駆けとなる。その考え方は「汽車が走るには線路が要る。自動車には道路、飛行機も滑走路が必要だが、ヘリコプターは自由に、どこででも発着できる。山の頂上でも、船の甲板でも、村のあぜ道でも、建物の屋上でも……」というものだった。

 ミルは1947年、ソ連ヘリコプター設計局の責任者になると、それまで20年間の研究結果を生かして48年からMi-1の試作に着手、50年に初飛行させるや、早くも翌年から量産に入った。その頃、ミルの頭にあった競争相手はアメリカのシコルスキーS-51、ベル47、そしてピアセッキPV-3である。「そのほかにも20種類ほどのヘリコプターが実験や試作を続けていたが、ものになったものはない」

 ソ連で初めて実用になったヘリコプターはMi-1。その存在が西側世界に知られたのは1955年である。その頃、ソ連ではMi-4の量産が始まっていた。同機は1,700hpのピストン・エンジンを搭載、総重量7,200kgで、ペイロードは1,200〜1,600kg。これらの数値はいずれもアメリカ製シコルスキーS-55のほぼ2倍であった。

 以後、ミル・ヘリコプターはMi-6超大型機,Mi-8、Mi-17およびMi-38大型多用途機、Mi-24ハインド攻撃機、Mi-28ハヴォック攻撃機、世界最大のMi-26輸送機などを開発製造している。Mi-26はローターが8枚ブレードで直径32m、11,400shpのエンジン2基を装備して、20トンの貨物を搭載することができる。総重量56トン。


旧ソ連のミルMi-1ヘリコプター

カモフ・ヘリコプター

 ニコライ・カモフは1929年からロータークラフトの研究に着手、ソ連初のオートジャイロをつくって第2次大戦時の軍用機として採用された。やがて「空飛ぶモーターサイクル」と呼ぶ同軸反転式のヘリコプターを開発、1949年初飛行に成功する。以後カモフ機は全て同軸反転方式となる。先ず2人乗りのKa-15を完成、軍用および民間用の量産に入った。軍用機としては偵察に使われたり、艦艇から発着して敵潜水艦の探知や攻撃に当たった。また民間機はアエロフロートがエアタクシーや農薬散布に使用した。

 のちにカモフ・ヘリコプターからは小型ながらピストン・エンジン(325hp)2基を備えるKa-26が実現する。1965年に初飛行した同機は、ローター・ブレードにグラス・ファイバーを採用、乗客用の主キャビンは着脱式という珍しい構造をもっていた。キャビン・ポッドを外せば自重が軽くなって、その分だけ重い物資の吊下げ輸送が可能となり、薬剤タンクをつければ農薬散布にも使えるというアイデアである。のちにエンジンをターボシャフト(700shp)1基に換えたり、西側のロールスロイス250-C20(450shp)2基を装備するKa-226としたり、今も手頃な多用途機として広範に使われている。

 このほかにもカモフ・ヘリコプターはKa-18、Ka-27、Ka-28、Ka-32と大型化しながら発展してゆく。さらにアメリカのアパッチに対抗してKa-50攻撃機も実現した。このうちKa-32は日本にも1機輸入され、今も物資輸送などに使われている。吊上げ能力5トン。


左右の肩のところに大きな星型エンジンをつけたKa-26

 余談ながら、カモフKa-26を初めて見たのは1966年2月であった。当時のアビアエクスポルト(ソ連航空機輸出公団)の案内でモスクワ・シェレメチェボ空港にゆき、実機を前にしてこまかい説明を受けた。まだ試験飛行中の試作4号機で、機内には測定機器が積んである。

 総重量は3,000kg、ペイロードは最大900kgくらいか。キャビン・ポッドの着脱可能というアイディアに加えて、コクピットには簡単な与圧装置とエアフィルターがつく。これで農薬散布のときは薬剤の侵入を防ぐことができるという。

 帰国後、このKa-26について日本の航空専門誌に現地で撮った写真と共に見聞記事を書いたところ、すぐにアメリカ大使館から電話がかかってきた。詳しい話を聞きたいという。その頃、Ka-26は米アビエーション・ウィーク誌に1頁の簡単な記事とぼんやりした写真が掲載されただけで、西側ではほとんど知られていなかった。私も実は、その記事を見てモスクワに行ったのだが、冷戦の時代とはいえ、アメリカ情報当局の敏感さに驚いた。

 その後、Ka-26は合わせて4機が日本に輸入され、社用機のほか農薬散布や物資輸送に使われた。


1966年冬、厳寒のモスクワで初めて見たKa-26
(筆者撮影)

(西川 渉、『ヘリワールド2016』掲載に加筆、2016.8.31)

【関連頁】

  <ヘリヴィア―9>メーカーの歩み(2016.8.5)
  <ヘリヴィア―8>戦争とヘリコプター(2016.7.9)
  <ヘリヴィア―7>同軸反転機とタンデム機(2016.6.11)
  <ヘリヴィア―6>ベル・ヘリコプター(2016.6.7)
  <ヘリヴィア―5>ヘリコプターの父(2016.6.4)
  <ヘリヴィア―4>近代化への歩み(2016.6.2)
  <ヘリヴィア―3>初めて人を乗せて飛ぶ(2016.5.26)
  <ヘリヴィア―2>ローター機構の進歩(2016.5.21)
  <ヘリヴィア―1>らせん翼の着想(2016.5.18)
  <ヘリワールド2016>ヘリコプター博学知識(2015.11.26)

    

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