<ヘリヴィア>

日本のヘリコプター・メーカー

(ヘリヴィア=ヘリコプタ+トリヴィア)

 日本にヘリコプター・メーカーはあるのだろうか。名前を挙げるとすれば三菱重工、川崎重工、冨士重工の3社だが、この名を聞いただけで、本誌の読者は別として、ヘリコプターのメーカーと思う人は余りいないだろう。というのも、ヘリコプターの製造はこれら大企業の一部門に過ぎず、欧米メーカーのような独立企業ではない。それゆえ残念ながら独自の開発や量産もほとんど見られない。

 川崎重工は早い時期からベル47のライセンス生産をしてきた。そこから発達型4座席のKHー4を生み出す。のちにドイツMBB社と共同でBK117を開発、その生産は今も続いている。

 また陸上自衛隊向け観測ヘリコプターOH-1を開発、1996年8月6日初飛行した同機はタンデム複座の特異な形状と、宙返りや手離しホバリングも可能という独自のローター機構や最大280q/hの高速飛行性能が注目され、計画当初は約250機という生産予定だったが、なぜか38機のみに終った。

 そのうえ、この独自のローター機構を応用して、民間機の開発にも進みたいという構想や期待もあった。しかし20年たった今も実現していないのは残念である。


宙返りを見せるヘリコプターOH-1

 三菱重工は自衛隊向けS-55のライセンス生産を手始めに、シコルスキーS-58、S-61、H-60のライセンス生産と部分的な改良を手がけている。とりわけ現用H-60は、海上自衛隊向けのSHー60J、SH-60Kと進化し、音響探知機(ソノブイ)、磁気探知機(MAD)、低周波音波探知機(ソナー)などを備え、さらに対潜爆弾、対艦ミサイルを装備して対潜水艦能力が高い。

 この間1990年代初めの頃から、三菱重工は独自の民間向けMH2000ヘリコプターの開発に着手、1997年に型式証明を取得して99年から東京上空の遊覧飛行にも使われた。しかし2000年になって試作1号機が試験飛行中に死亡事故を起こすなど、全部で7機が製造されただけで本格的な量産に至らぬまま生産中止となった。

 冨士重工は陸上自衛隊向けベルUH-1に始まり、ベルAH-1S、ボーイングAH-64Dアパッチ攻撃ヘリコプターのライセンス生産をしてきた。AH-64Dは2006年度から自衛隊へ納入開始、最終的に62機の計画だったが、2009年13機の調達で打ち切りとなった。このため富士重工はライセンス料や設備投資金など約350億円を回収できなくなったとして国を提訴、全額補填が認められた。

 総じて、ヘリコプターの開発と生産に関する日本の状況は、どうも中途半端なままである。メーカーが悪いのか、需要者が悪いのか、双方の調子が合わないのか。なんとかして世界のメーカーと肩を並べて、堂々の歩みを進めてほしいものである。

(西川 渉、『ヘリワールド2016』掲載に加筆、2016.9.1)

【関連頁】

  <ヘリヴィア―10>メーカーの歩み(2)(2016.8.31)
  <ヘリヴィア―9>メーカーの歩み(2016.8.5)
  <ヘリヴィア―8>戦争とヘリコプター(2016.7.9)
  <ヘリヴィア―7>同軸反転機とタンデム機(2016.6.11)
  <ヘリヴィア―6>ベル・ヘリコプター(2016.6.7)
  <ヘリヴィア―5>ヘリコプターの父(2016.6.4)
  <ヘリヴィア―4>近代化への歩み(2016.6.2)
  <ヘリヴィア―3>初めて人を乗せて飛ぶ(2016.5.26)
  <ヘリヴィア―2>ローター機構の進歩(2016.5.21)
  <ヘリヴィア―1>らせん翼の着想(2016.5.18)
  <ヘリワールド2016>ヘリコプター博学知識(2015.11.26)

    

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