<エアバス対ボーイング>

パリの余炎

 

 

 本頁ではこの半月間、パリ航空ショーを舞台とするエアバス対ボーイングの受注競争を見てきた。しかし両社の争いは、単に受注数や売上金額といったビジネス上の競争であるばかりでなく、欧米の政府を巻き込んだ司法上の論争にもなっている。この問題は余りに複雑で、筆者の理解を超えるところから本頁では取り上げてこなかったが、最近の英「エコノミスト」誌が分かりやすい解説を掲載しているので、それを読んでみよう。

 この中には、欧米の巨大メーカーが竜虎相争う蔭で、日本がいつの間にか飛ぶことを学んだとも書いてある。しかし、この「日本のゆき方」は、私には、本当に飛翔するところまではゆけないニワトリが、こぼれた餌を拾って歩いているようにしか見えない。もっともボーイング社から見れば、このニワトリは金の卵を産むガチョウのようにも見えるであろう。

 さて、航空旅客需要は、エコノミスト誌によれば、過去4年間不況だったが、今ふたたび活況を迎えようとしている。旅客輸送量は、すでに同時多発テロ前年の2000年を超え、石油価格の高騰にもかかわらず、航空会社の利益も上昇してきた。

 そうした好況を背景に、パリ航空ショーではエアバスとボーイングが、大型ジェット旅客機について400機以上の注文をかき集めた。金額にして450億ドル(約5兆円)に相当する。おそらく年末までには両社合わせて1,200機の注文を取るともいわれ、そうなれば1998年以来の最多記録となる。

 こうした活気は、もうひとつ、両者の真剣勝負がもたらしたものでもある。何としても勝ちたいという気迫や意欲が、超巨人機A380や超長距離機787を実現させ、さらにA350計画にまで拡大したのである。

 しかし同時に、両社の競争は裁判沙汰にまでなってしまった。先ずアメリカ側が去る5月末、欧州政府によるエアバス機の開発支援は不公正であるとしてWTO(世界貿易機関)に訴訟を起こした。具体的には、各国政府がエアバス社に融資保証を与え、新機種開発のリスク回避を助けているというのである。

 それに対して翌日、欧州側もアメリカは連邦政府と州政府が直接、間接にさまざまな形でボーイングを支援していると反訴した。

 アメリカ側の言い分は、エアバス社は過去35年間に170億ドルの政府支援を受けているというもの。対するヨーロッパ側は、ボーイングが過去13年間に230億ドルの援助を受けたと非難している。

 客観的には、おそらく双方ともに国際協定違反があると見られる。しかし協定違反だからといって、今のやり方を全廃すれば製品開発の基盤が失われ、両メーカーともに大きな打撃を受けるばかりでなく、その製品を購入するエアラインにも影響が及ぶであろう。

 そこで裁判によって決着をつけるのではなく、一種の示談にしようという考えも出てきた。双方の話し合いによって解決できれば、WTOへの提訴も取り下げとなり、全ては丸く収まる可能性もある。

 しかし今のところ、両社の姿勢は固い。相手が折れるまでは話し合いに応じないというのである。たとえばアメリカ側は欧州政府がエアバス社への融資保証をやめるまでは話をしないとしている。

 しかし、このような状態が続けば、欧米の航空工業界の間で「航空戦争」とでもいうべき事態が起こりかねない。そんなことにならぬよう、冷静に話し合うべきときがきている、とエコノミストはいう。

 問題を複雑にしている要因のひとつは、両メーカーのグローバル化である。ボーイング機はアメリカ製、エアバス機はヨーロッパ製とは限らない。たとえばエアバス機の場合、部品の半分はアメリカ製なのだ。

 一方ボーイング機は、日本との関係が非常に深い。たとえば1960年代の727は、わずか2%だけが米国外の製品だった。しかし1990年代、たとえば777は3割が外国製で、その大半が日本製である。さらに最新の787は少なくとも7割が外国でつくられ、そのほとんどが日本製になろうとしている。

 日本は、こうした状況を歓迎し、官民あげて――というよりも全国民こぞって金を出し合い、ボーイングに貢いで、関係を深めるのに熱心である。つまり、ボーイング787の開発と製造に使われているのは、日本の納税者の金である。日本国民は知らないうちに、自分たちの納める税金でボーイングを助けているのだ。

 そうした日本のやり方はきわめて巧妙である。何社かの重工業がコンソシアムを組み、政府の支援を受けながらボーイングに協力し、エアバスに対抗している。それをまとめているのは日本航空機開発協会(JADC)というところだが、そのJADCが16億ドルというボーイング社の要請を受けて日本政府と交渉し、ボーイングの希望を満たしてやるのだ。

 しかも実質的な利益を上げる大企業は決して表面に出てこない。自動車メーカーやコンピューター・メーカーは、日本企業として真正面から世界市場で競争しているが、航空機の製造に関しては何故か過去50年間、日本のメーカーは隠れたままである。

 そんな日本を、ボーイングが重用するのは、開発リスクの回避手段としてはまことに好都合だからではないのか。エアバスが政府の支援を受けているのと同様、日本政府の支援を受けているのだ。そうなるとエアバスの競争相手は、いつの間にかボーイングではなくて、その蔭に隠れた日本に変わってきたといえるかもしれない。

 そのうえ、この支援にはエアラインが協力する。全日空や日本航空が合わせて100機の787を発注したのも、無論独自の判断ということだろうが、その蔭でどんな運動や圧力があったか、それは分からない。言わず語らずということかもしれぬが、787の開発には何故か日本国民と政府とメーカーとエアラインの全てが肩入れしているのである。787ドリームライナーの夢は、日本の夢ということだったのだろうか。

 とすれば、ボーイングはもはや名目上のメーカーであって、外部メーカーの調整役ということになる。事実787がボーイング社のシアトル工場で過ごすのは最終組立て段階の3日間に過ぎないとさえいわれる。そこで欧州側は、ボーイングに加えて日本をも提訴する構えを見せている。

 もうひとつ解決が難しいのは、大型ジェット旅客機の開発と製造には莫大な資金がかかること。たとえばA380の場合、初飛行までに要した研究開発費はおよそ120億ドル(約1.3兆円)。同様にボーイング787も、少なくとも100億ドルは必要であろう。

 したがって、航空機の開発には大きなリスクが伴う。たとえば、出来上がった飛行機が技術者の計算通り安全かつ効率よく飛べるかどうか。また、製造コストが契約金額通りに安く上がるかどうか。そのうえ、これらの製品がメーカーとして採算の合うようになるには、500〜600機を製造した後である。ということは採算点に達するまでに10年ほどかかることになる。

 こうした大きなリスクをかかえながら、エアバス社は如何にして今のような地位を築くことができたのか。その歴史を振り返ってみると、フランスとドイツがエアバス・コンソーシアムを立ち上げたのは1970年であった。両国政府は当時、これを育てるために何十億ドルもの資金を注ぎこみ、補助金を出し、借金を棒引きにするなどの援助を出しつづけた。それによって、生まれたばかりのひな鳥は少しずつ飛ぶ力を身につけた。

 エアバス・インダストリー初の製品A300Bが初飛行したのは1972年である。それがエールフランスの定期路線に就航したのは74年、ルフトハンザ・ドイツ航空に就航したのは76年であった。

 しかし、この飛行機はなかなか売れなかった。実用化から78年までの5年間に売れたのは、わずかに38機。南仏トゥールーズ工場の外には16機のA300が売れ残ったまま風雨にさらされていた。

 特に大きな目標であったアメリカからの注文がなかった。そこへ1977年イースタン航空が試用してやろうということになり、4機が半年間タダ同然で貸し出された。イースタンが使ってみると、燃料消費がトライスターなどの3割減。整備作業にも手間がかからないことが判明した。これならばというので1978年、23機の購入に同意したのである。


イースタン航空は今はなくなったが、当時のA300

 アメリカの主要エアラインが大量に買ったことで、エアバス機は初めて多くのエアラインから注目されるようになった。これでヨーロッパ製の機材がアメリカ市場へ進出する突破口が開けたのである。そしてわずかな間に、エアライン10社以上から100機を超える注文が舞い込み、年間生産数も3ケタに上がった。

 こうしてエアバス機は、A300から胴体短縮型のA310へ向かう。1984年にはA320の開発がはじまり、87年にはA330/340プログラムもはじまった。1990年までに関係政府から受けた助成金は135億ドル。これで新しい航空機の開発が可能だったばかりでなく、完成した製品を安く売ることもできた。このあたりが今回、ボーイングとの火種になっているところである。

 まさしく、エアバス社のめざしたのはアメリカ勢に対抗することだった。特に1960〜70年代に急成長を遂げつつあった民間航空市場で、ボーイング社の独占を阻止すること。のちにイギリスとスペインが参加して欧州全体が一つにまとまり、エアバスの立場はいっそう強化された。

 他方、政府の立場からすれば、民間機といえども、それによって新しい技術開発が進めば、軍用機にもつながる。またすぐれた技術者の育成と温存にもつながるので、国防戦略に関連してくる。

 こうして未熟なエアバス社を、欧州各国の政府が一致して育成してきた。もし当時、エアバス社の育成がなされず、ボーイング社の独占が成立していれば、100席以上の大型ジェット旅客機の価格は、今頃4割高になっていただろうという計算もある。

 だからといって、エアバスが単に補助金だけで成長してきたわけではない。技術的な独自のアイディアとしては、大型ワイドボディ機でありながら、双発にしたことである。当初のA300などは双発ワイドボディ機の経済性を大いに発揮したものであった。

 このエアバス社のアイディアは、現在いつのまにかボーイングにも取り入れられ、777のようにボーイング製品の主力ともなっている。

 こうしてエアバス社の実力がつくにつれて、未熟産業の育成といった理由で補助金の正当性は主張できなくなってきた。特に2000年代になって市場シェアが50%に達し、ボーイングをしのぐようになれば、もはや助成金などは不要といわれてもやむを得ないだろう。

 アメリカ政府とボーイング社は、エアバスが補助金の力だけで製品を安く売り、市場シェアを拡大してきたと主張している。しかし実際は、1996年頃から、エアバス社は新しい技術を開発し、製造工程を改善して効率を高めるなどしてきた。しかし今の、補助金がエアバス社の強力な支えになっていることも確かである。

 1992年、当時の欧州委員会(EC)とアメリカ政府は、エアバス社が新製品を開発する場合、開発資金の確保のために返済を前提とした融資保証を開発費の3分の1まで認めることで合意した。この返済は17年以内におこなうこととし、返済額の最初の25%の金利は政府金利とし、残りは1%以上。さらに返済終了後も、機体が売れるごとに、なにがしかのロイヤリティを政府に払うこととされた。

 同時にアメリカ側も、国防省やNASAによるボーイングへの間接的補助を、民間機売り上げの4%以内に限ることとした。

 しかし、この取り決めにはさまざまな解釈がされるようになる。たとえばアメリカ側は、補助金をなくしてゆくのが最終目標であるとする。それに対し、欧州側は取り決めの限度内であれば、今後も補助を受けてもいいではないかと考える。すなわちアメリカは補助金の廃止が前提であるのに対し、欧州側は固定的な制度とみなすのである。

 エアバスは、こうした補助金の下で過去10年間に5種類の新しい航空機を開発してきた。それに対してボーイング社は777の1機種のみである。これほど大きな差がついたのは、エアバス社が開発リスクを納税者に加担させているからだというのがアメリカ側の言い分である。

 欧州側は、NASAや国防省がボーイング社に開発資金を出しているのも、補助金の一種ではないかという。その金額は上述のように、1992年以来230億ドルに達する。

 ボーイング社の反論は、ボーイングに対する開発契約の結果は、公的な利用に供せられているのであって、旅客機の開発に対する補助金とは性格が異なる。エアバスの親会社EADSだって、欧州各国から国防予算を受けているではないか、と。

 それに対し、エアバス側はボーイングが米国内の州政府や市当局から、工場の誘致のために免税措置を受けている。これも一種の補助金だと主張する。たとえばウィチタでは1992年以来、26億ドルの税金が免除されたはず。ワシントン州でも最近、わざわざ条例を改正してまで、787の最終組立て工場誘致のために、ボーイング社に対し向こう20年間に32億ドルの免税を認めることとなった。

 しかしエアバス社もドイツ、フランス、イギリス、スペインの各国でA380の製造および組立て工場設置のために、合わせて17億ドル相当の公共投資がおこなわれたと、ボーイング社は反論する。

 こうした果てしない論争を公平に見るならば、まず欧州側が1歩を譲って話し合いのテーブルにつくべきだろうと、エコノミスト誌は書いている。

 学者たちの意見でも、WTOの協定に照らしてみると、ボーイング787の事例は一応の規定にしたがっているように思われる。それに対して、エアバス機の開発着手のための資金を直接公的資金でまかなうのは明らかに協定に合わない。

 これによってエアバス社は、過去5年ほどの間にボーイング社から市場シェアの2割をもぎ取り、5年間のうち4年は受注数でもボーイングを上回り、ついに昨年は生産数でも勝つ結果となった。

 エアバス社はパリ航空ショーの会場で、政府の支援がなくてもA350の開発に踏み切ると語った。たしかに、今のエアバス社はそれだけの実力がある。アメリカの独占態勢を崩すという、ヨーロッパ側の所期の目標も実現した。エアバスに対する大きな支援は、もはや不要になったといえるかもしれない。

 だが、両社の間で燃えさかる炎は、まだ消えたわけではない。

(西川 渉、2005.6.29)

【関連頁】

   パリの残響(2005.6.24)
   パリの余燼(2005.6.23)
   パリの余韻(2005.6.21)
   パリの総括(2005.6.18) 
   激論火を噴く(2005.6.17) 
   受注競争と論評合戦(2005.6.16) 
   エアバスA380とA350(2005.6.15) 
   ボーイング体勢挽回へ(2005.6.14) 
   切り結ぶ両雄(2005.6.10) 
   巻き返すボーイング(2005.5.12) 
   エアバスA350に初の注文(2004.12.23) 
   エアバスA350の開発決定(2004.12.14) 

(表紙へ戻る)