<ファーンボロ2006>
エアバスA350XWB開発計画 ファーンボロ航空ショーから1ヵ月半が経過した。あのときのエアバス社の追いつめられた状態での対応ぶりを、もう一度『航空ファン』10月号によってふり返ってみたい。
前途多難の危機を乗り切れるか ファーンボロ航空ショーの初日、去る7月17日のことだが、エアバス社の記者会見場は早くから熱気に包まれていた。200席ほどの記者席はいっぱいに詰まり、周囲の壁ぎわにはテレビ・カメラが砲列を敷いて、新しいエアバス経営陣の登場を待ちかまえる。
それというのも、エアバス社は一と月ほど前から、超巨人旅客機A380の引渡し日程の遅れが明らかになったのをきっかけに、親会社EADSの株式をめぐるインサイダー取引きの疑いが生じ、開発に着手したばかりのA350が顧客からの要求で設計見直しに追いこまれ、ついにはこれら一連の問題に伴う首脳陣の入れ替えがあったばかりだからである。
そんな苦しい危機的な状況を背景として、エアバスのトップがどんな顔をしてあらわれるか。筆者は内心、最近の日本でしばしば見られるような、社長や役員が記者団の前で頭を下げる光景もありはせぬかと思ったりしていた。しかし、いよいよ登場した新社長クリスチャン・ストレイフ氏は、初めて顔を見せた航空記者団に向かって、いささか緊張の面持ちではあったが、力をこめて次のように語りはじめた。
「前社長のグスタフ・フンベルト氏は、この航空ショーまでに新しいA350計画を明らかにすると約束していた。私はまだ就任から2週間しかたっていないが、この間、エンジン全開で約束を果たすためにがんばってきた。なんとか間にあったものの、まだ垂直離陸の状態にあって激しい騒音と振動にさらされたままである。いずれは周囲が見えてきて、落着きも取り戻せるだろう。急がなければならないけれど、あわててはならない。この困難は、エアバス社としても必ずや乗り切れるであろう。大事なことは、顧客と株主の信頼を取り戻すことだ」
そして将来に向かっては、次のように決意のほどを示した。「これまでのわが社の成功は、常に最新の技術を導入するという大胆な勇気にもとづくものだ。また、常に顧客の方を向いて、顧客の期待する以上の製品を提供してきたことによる。私は今後も、エアバス社が同じ道を歩みつづけ、秩序ある経営によって最高の信頼を得るよう努めたい」
この「秩序ある経営」という言葉が、最近の騒動から抜け出したいという気持ちをほのめかすものであろう。そのうえで新社長は、次のように続ける。
「エアバス社はA350XWBの開発によって新たな挑戦に踏み切る。これによって顧客にも、株主にも、その他の関係者にも成功がもたらされるものと確信している」
A380の遅延とA350の変更 事の発端は去る6月13日、超巨人旅客機A380の量産と引渡しが7ヵ月ほど遅れるという発表であった。同機を注文していたエアラインからいっせいに不満の声があがったのは当然として、エアバスの親会社EADSの株価が一挙に下落した。EADSはフランス法人ではあるが、株主は欧州全域にまたがり、損をした人も少なくなかったにちがいない。
とりわけ突然の発表で、EADS経営陣の中にも知らなかった人がいたらしい。EADSの株式3割を保有するドイツの大株主ダイムラークライスラー社も、何も聞いていなかったと憤慨をあらわにした。その不満からいぶり出されたのは、EADS経営陣のひとりで、1年前までエアバスの社長としてA380の開発を決断したノエル・フォルジャール氏が発表前にEADSの持株を売却したというインサイダー取引の疑惑である。
むろん本人は疑惑を否定し、自分が株を売ったのは3月――A380遅延問題の2ヵ月も前のことと弁明した。けれども他の株主の不満は収まらず、フォルジャール氏の逮捕を求める声が上がったり、フランス政府がエアバスへの支援を打ち切る意向を見せるなどして、辞任に追いこまれた。その結果、ストレイフ新社長が就任したのは航空ショーのわずか2週間前のことである。
エアバスのかかえる問題はそればかりではない。2004年末ボーイング787に対抗して開発に踏み切ったA350中型長距離機の受注数が伸び悩んだ。ファーンボロ・ショー開始の時点で182機の注文にとどまり、対する787は403機と2倍以上の受注であった。
というのも、エアライン側からA350の実態はA330の焼き直しにすぎないという不満が出てきたためで、787に対抗するならば、もっと大きく、もっと画期的な機材にすべきだという要求である。このままでは、A350は計画倒れに終わるかもしれないというところまで追いこまれた。
新しいA350XWBの開発へ そこで航空ショーの冒頭、エアバス社が乾坤一擲をねらって発表したA350XWBとは、どんな旅客機だろうか。公表された内容を整理すると次のようになる。
最大の特徴は乗客の快適な乗心地をめざした設計で、旧A350計画にくらべると、キャビン幅が30cm増の554cmとなり、窓枠も左右に5cm広がった。与圧は高度1,800m相当、湿度は20%以上を維持する。従来のエアバス・ワイドボディ機はA300、A330、A340など全て同じ胴体直径であった。それを初めて変更するばかりでなく、断面の形も単なる円形から卵形になる。787にくらべても、キャビン幅や窓が大きい。
キャビン後方の上には、777や787と同じように、客室乗務員の休憩室を設ける。また交替パイロットの休憩室はコクピットの下に設けるが、これは旧A350と同じ設計である。
機体構造は787の全複合材製に対して、金属材料と複合材の混用だが、軽量、頑健で、1席当りの空虚重量は787の2%減、777の14%減になるという。
主翼は後退角が3°増の33°で、マッハ0.85の巡航性能を有する。ということは、今やA350XWBは777のマッハ0.84を抜いて、A380やボーイング787と同じ速度になるわけである。
エンジンは最新の技術を採り入れ、最良の燃料効率を発揮して騒音や排気ガスが少なく、環境にやさしい。燃料消費は787の6%減、777の30%減。シートマイル・コストも787より8%良く、777より25%良くなるという。エンジンは当面ロールスロイス社が開発に当たるが、エアバス社は他のエンジン・メーカーが第2の選択候補を開発するよう希望している。
A350XWBはA350-800、-900、-1000という3種類の派生型を想定している。それぞれの最大離陸重量とエンジン推力は、最も小さい-800が重量245tで推力34t、-900が265tで39t、-1000が290tで43t。航続距離は3機種ともに同じ15,700kmと、787を上回る。また客席数は、最も小さい-800が3クラスの標準配置で270席と787-8の242席より多い。-900は314席で777-200ERの301席より多く、-1000は350席。777-300ERの365席より少ないが、航続距離は長い。
なお将来は、A350-900のエンジン出力を上げ、最大離陸重量を増やして燃料搭載量を増した超長航続型A350-900Rを開発する。同機は310人乗りで、17,600kmの航続性能を持つ。また搭載量90tのA350-900F貨物機も検討中。
こうしたA350XWBは、開発費が100億ドル(1兆円余)。旧A350に予定していた金額の2倍である。このコストをいくらかでも下げるために、コクピットにはA380のヘッドアップ・ディスプレイを流用することにしている。
初飛行は2011年なかば。就航はA350-900が2012年なかば、-800が2013年、-1000が2014年という計画になっている。
前途は問題山積 エアバス社のこのような計画に対して、旧A350批判の口火を切った国際リース・ファイナンス社は「たしかに、われわれの希望するものに近い計画だ。胴体も昔ながらのもをやめたし、速度も増した。長距離区間では1〜2時間早く目的地に到着できるだろう。けれども、機体価格はどうなるだろうか」としている。
しかしファーンボロ・ショーの会場では旧A350を9機発注していたフィンエアが早くも歓迎の意を表し、ショー最終日シンガポール航空も20機を発注、さらに20機を仮発注する覚え書きに調印した。これでエアバス社の危機は表面上乗り越えられたかに見える。
しかしエアバス社の前には、まだまだ問題が山積する。当面の問題は、半年以上も遅れたA380の量産体制を如何にして立て直すか。その引渡し日程を、発注者との間でどう調整するか。また、A350を発注していた旧来の顧客を逃すことなく、如何にして新しいA350XWBの契約に結びつけるか。そしてA350XWBの開発資金を如何にして調達するかといったことであろう。
A380の量産と引渡しの遅れは、電気配線の作業に起因する。なにしろ標準550席、多ければ800席を超える客席の一つひとつにオーディオや映像を送る配線をしなければならない。しかもエアライン毎に異なる仕様だから、量的にも質的にもきわめて複雑な電気配線が必要となる。後でエラーが見つかっても、その部位を探り出すには大変な手間と時間を要する。
原型機は6機の飛行試験を初め、地上試験も順調に進んでいる。ところが、いよいよ量産という段階になって、思わぬ落とし穴にひっかかったのだ。A380は現在168機の受注で、採算分岐点の半分程度。もっと注文を取る必要があるが、引渡しの遅延によって受注増どころか、注文取消しが出てくるかもしれない。少なくとも、引渡し日程の調整にあたっては顧客側から莫大な補償金を要求されるであろう。
一方A350XWBについては、改めて注文を確保しなければならない。旧A350を発注していた14社のうち、何社が新しい契約に応じてくれるか。というのも、ひと回り大きな機体をこれから開発するわけだから、開発費がかさみ値段が上がるのは当然。逆に、引渡し時期は遅れるわけで、そんな二重の悪条件に乗ってくるエアラインがどのくらいあるだろうか。エアバス社は、脱落するのは1〜2社程度と強気の見方をしているが。
さらに、開発資金を如何にして調達するか。100億ドル(1兆円余)という莫大な資金である。ドイツやフランスの政府支援を受けるようになれば、今度はアメリカ側が公正な競争という観点から黙ってはいないだろう。
ファーンボロ・ショーの期間中、エアバスは全機種合わせて182機の注文を獲得した。対するボーイングは75機である。しかし、エアバス社の前途にはまだまだ多大の困難が予想される。世界中の注目を集めたファーンボロでの記者会見と受注競争は立派に乗り切ったが、問題そのものがなくなったわけではない。今後ボーイングとの間で公正な競争を展開してゆくためにも、先ずはみずからの問題解消に立ち向かう必要があろう。
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標準座席数 |
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胴体直径(cm) |
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キャビン幅(cm) |
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最大離陸重量(t) |
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航続距離(km) |
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エンジン推力(t) |
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巡航速度(マッハ) |
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公表価格(百万ドル) |
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就航時期 |
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(西川 渉、『航空ファン』2006年10月号掲載に加筆)
【関連頁】
エアバスA350XWB(2006.7.31)
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ストレッチ型787の開発へ(2006.1.11)(表紙へ戻る)