<インド航空界>

パリの余熱

 

 先日の本頁に、チャイナとアラブとインドとは商売がやりにくいと書いたところ、インドではなくてコリアではないかという注意を受けた。考えてみるとその通りで、インドは濡れ衣だった。私もかつてチャイナとコリアの両国と取引きした経験があるが、どちらも余り好い想い出は残っていない。

 むしろインドは、お釈迦さまの昔から知的な民族であり、今も親日的な人が多いと聞く。戦後インドの初代首相になったネルーも「インドが独立の希望を持てたのは、日本のおかげです」と語っている。とりわけインドから東京裁判に派遣されたパール判事は日本の名誉を守ってくれた恩人で、ただ独り「全員無罪」の判決を下した。

 無論この判決は、親日とか友好とか、そんな感情的なものではない。純粋の法理論にもとづく結論であった。まず東京裁判そのものが敗戦国に対する戦勝国の一方的リンチであるとし、これを容認することは「法の真理」を破壊することになるとしている。

 その判決文にも「検察側が訴追し、かつ描写しようとした共同謀議なるものは……最も奇怪にして信ずべからざるものの一つである。……かくのごとく、寄せ集めた諸事実をつなぎ合わせて共同謀議というならば、世界のあらゆる主要国家の政治家を、彼自身意図しなかった侵略戦争を準備し、かつ挑発したものとして断罪することができるであろう」と書いている。

 しかし、その「心血を注いだ判決文は、法廷においては公表されず、多数派の判決のみが、あたかも全判事の一致した結論であるかのように宣告された」(田中正明『パール判事の日本無罪論』、小学館文庫、2001年)


パリのエッフェル塔とサクレクール寺院を背景にショー会場へ着陸するA380(提供:エアバス)

 インドは面積316万平方キロ、人口およそ11億人である。いずれも日本の8倍に当たる。このうちほぼ3億人が近年の経済成長によって経済的な中流クラスになってきた。しかるに昨年の国内線の乗客数は1,600万人に過ぎない。

 これをチャイナに比較すると、面積957万平方キロに対しては3分の1だが、人口約13億人に対してはほとんど肩を並べるといってよいであろう。ところが昨年、チャイナの国内航空旅客は1億人以上であった。

 とすればインドでは、もっと多くの人が航空旅行をしてもいいはずで、そうなっていないのは航空輸送体制が不充分だからである。つまりインドの航空市場ははなはだしい供給不足におちいっているのであって、このような大国はおそらく世界中どこにもないだろう。

 そこでインド政府は今年から航空政策を改め、規制緩和に踏み切った。アメリカやイギリスとの相互乗り入れを自由化し、国内線には新しい企業の参入を認める。そこから一斉に航空会社の設立ブーム、機材の発注ブームが起こったのである。

 まず国営航空の2社――国際線を運航するエア・インディアと国内線のインディアン航空は、それぞれ70機余りの新機導入を予定している。政府の承認が必要なため、正式の契約調印にまでは至ってないようだが、ボーイング777や737、エアバスA320、A330、A340などが想定されている。

 加えてエア・インディアは新しい子会社、エア・インディア・エクスプレスを設立した。従来インディアン航空の担当分野だった国内線に自らも参入しようというもので、今年初めに737-800を受領し、総数26機を導入する計画。すでに低運賃エアラインとして運航が始まっている。

 新興エアラインも次々と設立され、激しい動きを見せている。先日のパリ航空ショーでも総数145機を発注して注目された。

 そのひとつ、キングフィッシャー航空は、今年4月に真新しいA320(174席)を受領、5月からムンバイを拠点として運航を開始した。今年末までには8機が追加される予定で、ほかに20機のA320を仮発注している。

 パリでは、ご存知のとおり、A380、A350-800、A330-200を5機ずつ発注して評判を取った。キングフィッシャーのオーナーは世界第2位のビール醸造会社ユナイテッド・ブルワーズで、インド経済界に大きな影響力を持つ。キングフィッシャー(かわせみ)とは、私は飲んだことがないけれども、そのビールの商品名らしい。

 このUBグループはキングフィッシャー航空を2010年までにインド最大のエアラインに育て上げる計画を立てている。そのため2007年からA330の引渡しを受けて欧州線を開設、2010年からはA380を使ってロサンゼルスなどへの長距離国際線を開設するという。

 しかし、その計画が果たして実現できるか。というのは、今のインド政府の方針は、国際線に進出しようとする航空会社は5年間の運航経験と20機以上の保有機数が必要という条件をつけているためである。この条件が変わらなければ、大型機も長距離機も当分は国内線に使うほかはない。けれども、金満企業のUBグループのこと、国外からインドに乗り入れる形で国際線を実現するかもしれない。そのくらいのことは、やりかねないという見方もあって、今後の波乱が予想される。

 もうひとつの問題は、インド国内の空港施設。A380のような超巨人機を受け入れ可能な空港は今のところ見あたらない。したがってキングフィッシャーの計画実現のためには、この問題も解決しなければならない。

 第3に、キングフィッシャーのA380発注は本物かという疑問がある。同社はA380の機内では自社のキングフィッシャー・ビールを飲ませ、2階キャビンにはバーとカジノを設けると語っているが、首をかしげる人も多い。宣伝のためのジェスチャーではないのか。本物の売買契約に持ってゆけるかどうか、エアバスも正式調印までは気をもむであろう。


キングフィッシャーのA380想像図(提供:エアバス)

 こうしたキングフィッシャーは国営航空の3分の2程度の運賃で国内線を飛んでいるが、2年前に発足したエア・デカンは2003年8月3機のATR42-300中古機を使って運航開始。1年後の2004年8月A320を導入した。低運賃で乗客を集め、昨年の乗客数は110万人だった。

 乗客には機内食は出ないし、あらかじめ座席の指定もできない。しかし1か月に1,000人の客を1ルピー(約3円)で飛行機に乗せるという極端なサービスも始めた。こうしたことで新しい需要を掘り起こし、同航空の乗客の4割は初めて飛行機に乗る人だそうである。

 現在は12機のATR42ターボプロップ(48席)と5機のA320で毎日111便を飛ばし、インド国内30ヵ所に乗り入れている。来年3月までの計画では今年度400万人の乗客を見こむというから、前年比4倍に近い成長である。

 最終目標は、インド国内150ヵ所の全空港に定期便を乗り入れること。そのためA320を32機とATR72-500を30機発注している。ターボプロップ機を使うのは滑走路の短い空港も多いからで、ATR72の1号機は先日、パリ航空ショーの会場で引渡された。 

 このほか新しい低運賃エアラインはスパイスジェットやゴーエアなどが名乗りを上げている。運航はこれからだが、スパイスジェットの機内食は有料、ゴーエアは一切の機内サービスをなくし、最小限のコストで低運賃を提供する計画。

 使用機は、スパイスジェットが中古の737だが、最近10機の737-800(189席)新製機を発注した。またゴーエアは9月からA320で運航開始の予定。年末までには6機にする計画。

 こうして今、インド航空界は急膨張をつづけている。エアバス社の予測では、向こう20年間に570機の航空機が導入されるだろうという。このうち20機はA380、179機は中型ワイドボディ機、371機は単通路機という内訳である。

 この膨張に応じるため、インド政府は2010年までに300億ドル(約3.3兆円)を投じて空港施設や航法施設の整備をしてゆく計画。さらに人材の育成も急務で、パイロットは今の3倍ほど増やさなければならず、地上スタッフも新たに15万人が必要になると見ている。

 こうしたインド航空界の状態について、英フライト・インターナショナル誌はいよいよ「ホット・カレー」が煮立ってきたと表現している。まさに印度人もビックリと云ってよいであろう。

(西川 渉、2005.7.4)


カタール航空のA350想像図(提供:エアバス)

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